ぼくののうみそ-・x・

色んな勘違い 2
大人同士がニヤニヤと俗っぽい話をしているときって、子供ながらになんかその下世話な感じを察知して妙な不安感や嫌悪感を覚えたりしなかっただろうか。
それは両親同士の会話だったり、テレビの中で芸能人同士がしてるトークだったり、会話じゃなくて雑誌の中の文章でもあったり・・・
そしてそこの中で出てくる意味の分からない単語にも同じく分からないなりにも妙な嫌悪感を抱いて、苦手意識を持ってしまうなんてことはないだろうか。

例えば横で聞いている大人同士の会話の中で何か分からないことがあるとする。
その場ですぐに意味を聞いて納得した後、以降新たな自分の知識となるのが通常だけど、ごくたまに何となく《エロい方面の言葉なのでは・・・》と考えて聞けない言葉ってのがあって、それが長い間勘違いのままに放置されていると大人になっても妙に苦手意識を持ったり、変なイメージをまとわりつかせたまま認識してしまうということがある。(性的なものごとに関する話題を親や身近な大人としたくない、という心理だろうが)

そんな風にしてこの歳まで引きずってきた幾つかの言葉が俺にはあり、そういうものを中心に、その他、前回書ききれなかったものを含めて、色んな勘違いパート2を発表しておきたい。

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あげまん、さげまん

あげまん、さげまん、という言葉が苦手だった。
そもそもは俺の素敵な勘違いで、あれはやりチンとかやりマンとか、もっというとモリマンにも通じるそういうハシタナイ言葉と成り立ちが同じなのだと思っていたのが原因だ。
実際のところ同じような勘違いされている人は多く、むしろそちらが主流になりつつある感もあるが、元々はそれとは関係無いらしい。(諸説あるらしいが、俺が読んだものでは関係無い、と。)

女性タレントがテレビで堂々と「あげまんなんです」とか言ってるのを観るたびに、《この馬鹿は育ちがいいから知らないんだろうけど、それは元々の意味はなあ・・・》と勝手にプルプル震えていた。
非常に恥ずかしい勘違いではあるが、これは逆に正しい意味を知っていても世間的にはそうは思われていないので堂々と使えないのではないか。難しい言葉である。


すったもんだ

「すったもんだ」という言葉もいまだに好きになれない。
そもそも「いやあ、○○もずいぶん大きくなったもんだ」などの「〜なもんだ」なのかと勘違いしていて、「すったもんだ」についても、とりあえず全く意味は分からないにしても「いやあ、すったもんだ」という、何かを「よくぞすった」ことへの感嘆の意なのかと思っていた。

そんな中だ。宮澤りえが出ていた「りんごのチューハイ」か何かのCMで「すったもんだがありました」とか言っていたのを聞いて、当時宮澤りえといえばなんか分からないけど学校などではなぜか「セックスシンボル」的な位置づけであったことから、「すった、もんだときたらこれはアノ力士との性的な何かである」という判断が下り、正しい意味を知った今でもこの言葉を聞けば何か後ろめたい感じがしてならない。


奥手

奥手という言葉をずっと「奥の手を持っている」もしくは「奥に手を潜めている」的な意味でとらえ、本来の意味とは異なる、非常に床の上手な人の事だと思っていた。
何か秘めたサムシングを隠し持つ巧みなアイツ・・・
中学のとき「○○くんは奥手だねえ」と言われた事があり、「おうよ!」ともの凄く動揺しつつも自慢げに返事をしたのだが、あれは今思うと恥ずかしい。


ベルファーレ

ラフォーレとベルファーレを同じものだと思っていた。これはついこの間まで。
ラフォーレは主にアパレル関係のお店が入る単なる商業施設で、ベルファーレは六本木のディスコだ。東京だとラフォーレは原宿にあり、場所から判断しても全く別もの。なのになぜか同じだと思っていた。
ある日、大学の教室で近くに居た女の集団の中から聴こえてきた「このまえラフォーレいってきて・・」という言葉を聞いてビックリ!
「あの女(タレ)ども、文学部のくせに・・乱れた遊びをしやがって!」と思ったのは言うまでもない。

その後ラフォーレがベルファーレとは無関係ということが分かり安心してラフォーレ原宿へ行ってみたのだが、客層がアレだったので苦手なのは変わらず。
先入観という形でベルファーレの影がちらついていたのかもしれないが。


ビデ

小学生のとき、たまたま山で拾ったエロ本に「ビデ」という言葉と、それを用いた、なんだか良くわからないがとにかく助平な小話が載っていた。
その他のことは忘れても「ビデ」という言葉と大まかな使用法だけは記憶に残っており、脳内で勝手に「おとなのオモチャ」という扱いになっていた。
一応説明するが、日本におけるビデはwikipediaによると「小用後の女性器の洗浄を行う為の器具」とされている。当時の俺には馴染みがないシロモノ。
時がながれ中学生になったとき、離島に暮らすじいちゃんの家がウォッシュレットになったと聞き、正月にじいちゃんの家に行った際、どうらそのウォッシュレットとやらを拝見しますか・・・と中に入って愕然、そこには「ビデ」というあの素敵なオモチャのチャチャチャが・・・!

《これはこれは、中山ビデさんがとうとうウチクルですか・・・イクイクぅって、これは笑い事じゃねえ!》

俺の後に入室し、「洗浄と間違ってビデを押して服が濡れた」と言って家族の前ではしゃぐ弟の横で、俺は気まずさから一人寝たフリをした。


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| fabricio zukkini | 素敵な勘違い | 14:55 | comments(0) | - | pookmark |
色んな勘違い
「命あってのものだね」

「命あっての物種」という言葉を、俺は「命あってのものだね。」と「命大事だよね、そうだよね。」的なゆるい呼びかけか何かと勘違いしていた。
実際意味はあまり変わらず特に苦労したことはないが。


「矢切のわたし」

子供の頃、親にちあきなおみの「矢切の渡し」という歌を覚えさせられ、じいちゃんの家にあるカラオケで何度も歌わされていた。
ずっと「矢切のワタシ」だと思っていたのだがそれは全くの勘違い、正しいタイトルを知ると同時に歌詞の意味も知り、その悲壮感漂う内容に大変がっかりした。


「ヤンキー」

中学の社会の時間に何がきっかけか「ヤンキー」の語源についての解説があった。解説したのは社会科教師、ナンリ先生。
「ヤンキーの語源、しっとるか?」と、自身も元ヤンキーらしく得意げに問いかける。しかし出てきた説には生徒もびっくりがっかり、「ヤクザに限りなく近い存在=ヤン近(きん)=ヤンキー」という説。
「ヤクザに限りなく近い」の前提から既におかしい。


「ポーカーフェイス」

ポーカーフェイスの意味を知らず、楽しそうな顔のことなのかと思っていた少年の頃の俺。
「ポーカーフェイスで」と言われると取りあえずニコニコしていた。


「おれいのプー」

子供の頃、俺は父親からバラエティ番組の一切を禁じられていたので、テレビで流行していることは友達が話しているのを聞くことで情報をキャッチし、何とか話題について行っていた。
間寛平が「お礼のプー」というギャグを流行らせていた頃、いつもと同じように友達の会話から聞えて来たその新しい流行語をすかさずキャッチすると早速自分も使ってみた。
「俺のプー!」
友達は子供特有の残虐さで俺を全力でバカにした。


「ナイーブ」

昔、「ナーバス」と間違えてこの言葉を使い続けていた時期があった。
中体連の当日、「ナイーブになるな」と俺に何度も言われたつよし君は一体どういう気持ちだっただろうか。



このような素敵な勘違い、皆さんにもあることと思います。
| fabricio zukkini | 素敵な勘違い | 10:50 | comments(10) | - | pookmark |







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