ぼくののうみそ-・x・

ムラン君の布団
上京して最初の一年半を過ごしたくだんのに、ムラン君という男がいた。
ムランは勿論ニックネームで、彼の苗字をきちんと発音するのが面倒になってきた一部の人間が、口を開かずに発音しようと努力した結果生まれた22世紀型の退化苗字ともいえる。

年齢は一歳年上。
彼は現役時に合格した大学に納得がいかず、留年して再トライしたのだが、望んだ結果は得られず、そればかりか現役時代に合格した大学に、留年したのにことごとく落ちるというミラクルさえ起こしている。

「スロットにハマってさ」

寮で1、2年生が最初に住まわされる4畳半の狭い部屋で、近眼の目を細め、マルボロのけむりをくゆらせながら、自身のデンジャラス・ストーリーのスタート地点をそう語っていた。

完全夜型人間の彼が大学に行っているのはほとんど見られていない。
起きたての彼の寝癖はもの凄く、その天を突く髪型を指して「綾南の仙道」とも呼ばれていた。
そして昼過ぎにムックリ起きると、寮の先輩や同じ学年のスロット好きとつるみ、「アツい!アツい!」と言い合いながら、近隣のスロットへ消えて行った。

「いや、奨博金ばい」

寮で1、2年生が最初に住まわされる4畳半の狭い部屋で、近眼の目を細め、マルボロのけむりをくゆらせながら、「奨学金を賭博につぎ込む行為をどう思うか」という俺の質問に、そのときばかりは目を見開いてそう語っていた。


ムラン君の部屋は汚かった。
ゴミがゴミを呼ぶ典型的なゴミ屋敷。小さいゴミが大きいゴミの呼び水となり、大きいゴミのせいで小さいゴミが隠れてゆく。
積み重なったゴミを見かねた他の学生が掃除を申し出ると彼は言った。

「これはゴミなどではない」

入り口で我々を制し、そう語る彼の眼光はとても鋭く、この部屋でなら彼に抱かれてもいいと思った。
だけどカビた餅を発見したときはさすがに引いて、「餅はすてんね」と言うと「うん。」と彼は言った。お、そこは最後まで突き通せよ。

汚い部屋には万年床が定番。
元々ベッドはあったが、彼はそれをおもむろに解体し、部屋の隅に瓦礫のように無造作に積み重ねていた。見る人が見ればモダンアートだが、全然違うただの4畳半には致命傷。
あの「大改造!!劇的ビフォーアフター」に言わせても「なんかもうすごくやばい家」としか出てこないような、構造上のとか言うまでもなく、「片付けろ」と匠(たくみ)にいってもらえばすぐ解決。

狭く汚い四畳半だったが、なぜか人は集ってきた。
ちょっとした搬入用エレベーターのような様相を呈した狭いウサギ小屋には常時3、4人がたむろしていた。漫画を読むヤツ、ゲームをするヤツ、買って来た飯を食うヤツ。
どいつもこいつも、既に汚れきったこの部屋を大事にすることはせず、ゴミ屋敷に栄養を与えるがごとく、持ち込んだ食い物のゴミなどを残して去ってゆく。食い物をこぼしたり、飲み物をこぼしたり、タバコの灰を落としたりとやりたい放題であった。

そんな環境下に今日の本当の主役、ムラン君の布団は敷かれていた。
スナック菓子、ジュース、タバコの灰・・・。万年床となったムラン君の布団の上には、長い間かけて色々なものがこぼされて行った。
だけどムラン君はそれらが外来者によって布団の上にこぼされる度に、ごめんと謝る我々に泰然自若たる笑顔でこう言った。

「よかよ、手で馴染ませて」

手で馴染ませる―。聞き慣れませんか。私も昔はそうでした。
馴染ませるとは言葉通り、つまり布団の上にこぼれたものを手で擦り付け、しみ込ませる行為だ。洗うとか隠すとか、捨てるとか、そういうゴミを排除する行為とは全く逆の行為。
排除するどころか受け入れる、それが「馴染ませる」。
ホントに馴染むのかと、最初は首を傾げながらやるのだが、ゴシゴシ手てやってみるとスーッと消えてゆく。馴染むのだ。

西洋人が自然を敵と見なし、攻略すべき、開拓すべき相手だと考えたのに対し、アジア人は自然の中に神を見出し、独特のアニミズムによって、共存すべきものだと考えた。
西洋化の波にスポイルされた我々はいつのまにか同じようにこのゴミを攻略すべき敵と見なし、忌み嫌ってその対処に莫大なコストをかけ、地球環境へのダメージを強いて来たのだ。

そこにあってムラン君の掲げる「ゴミとも友愛」の精神はどうだ。「友愛」を標榜する鳩山サンでもゴミまでとは言ってない。
自然に代わって我々の前に今立ちはだかるゴミという新時代の人類の強敵を前に、彼は全てを布団の中に馴染ませることで受容し、共存したのだ。

「これはゴミなどではない」、そう言い放った彼の言葉が強く思い出される。
(そんなムラン君にさえ捨てられた餅は一体なにものか?)


俺も色んなものをムラン君の布団に馴染ませたものだ。やはり落とすものとしてタバコの灰が断トツ一番多かったが、忘れもしない、凄かったのはウニ。別にティッシュで取っても良かったが、一応礼儀として馴染ませていいのか聞いてみると、「馴染ませていい」の許可が下りる。
果たしてウニが馴染むのかと半信半疑だったが、「大丈夫、落ち着いて、馴染ませていい」というムラン君の指示に従い手で漉(こ)すように布団に馴染ませるとアラ嫌だアナタ・・・!超馴染んだ。

「ウニの夢が見れますね」と言うとムラン君はゲームをしながら横顔で「次はアワビをこぼして」と笑った。超越している。


色んなものが馴染んでは消えて行った彼の布団の断面を見たい、どのように積層されているのか見たい!という夢は、俺が途中で寮を出て行ったことで叶わなかった。
出て行くとき、ムラン君は「将来、物書きになってね」と言ってくれた。

いつか本を出して、それがムラン君の部屋に転がるゴミの一つになれたら俺は嬉しい。

「これはゴミなどではない」

そうだね。



| fabricio zukkini | | 02:23 | comments(5) | - | pookmark |
初めてのアルバイト(その1)
草なぎ剛全裸で逮捕!という、「お笑いブルーシート〜満点大笑い〜」なんて言うくらい、ネタにするにはもってこい、ネタ系ブロガーの皆様におかれましてはアクセスアップのジャンピングチャンスが到来しているのですが、そんな中「草なぎ 飲み屋 女友達」という皆様が知りたくてたまらない検索キーワードを無視して、俺は誰も知りたく無い「俺 アルバイト 経験 シンゴー シンゴー」について書きたいと思うのです。どうもすいません。


****


初めてのアルバイトは大学生になってから。

高校はアルバイト禁止だったのだが、そもそもど田舎にはアルバイトをする場所が無く、また土日も部活をやっていた俺には仮にバイト先があったとしてもとても時間が無かった。小遣いはまさかの3,000円。中学まで小遣い等なかったわけだからこれでも大きな進歩だった。
今だと少ないとしか思えない小遣いだったが、アルバイト先が無いのと同じで、お金を使う場所も時間もなく、この3,000円すら一ヶ月で使い切る事は無かった。つまりそもそもアルバイトをする必要も無かったのだ。

大学に入ってもしばらくはアルバイトというのが妙に自分とは無関係なものに感じられた。
高校のときからアルバイトをこなし、半分社会へ片足突っ込んでいる都会のキッズとは、したがって大学入学時にすでに差を付けられていたようなもので。(ここに「都会に慣れる」という作業に半年費やすハンデもプラスされますとサークルに入るどころではなくなります)

初めてのアルバイト、それは渋谷にある某百貨店のデパ地下で洋菓子を販売する仕事だった。
都内のデパ地下であればどこにでもあるメジャーな洋菓子屋ということだけ言っておきたい。 デパ地下の食料品売り場というと、全体的にキチッとした雰囲気と清潔感が溢れているもの。それが渋谷のど真ん中ともなれば客層もハイソで、それを迎えるに相応しい接客態度が求められるのだ。

じゃあそんなところに何故俺のようなC級人間が働く事になったのか。
元々は、書き出してから全く進捗の無い例の「」の先輩から「就職活動で辞める自分の後任」、という形である種引き継ぎのように紹介されたのがきっかけ。
聞けばこれがどうも「塾の人間によって代々受け継がれている世襲のアルバイト」らしく、俺を紹介した人もまた上の誰かに紹介を受けて入ったのだという。それにしても「世襲のアルバイト」とはもの凄い響きだ。当時大学の友達に説明しても「伝統芸能の継承のような仕事?」と全く理解されなかったが無理も無い。
「いえ、チョコレートを売るだけの簡単な仕事です」

そもそも「地下の食料品売り場」というと地元の地下道の脇で座って花とか果物を売っていたおばちゃんしか連想できず、デパ地下がいかなるものか全くわからなかったし、聞けば「同僚はおばちゃんかブスしか居ない」というし、誘われたときは全く乗り気じゃなかったのだけど、アルバイトを始めるに際してどうしても通過せねばならない面接というものが採用前提で行われる為、形式だけで済む事と、元々働いていた人から紹介してもらうということで、新しい世界へ飛び込む際に最も苦労する人間関係の構築という面についてもある程度はスムーズなのかなと、そう思って話にのることに。

そこに飛びつくに至るにはアルバイトが見つからなかったという背景もあった。

自分でも色々と探してはみたのだが、奇をてらう性格のせいでどうしても普通の、簡単なアルバイトを避けてしまい、結果普通の大学生では中々決まらないということの連続。そしてたどり着いたのがチョコレート売り。別名「世襲のアルバイト」。名前だけなら奇をてらい過ぎである。

最初は必要以上にあーでもないこーでもないと理想やこだわりを全面に出し、結局最後は周囲が「あれれ?!」と言うほど妙に普通のところへ落ち着く、というのは今までの俺のパターンというか・・・トホホ!


忘れもしない初めての面接。面接というと高校入試のとき以来で、履歴書だって考えてみれば書いた事が無い。もの凄く緊張した。
実際の職場となる洋菓子メーカーが直接面接するのではなく、その店舗が入っている百貨店の食料品売り場を統括する責任者が面接をするのだという。権威にすこぶる弱い俺は「統括」という、どれくらい偉いのか全く想像できない肩書きに無用な警戒感を示す。

その当時の俺は大学生らしく茶髪で髪の毛も長め。採用前提とは言え、採用された後の事を考えると面接のときに印象を良くしておきたいと思うのが普通だろう。
ヘアカラーのPaltyという、デザインからしてギャル仕様としか思えない製品の中の「ナチュラルブラック」というものを購入。
“一日だけ黒髪に”とかいう謳い文句があって、きっと日本全国のギャルが、俺と同じように、バイトの面接時のみ、面接官を欺く為にこれを買ってゆくのだろう。

どのタイミングで黒くすれば良いのか分からず、とりあえず面接前の朝、若気の至りの茶色い部分を黒く染める。
スプレータイプのヘアカラーを取りあえず全体的にプシューと吹き付けてみれば“一日だけ黒髪に”という謳い文句にも納得。その黒さの不自然さといったら日本人の美しい黒髪とはほど遠く、鉛筆で書くべきところを黒鉛筆書いたようなわざとらしい黒色で、「これは一日だけで勘弁してもらいたい」と思った。

不自然ではあったが、茶髪と黒髪ではやはり無難なのは黒髪なので、ともかく今日だけはと決めそのまま出発。
面接が行われたのは事務所の一角。面接室でもあるのかと思っていたが、通常業務の合間をぬって、という感じで周りで忙しなく人が動いている中ざっと行われた。
統括はスーツにYシャツとネクタイ、そこにさらに白衣を着るという、デパ地下特有の変な格好で現れる。ゲッ、俺もこの変なの着るのかよなんて思いながら昨晩寝ながら書いた渾身の履歴書を提出。早速だが、志望動機の欄に書かれた「生活を楽にしたい」というところを「ここはそういうことを書くところじゃない」とおしかりをうける。その他にも色々とありがたい御指摘を受け、ちぐはぐだったボクの履歴書もすっかり統括されてしまいました(ぺろり)

質問が続く。

「君はサッカーかなんかスポーツやってるの?」
「サーフィンやってるの?」
「登山やってるの?」
「結構活発に外にでるの?」

ふうやれやれだぜ。九州男児と聞いてステロタイプ的にワイルドな、活発的な男だと思っちゃったのか、野外アクティビティにまつわる質問が連続で飛んでくる。お言葉ですが統括、九州男児は19世紀に水質汚染と乱獲が原因で絶滅しましたよ。

こちらは面接素人。とりあえず質問に対しては「はい」が多いほうがいいと思い、スポーツ、登山には「はい」と答えたがさすがにサーフィンはやっておらず無念の「いいえ」といきたかったが余裕の「はい」。最新型九州男児なんてこんなものよ!
チョコレート売りに何か関係あるのかと思ったが、「ハッ!もしや統括様はイエスマンを欲していらっしゃるのでは・・・」と悟ると、それ以降も続けて「はい」を連発。相手のニーズを心得た、会心の面接だった。

初めてのアルバイト面接を終えると逃げるように家路を急ぐ。せっかく出て来た渋谷の街にも目もくれず、井の頭線を目指して早歩き。
家に帰ってさあPaltyを、よそ行きmyselfを洗い流すぞと、鏡の前に立ち、自分の顔を見たところでビックリ仰天。そこに居たのは松崎しげる。恐らく面接の行き帰りでかいたのだろう、汗でPaltyヘアカラーが落ち、自分の顔の鼻から上半分が炭坑夫のような黒さ。ドリフの爆発コントでした。

ここで面接の内容を思い出す。

《スポーツは・・サーフィンは・・登山は・・松崎は・・》

「なるほどこの顔のことだったのか」と、ようやく統括の質問の意味を知る事になる。統括は驚いたことだろう。面接に現れた男が不自然な黒い顔。日焼けなのかすす汚れなのか一体どう判断してよいのか分からぬ気持ちを統括は色んな質問で解明しようとしたのだ。

未知のものになんとかして自分なりの説明をつけて納得しようとする、分かる、分かるぞ統括できない統括の苦しみ・・・

それでも所詮は出来レース。俺の顔が黒かろうと志望動機が意味不明だろうと予定通り翌週の土日からシフトに組み込まれることになる。

《俺を採用したこと、後悔させてやらァ・・・!》

しかしその後、採用されて後悔したのは俺のほうであった。


近いうちに書く「その2」へつづく・・・


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| fabricio zukkini | | 14:55 | comments(2) | - | pookmark |
大学進学の為に上京して最初に住んだのは寮だった。

寮と言っても普通の寮、下宿屋などとはちょっと異なり、住んでいるのは俺の地元の出身者かそこに縁のある人だけという、県民寮よりさらにピンポイントな市民寮のようなものだった。従って住んでいるのは同じ高校の同級生や先輩などが多く、勿論同じ高校出身者とてその寮で初めて話した人も多かったが、実質的には大学1年と言うより高校4年生という感覚にやや近かった。

その寮の性質について細かく言うと長くなってしまうわけだが、ただ学生を受け入れて生活させるアパートのようなモノではないところが一つ大きな違い。
普通の寮とは一線を画す独特のルールやイベント、風習が数多くあり、大学の友人への説明には度々困らせられた。
それもそのはず、寮の名前の末尾には「○○塾」と付いており、元々の興りが慶応義塾や同志社のような藩や地方有力者が作った私塾のようなものだったのだ。寮の説明会で聞いたところによると、慶応や同志社が大学として学生に広く門戸を開いたのに対し、あくまで私塾としての形を残したのだそうだ。
その色は段々薄れて来てはいるものの、やはりそこでの暮らしには時折歴史や変な格式の高さの欠片を感じさせられた。
「大学ぐらい塾や予備校に行かないで自力で入れ!」と親に言われた俺が、大学に入った後に「塾」に入るというこのアイロニー。こういうことだったんですねお父さん。

歴史や格式が時折煩わしいこともある。
上に書いた『独特のルール』とは例えば寮生一人一人が「塾生」と呼ばれたり、「塾歌」という歌を覚えさせられ、折に触れ大声で歌わせられたりすることなどで、『独特のイベント』とは、例えば寮のあった多摩丘陵の閑静な住宅街を巨大なモニュメントを載せた台車を曳き回す奇祭を突発的に行ったりすることなどで、これを行う為に大学の授業を休まされたり、早く帰ってこさせられたりと、寮の様々な行事が何かと学生生活にちょっかいをだして来ていた。

一般の大学生がサークルだ、新歓だ、と楽しくやっている最中、我々は横一列に並ばされ「貴様等は塾歌をきちんと覚えたのか。あ?」というテストを強いられ、夜の神奈川北部で、今や遠くにある故郷の風景を随所に盛り込んだ郷愁溢れる素敵な歌詞を大声で歌っていた。
一般の大学生がクラスコンパだ、合コンだ、と新生活を彩る新しいネットワークを増やしていらっしゃる最中・・・!我々は「塾祭」という名のカーニバルにて新入塾生の出し物として発表する「創作ダンス(振り付け:俺)」の練習を必死で深夜遅くまで行っていたのである。

「いや、ホントに、そういうのが嫌だったわけではないですから・・!」と何度説明したことか。
一年と半年経ったときに、上京して一年経つのに一向に東京に慣れず友達も増えない事を、関東に存在する小さな故郷という甘い環境に自分が身を置いているためだと考えて俺はそこを出る事にした。

先ほどの『独特なルール/イベント』が煩わしかったのも確かにあり、それを原因に出て行く者も少なからず居た。
それも一つにはあるかもしれないが俺の場合は自分の学生生活を邪魔しないで欲しかった、ちょっと放っておいて欲しかったと言うより、あまりに住み心地が良過ぎるあまり、いつしか自分の東京生活の中で、東京/故郷、大学/寮、地元の友達/大学の友達、というような区別をしている自分に嫌気がさしたのだ。
人間関係を器用に出来ないので、寮を出たらよそ行きの自分、戻って来たら本当の自分、なんてことが続き、いつしか地元に居るときよりより強固な愛郷者になっていたような気もする。

本当は東京で一から新しい人間関係を築く自分の姿に憧れていたのだが、現実は寮に帰り、「関東の人間はあーだこーだ」と地元の仲間を言い合う日々で、俄然地元の仲間との絆ばかりが強まるばかり。
このままではただ東京で勉強しただけで、こちらに何ら思い出もコネクションも作る事無く、結局福岡あたりで仕事見っけて・・・、という未来に危機感を感じていた。

その後高円寺に引っ越し、風呂無し、金無し、出席無しの悲惨な大学生活がスタートするのだが、そんな高円寺生活とて結局最初はそこに住んでいた地元の友達を頼って行っただけであり、東京が!上京が!生きる意味が!プライスレスが!などと理由づけても俺は所詮そういうもんなのだ。
寮生活をしていた大学1年のときはほぼフルで単位を取ったことだし、2年のときだって同じくきちんと出席していた。大学の前半は学問への熱い情熱もまだあったし、垢抜けない真面目さもまだまだ持ち合わせていた。ましてや今みたいに他人の皮肉を言って笑いをとるだなんて・・・><
もし寮にいたら・・・なんてこともいまだに考えたりするが、寮を出て一人暮らしをした自分しか今ここには居ないのでどうしようもない。

そんな訳で一年と半年居ただけなのに今でも懐かしく思い出してしまう寮生活。
上京した興奮が一人暮らしの寂しさ、上京の不安で消されないというアドバンテージがあり、その中での生活は中々濃いものだった。そこに暮らす塾生(以後こう書くことにする)も変わった人が多く、その生活は大学で無理して友達を作る気を失せさせるほど魅力的だった。

今までも何度かあの日々を記事にしようかと思っていたのだが如何せん出来事が多過ぎるし、最初にあの特異なシステムの説明書きをするのが億劫でなかなかそれに至らなかったのだが、記憶の中からぽっかり抜け落ちている上京直後、そして一人暮らし前という何か混沌としていた時期の記憶を再び呼び戻すために、一つそのきっかけとして今後ぽつぽつと思い出しながら今後思い出す度に書いてみたいと思う。

というわけで、新カテゴリー「塾」を追加しました。

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| fabricio zukkini | | 22:03 | comments(2) | - | pookmark |







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