ぼくののうみそ-・x・

痔の手術歴アリと
今年の健康診断も昨年と同じ病院でやったのだが、受付の若い女性が出してきた俺の個人データみたいな紙には前回回答したのであろう既往歴が書かれておりそこには思いっきり「痔の手術あり」と書かれていてひどく狼狽した。
俺は痔の手術などしたことがない。

確か昨年この窓口のやり取りで、事前に提出する既往歴に軽い気持ちで「痔」チェックしたのを思い出したが、手術したとまでは言っていない。
痔になったのもちょっくらお尻が痛くなった程度で、にも関わらずそれをわざわざチェックしてしまったのは、履歴書の内容が寂しいと妙に心細い就職活動のときの反動なのかもしれず、まるで取得した資格を自慢するかのように俺はこんなにたくさん既往歴もってるぞと、些細な病歴も漏らさずチェックしたからに他ならなかった。
確か昨年この既往歴の項目に妙に関心を示す受付の若い嬢に矢鱈と事細かに尋ねられ、その際に「痔は治療済みですか?」と割と大きな声で尋ねられてとても興奮した次第だが、その時には確かに治りましたとは言ったものの、手術しましたとは一言も言っていないのであって、あの嬢は痔は手術でしか治らないと言う思い込みもあったのか俺のペーパーには無残にも痔の手術完了!と記載された様である。

そのような背景は良いとして、差し当たりこの痔の手術を否定し履歴から削除してもらわねばならないのだが、狼狽に任せて「おやぁ、ぼくは痔の手術なんてしてませんよ!」と上ずったおおきな声になってしまったものだから、先方も、また待合室にいる人々もギョッとして、しばらくの後クスクスという実に恥ずかしい類の笑いの気配を感じることになってしまった。

俺の突然の申し出に受付の女性は半笑いで謝りながら、すかさず重ねての「痔は治りましたか」という質問をボクにぶつけてきたのだが、「ええ、自然に治りました…」と消え入る様な声で答えると、二重線で「痔の手術あり」は消された。
手術より自然に治りましたの方がなんか格好悪い。

痔の手術なんてそんなに珍しくないのだから、大人しくしたことにしておけばよかった。
世の中、痔の手術もしたことがないのにしたことになっていた人の方が余計珍しいのだから。
| fabricio zukkini | 日記 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
人生初の1塁塁審をした時の話
先般業界団体の交流を兼ねたソフトボール大会に参加してきた。
さすが同業同士の試合とあって野次や応援の声は業界用語が飛び交う仕事の延長感甚だしいビジネスソフトボールであったのだが、その内容はさておき俺が最も心を奪われたのが1塁の塁審を務めたときのことだ。

わずか1試合だけ、人生初めての1塁の塁審をやったのだが、アレはとてつもない楽しさだった。

「アウトーーー!」

大して声を張り上げる場面でなくても、試合を見守る両チームが俺の判定に一喜一憂するのだと思うと興奮して声も大きくなるというもの。
それに34歳、久しぶりに何ら不審に思われることなく堂々と野外で大声を出せるのだからたまらない。

「セーーーーフ!!!」

際どい判定で大げさなジェスチャー込みで「セーフ」などと叫んでみなさい、何か俺がすげえことでも言ったように攻め側のベンチが大盛り上がり。そこで得られるカタルシスはものすごく、「何だこれは・・・、もっと際どい判定をしたい!」という判定欲は高まるばかり。
チラリとみただけのプロ野球でおぼろげに覚えているプロ審判のムーブなどを真似て「オラア!」と腕を動かせば、それに応じてため息と感性が呼応する・・・、何て素敵な1塁塁審。

ただ、1塁塁審のつらい所は段々飽きてくるところで、次第に「アウトーー!」などと必死に叫ぶのも青臭い様に感じられ、そもそもサムアップして腕を高らかに上げておればアウトであることは周知されるのだから声のほうは「アウッ」などと短く言ってもよい訳だし、その様な気持ちで段々慣れてくるとさも長年1塁塁審をしているベテランであるかのような振る舞いにもなるというもの、最後には明らかにアウトの様なプレイでは1塁など一瞥かもしくはノールックで「アッ。」とだけ言ったりする横着振りも散見されるようになったところで「君、疲れただろう、オジサンとかわろう」などと腹の出たいかにも1塁塁審然としたオッサンに言われて《オイオイ 笑、1塁塁審に疲れたもあるかい》とは思いつつも、お役御免となった次第。

そうして迎えたその日の晩。風呂から上がった辺りから、明らかにわき腹の辺りに鈍痛がするようになり、今までに全く感じたことのない場所の、初めての類の痛みに狼狽しつつも、「これは1塁塁審により人生で始めて使った筋肉の痛み・・・?」と言う結論に至るまでそう時間は掛からず、アウト、セーフのあのようなシンプルな挙動にもご立派に専門の筋肉があるのだなあと思い、感心した次第。
そう思うとプロ野球の審判の太っちょはああ見えて特定の筋肉だけは一丁前に発達しているのだろうかと、彼らの上半身に思いをはせ何事も追求すればどこかマニアックな筋肉が発達するのだなあと思った風呂上り、夜のしじまであった。
| fabricio zukkini | 日記 | 11:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
息子が俺の似顔絵を
すっかり絵が上達した息子3歳が、俺の顔をチラチラ見ながら必死に何かを描いているので俺の似顔絵でも書いているのであろうと思い、ここぞとばかりにサービスの変顔などをしてそれに応じていた父親であったが、ピタリと筆が止まったところでそれを止め「どれ、みせてみよ」と確認してみたところ、そこにはなぜか1から12までの数字が書いてあっただけでとてもガッカリした。
それを妙に得意げに見せてきた息子であるが、俺の久しぶりの変顔を返してほしい。
| fabricio zukkini | 日記 | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
息子にケツの拭き方を教えた
子供用のお尻拭きと便座用のクイックルワイパーを間違え「いたいいたい」と泣く息子に「甘えるな」言いながらゴシゴシやったヒドい父親であるが、最近とうとう3歳の息子がトイレのあとに自分でケツを拭くようになってうれしい限り。
息子にケツの拭き方を教えたあの日。こんな日が来るとはと思い、なかなか感慨深い一日であった。


便所で「おーい」と呼ぶ息子。妻に「そろそろケツの拭き方を教えてあげて」と言われたので「入るぞ」と便所に入ると、息子はクソを終え黙って座っていた。ケツの拭き方を知らない息子はこうしてケツを拭かれるのを黙って待つのである。
だがそれも今日までだ。俺が父親として今日はお前にケツの拭き方を教えたる。

「ウンチが出る穴を紙で拭きなさい」という実にストレートで不親切なアドバイスで息子にケツの拭き方を教えたのだが、他に言いようがなく、これでもかなり考えた上での発言なのである。
息子は言われたとおり黙ってウンチが出る穴を紙で拭いて、小声で(出来た)と俺のほうを見る。

「ちゃんと拭けたかどうかわかる?ウンチが出る穴はどんな感じ?」と聞いても「もうきれいになった」などと到底信用できない返答が来たので、「ウンチが出る穴がちゃんとふけていない時は、おしりが何か気持ち悪いはず」と内心《手っ取り早く肛門って言いたい》と思いながらも感情論交え懇切丁寧に説明したのだが、息子は小声で(出来た)と言うばかりなので、何でそのときだけ小声なのかは置いといて、拭けたか拭けていないか判定は「ケツを拭いた紙を見ろ!」とストレートに教えた。
こうして人に教えて改めて冷静に考えると、結局人は自分のケツがきちんと拭けたかどうかはどんなに文明が発達しても目視するしかないのである。情けないがそれが事実。

思えば俺は誰からケツの拭き方を習ったのだろう。
習ったときの記憶はもはや無いが、最初に習ったら最後、それを手直ししてくれる人はおらず、それがその人のスタンダードになるのだ。俺は息子にただしいケツの拭き方を教えられたのだろうか。そもそも正しいケツの拭き方って何だ。
ここから先習うことよりも人に何かを教えていくことのほうが増えるのだとしたら、それはとても難しいことだ。

息子は小声で(出来たよ)と言って嬉しそうに去っていった。
| fabricio zukkini | 日記 | 00:15 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
街の電気店でケーブル1本だけ買った話
先日リビングの模様替えをしていた。
色々試した結果最終的にレイアウトはバシッと決まったものの、それにはテレビアンテナケーブルの長さが足りない事が判明し、夕方になり近所の量販店に買いにいく事になった。
我が家に必要な長さは4m。だがあいにくお店にはどこをどう探しても3mまでしかなくガッカリして帰宅。他の量販店に行っても良いが少し距離がある上、ほぼ毎日渋滞する大通りを通らねばならない。日も落ち始めると弱気になるのは人の常であるが、ケーブル一本買うのに見合わない労力のように感じられた。
それに先ほど行った電気量販店はそこそこ大きな全国チェーンである。次の電気量販店に行って置いてある保証も無い。
たまたま品揃えが悪いのか、4mというオーダーが悪かったのかは分からないが少なくともアマゾンを調べると4m以上のアンテナケーブルは「在庫あり」となっており、こうして実店舗は全員アマゾンに負けるのだ!と悪態をつきながら、今日頼めば明日には来るしなと考え帰宅している途中、目の前に小さな街の電気店が現れた。

「まあ、無いだろうけど」と、全く期待せずにその家族経営の街の電気店へ入る。
寒い中わざわざ外へ出る決意と準備をしてせっかく買いに行ったのに、お店を1つしか回らなかったというのも何かシャクな気持ちもするし誰に向けたアピールでも無いが、アマゾンで買うのは2軒回った結果としたい、と思ったわけである。
案の定ケーブルのコーナーと思しきところを詳しく見るまでも無く、遠目から「無いな」というのが分かった。アンテナケーブルはおろか、ケーブルの類がほとんど陳列されていないからである。そこにピンポイントで4mのアンテナケーブルがある確率は極めて少なかろう。
しかし入店後「いらっしゃいませ」など夫婦、そしてその親と思しきおばあさんから気さくに声をかけて貰ったものだから、一応彼らの商人としてのプライドのためにも最低限客のテイをなす為に、客として有り体のムーブを果たすべくケーブルコーナーへ足を運び「うーん、ないなあ!(チラッチラッ」などとわざとらしく客然とした声を出してゴキブリの様にその場を去ろうとした時、「何かお探しですか」との声掛けされる。いささか決まり悪く立ち止まらざるを得ない。
「こんな用事ですいません」という雰囲気をかもし出しつつも、来店した目的とその背景などを説明すると「それなら作りましょうか」という意外な返答。

40代後半と思しき店主は奥から巨大なケーブルの塊を持ち出すと、「量販店は決まったモンしか置けないからねえ」などと言いながら見事な手際でアンテナケーブルを製作する。「4.2mぐらいにサービスしときますよ」という嬉しい心遣いも入りつつ、チョキンチョキンとやって先端に端子を付けて瞬く間に完成。で、できた・・・
豪快にそのまま手渡しされた出来立てほやほやのケーブルの束。取り寄せようとしていたものが目の前であっさり出来たことに、俺は妙な感動を覚えた。

そして「で、でも、こういうお店ってやたらお高いんでしょう・・・?(チラッチラッ」と『量販店は正義!』の思想に毒された悲劇の消費者をあざ笑うかのように、電卓に提示された価格は頼もうと思っていたアマゾンの半分以下。
日本にはアマゾンは無いが、愛知県には矢作川がある!と心の中で10回ほど叫んだ次第であるが、本日中のケーブル入手を半ば諦めていた事を思うと一連の流れは感動に値するもので、「ありがてえ!ありがてえ!」と何度も深々と御礼をする俺に不思議そうな顔をしながらもさらに施しのサービスキャンディをくれた一家には感謝しかない。

たかがケーブル一本で感動、感謝など大げさな話だが、勿論、街の電気店と量販店、その果たす役割が少し違う事は分かっており、街の電気店安い!すごい!最高!と手放しで褒めたい訳ではない。
こんなに些細で、簡単な事ではあるが、手に職を持ったプロの仕事を久しぶりに体感して「昔は何でもこうだった」事を思い出した訳である。
そういえば中学生のときまで、近所にあった清水電気という街の電気店が実家の家電の面倒を見てくれていて、そこのおじちゃんが据付や修理、ちょっとした配線工事などを、謎の工具やパーツで手際よくやって行くのを見てカッコいいと感じていたものだ。
とうとう俺が「将来、清水電気で働きたい」と言いだした事も数%ほど関係しているかもしれないが、両親がいつしか「安いから」と新しく出来た電気量販店に乗り換えた結果、清水電気のおじちゃんが家にやってくることは無くなったのである。
仕事ぶりもそうだが、作業しながら放たれる軽快なトーク、夕食の時間に現れてたまにうちの飯を食っていくコミュニケーション能力の高さ。俺が憧れる仕事人像は潜在的にあの人なのかもしれない。

今回のケーブル一本みたいな仕事は電気店にとってはちょっとしたサービス程度のことだと思うけれども、いつの間にか量販店でしかモノが買えない体になっていたからこそ、今回のことがここまで楽しい経験になったのかもしれない。
専門店でモノやサービスを買う経験、時々すると楽しいものである。もっと利用してみたい。
| fabricio zukkini | 日記 | 16:24 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
知らないばあさんが車に乗り込んできた話
仕事中の出来事である。
社用車でコンビニに停車しコーヒーを飲んでいると「ガッ」と後部座席のドアが突然開き、その時点で意表を突かれかなり驚いたのだが、さらに驚いた事にはそこには全く知らないばあさんがいて、後部座席の荷物を片付け、座りだしたのである。

「ん、よいしょ....」など言いながら勝手に退けた俺の荷物の跡地にチョコンと座る見知らぬばあさん。小柄だがかなり強そうな顔をしていた。
驚いた俺と目が会うも、全く動じないばかりか「早く出発せぬか」という様な堂々たる表情でこちらを見る。
いやいやいやいやいや!!!お前は誰だ!!!の気持ちをストレートに声に出すも「おばッ!ちがうッ!おばっつ、ちがッ!!ちがーーーうッ!」などといった狼狽に任せたうわ言の様な言葉しか出てこない。
そしてそれを聞いてもなお動じずにそこに座り続けるばあさん。

耳が聞こえない可能性もあるぞと思い、ハッして身振り手振りで「ココ、俺の、車、外へ、出ろ。早く。」を伝えると「ああ?違う車ァ??」とようやく理解した模様。「違う?なら出るわ」みたいなふてくされた態度に腹が立つ。
コミュニケーションがとれたと見るや「でろッ!でろック!でろッーーーク!」と一気にまくし立てる俺を「変なやつだなあ」という様なまなざしで見たあと、ばあさんはノソノソと車外に出て行った。

ふう、安心した。一体何だったのか。
さて仕事しご、、

と、思ったのもつかの間である。





「ちわーす。」

みたいな感じでなんとまた現れたのである。わーーーー!
しかも足元はクロックス!こんなところまで伝播した世界的ブランドーーーー!!

「ここ、わたしのクル、、」
「ちがっ!ちがっーーーつ!でろッ!でろック!でろッーーーク!でろっくす!クロッーーークス!!!写真!写真撮るぞッツ!しゃしっ!!しゃ!し!」

と言って写真を撮りましたがひるむ様子もなく車の周りをウロウロ。
身の危険を感じてすぐ鍵をかけたものの、何度も扉をコンコンされたりなどしてつかの間のコーヒータイムのはずがとんだ恐怖体験をしてしまった。一体何だったのだろうか。
| fabricio zukkini | 日記 | 17:53 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
ディズニー帰りの女子大学生が耳を外す瞬間を見た
ディズニー帰りの女子学生グループが乗り換え駅で分裂したときに、俺の乗った電車に残された一人が頭につけていた耳をサッと外した瞬間を見たことがあるのだがなかなかショッキングで、味のある光景だった。
余韻より世間体が勝ったのである。

ディズニー耳をつけている人は見かけるが、あれを取る瞬間にはなかなか遭遇するものではなく、へえ、そんな感じで取るんだ・・・と少しエッチなものでも見たような気持ちになったが俺はヘンタイだろうか。

ディズニーランドは「夢の国」と形容されることがあるが、耳をはずしたその瞬間、形式上は夢から覚めたという事になるのだろう。

俺は人が夢から覚めて現実に戻る瞬間を見たことになるのだが、この女史、メンタルトレーニングがしっかりされておられるのか、割と作業的で、夢から覚めたのに表情は淡々としており一切変化はなかった。

そして一日中遊んで疲れたのか(或いは照れ隠しであってほしいが)耳をはずしたのと時を同じくして彼女は座っていた席で深く眠り始めた。
夢の国再び、それを見た俺は「夢の国ハシゴだ!」って然して上手くないこと小声で言って自分でプッと笑った。

そう考えると俄然気になるのだが、みんなは一体どこであの耳を外すのだろうか。
是非知りたいものである。
| fabricio zukkini | 日記 | 09:45 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
最後に発熱する
昨日が年内最後の出社日、今日から10連休という長い冬休みを向かえるわけだが、残念ながら俺は熱を出してしまった。

晴れて2015年最後のお勤めを終え、会社を出た瞬間、俺は突如発熱し始め肩はこり腰痛も活性化、「俺も俺も」とばかりに何故か高校生のときにひねった足首のネンザまで復活する始末。
家に帰り体温計をわきの下に挟むと「あー、こりゃ熱ある熱ある!アンタ熱ある!」とばかりに挟んで3秒でピロピロ!と鳴り「38.2度」という数字が表示された。

38.2度、リアルな数字である。
39度などあったりすればひと騒ぎしてみんなに構ってもらえるものだが、38.2度はお風呂のちょっとぬるめの温度であり、「アンタぬるいよ」と言われているようで正直微妙である。
構ってもらって貴様は一体どうするのかという問題はさておき、大人にとっての38.2度は非常につらいものがあり久しぶりに声に出して「さむい、くるしい&つらい...」と、エマーソン・レイク&パーマー式の非常に分かりやすい形で苦しみを表現する33歳の夜。

今朝おきてみると熱は下がっていたものの、肩こり、腰痛、その他いろんな所の関節の痛みは体にしっかりと刻み付けられており、2015年の仕事終了と共にこれらが一気に襲ってきたような気がしてならない。

「夜の冷えがハンパない」という実家あるあるにより、毎年帰省するたび高い確率で風邪を引く俺なのでこのコンディションで帰省することにとても不安を感じているのと、何故かおとといからずっと二重まぶたになっており元に戻らない事がとても心配である。
| fabricio zukkini | 日記 | 09:26 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
息子の便意をアシストした話
息子3歳が自分でトイレに行くようになってだいぶ経った。

オムツが外れるかどうか、子育てにおける割と高い難関のひとつのように覚悟していたが、その辺はうちの妻が割りと上手くやってくれて思いのほかすんなり事が進んだようで有難く感じるとともに、着実に成長しているわが子の姿に父親らしく喜びを感じるしだいである。

息子は、脱衣、子供用便座の準備、後始末の段取り個々は何とか自分で出来るようになったとはいえ、当然まだ一人でトイレへ行って一人で済ませて帰ってこれる訳ではなく、毎回とりあえず「ついてこい」と言うので特段父親は何もする事はないながらもついていきその一部始終を黙って傍から見ている訳である。

だがそれも、小便ならすぐ終わるしまあよいのだが、ウンコだった場合は厄介である。
3歳児とはいえウンコは臭い。しかし息子は「見ていてほしい」というのである。コレがまあ、臭いのよ。長いし。

「いやお父さん、ウンコは外で待ちたいんだけど」と訴えるも「見てて」と言われれば見るしかなく、ジッとそばにいるだけの時間。
「換気扇まわしていい?」と聞いても音がすると気が散るのだと言う。となりにオッサン立ってる方が普通は気が散るだろ・・・!


先日のことである。
例によって黙って立っている横で「セイ・・ッ」と一丁前の気張りで脱糞する息子。
しばらくすると俺を呼び「お父さん、濡れてるお尻拭きでお尻拭いてみて」と言う。
「終わったのか?」と聞くも詳しくは答えず「ちょっと拭いてみてよ」と続ける。

いつもなら終わると便座から降りてケツを出してくるのだが、その日は座ったままである。
ちなみに息子のいう「濡れてるお尻拭き」とはそのまま子供用のウェットでソフトなお尻拭きのことであるが、俺はかつて便座を拭くトイレクイックルで間違えて息子のケツを拭いたことがあり、息子は「いたーい!」と言っていたのだが「甘えるな!」とゴシゴシやってしまい、とても反省している。
息子のケツから不必要なまでのフローラルな香りがしていて間違いに気付いた次第である。

で、「拭いてみて」という息子を便座に座らせたままやさしくゴシゴシやると、突然妙にすました表情で「ウンチが出るよ。」と言って一秒、あなた真剣な目をしたのち

「プリプリプリ・・・」

などと再びウンコをし始めたのである。
男33歳、「ちょwwおまww」とリアルで口に出したのはこの時が初めてである。

息子を見ると妙にニッコリしている。目論見通りといった表情で、妙に得意げである。何だお前は。あぶねえだろ。
そして続けて「もう一回拭いてみて。」と言うので仕方なくまたケツを拭いてしんぜると

「プリプリプリ・・・」

またウンコをし始めるワケですよ。
何なんだコレは・・・と絶句していると

「こういうことあるよね。」

と再び得意げな表情で、必要以上にマセた口調でそんな生意気なことを言うではないか!

いや・・・・・、確かにあるよ!あるよね!
一通りやったあとのいやあな残糞感。そのあともうひとクソが出ないときに、ちょっとお尻を「コンコンコン」とノックをすると「どなたー?」と出てくる事が、確かにあるのである・・・。
最近だとウォシュレットでボスの弱点の部分を射撃すると・・・・「こらー!誰だーー?!」って・・

でも俺がこのシステムに気付いたのはおそらく高校生の頃。
息子3歳は、、、3歳にして人生が輝く魔法のシステムの存在に気付いてしまっていたのである・・!神童だ!!神の子だ!

そういう訳で、ウチの息子は神童なのです。
皆様よろしくお願いいたします。今日は以上です。
| fabricio zukkini | 日記 | 08:23 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
蚊が常駐している
タイトルの通りである。

家に蚊が常駐している。駐在所があって、死んだら入れ替わり、そうだとしか思えない。
俺が蚊を殺しても次の日には蚊がいる。別の蚊かどうか正直わからないが、また蚊はやってくる。
殉職した蚊の、その次の担当者が呼ばれてまた駐在するシステムでもあるようだ。
それくらい毎日蚊を殺している。殺しても殺しても、次の日にはフレッシュな蚊がやってくる。

この季節の蚊は動きが鈍く、殺すのが比較的容易い。
従って、見つければ都度殺すことが出来ているのだがそれがほぼ毎日の作業となっている為、毎日蚊がいる恐ろしさに直面している。

蚊取りグッズのあれこれを色々試しているがそれらをかいくぐって蚊がやってくる。
君たち一体何なんだ。こんなに俺の家に執着するなんて俺の家に何か宝でも眠っているとしか思えない。何かあるのか。場所を教えなさい。


そういえばであるが、世の中のチャレンジングな取り組みの約8割は「元は刑罰だった」または「脅されて」等のある種の強要で説明がつくと考えている。
スキーのジャンプが刑罰であったのは有名な話であるが、ナマコの刺身もたぶん元々は酔った漁師がワルノリで始めた罰ゲームだったと考えている。
また、最近ようやく開放されたが、中日の山本昌がなかなか引退しなかったのは悪の組織に脅されていたからだという説を唱えている俺である。

そういうわけで俺の家にやってくる蚊はきっと罪人とか政治犯みたいなやつだと思う。
血を持ち帰り、生き延びた蚊は無罪放免、家族と再会というハートフルな展開もあるのだろう。
そしてそうするうちにスキー大ジャンプのように、いつしかスポーツ化されたらたまらない。

そう考えると毎日やってくる蚊を殺さずにはおられない俺である。
 
| fabricio zukkini | 日記 | 00:10 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |







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