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And More!!!



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And More!!!(エンド・モア)は、アメリカ・ミネソタ州出身のロックバンドである。1965年のデビュー以降、プロ・アマチュア問わず世界中で行われる大小様々なライブに出演するライブバンドとして人気を博している。特に最近、1980年のアルバムを最後に、現在はライブ活動のみとしており、出演ライブ数は公式には発表されていないものの、「世界で最も出演予定の多いバンド」とされている。





メンバー
テリー・エンドモア(terry andmore 1940年7月10日 - ) - ボーカル、ギター
ロビン・エンドモア(robin andmore 1941年8月8日 - ) - ギター、ピアノ
ミート・エンドモア(meat andmore 1940年4月13日 - ) - ベース →1978年死去
ウルフ ・エンドモア(wolf andmore 1938年10月2日 - ) - ドラムス →1977年脱退
1977年から加入:バッファロー・エンドモア(buffalo andmore 1960年1月8日)
1979年から加入:ブロッケン・エンドモア(Brocken andmore 1974年3月19日)
※メンバーは皆エンドモアを名乗っており、バッファロー・エンドモア(それまで所属していたザ・グーニーズではバッファロー・ジョンを名乗っていた)のような途中加入のメンバーもこのルールに従った。



結成とデビュー
1960年、ミネソタ州のバリ・ヤバカーキー高校の掲示板に当時クラスメイトだったロビンとテリーがバンドメンバー募集の貼り紙を出した。これを見たミート、ウルフ、ウルフの弟のウォーズが集まり、5人でアマチュア活動を始める。当初バンド名は「The Calciums(ザ・カルシムス)」であったが、体調不良が続いたウォーズが脱退した1963年に、「前向きな名前にしたい」というミートの提案から「And More!!!」に決まった。1964年、ミネソタ州のロックバンド・コンテストで優勝し、翌年、モーニングエレクト・レコードと契約。1965年にシングル『And More!!! (邦題:アンドモアの目くるめく世界)』でデビューする。このシングルのヒットにより、同年にエレクトラレコードと契約を結びメジャーデビューを果たす。


特徴
2009年にロックの殿堂入りを果たし、2010年には「最も出演予定の多いバンド」としてギネスにも認定された。ただしこのとき認定された数「7892万4592回」は確認が取れているものだけであり、実際にオファーを受け出演予定だったライブ数はこの数倍と言われている。

音楽性の違いから1985年にウルフが脱退、また1992年にミートが飛行機事故によりこの世を去ったものの、結成当時から身上としている美しいコーラスサウンドは現在も健在。

ギャランティーを重要視せず、また、世界各国幅広いライブ活動をモットーとしており、来たオファーに対して断りを入れたことはない。ただし、全てのオファーを快諾するあまりダブルブッキングどころか何重もの出演依頼を同時に引き受けるのが常であり、ライブ告知の出演アーティストの箇所に「・・・・And More!!!」と書かれているが、実際にはライブに姿を現さないことが多く、主催者もそれを分かった上で記載している。

従って、ライブ会場によっては、きちんとAnd More!!!の当日出演キャンセルを連絡することもあるが、最近ではこのアナウンスは省略されがちである。


エピソード
・日本ではいまだアンド・モアとエンド・モアで統一されて居ないが、最近ではエンド・モアとするのが一般的である。

・リーダーのテリーは影響を受けたバンドとして「etc...ザ・エトセトラ」を挙げている。And More!!!同様、「etc...」も出演オファーを断らないバンドとして現在も活躍中だが、テリーは度々インタビューなどで「『etc...』を見習って出演オファーを受け続けている」と語っている。

・こうしたAnd More!!!の活動に影響を受けたバンドとして、日本では「」、「他多数!!」などが有名。「」も「他多数!!」も、共にAnd More!!!の92年のジャパンツアー時に競演を果たしている。

・近年、ロック以外のクラブイベントなどからもオファーも多く、「音楽である以上OKし続ける」としてこれらのクラブイベントにも名前が載ることが多い。



アルバム

  • 1965年 アンド・モアの素晴らしき日々 -All That And More!!!
全米40位 全英65位
  • 1967年 ドゥー・ユー・ライク・ア・バード? -Do You Like a Bird?
全米11位 全英7位
  • 1970年 アンド・モアと走り回ろう - We Love And More!!!
全米300位 全英 −位
  • 1976年 アンド・モア4(通称:ピンク・アルバム) - The 4th
全米1位(プラチナム) 全英1位(プラチナム) 世界総売り上げ5,000万枚
  • 1980年 アンド・モア 最後の戦いAnd More Last Stand 
全米2位(ゴールド) 全英3位(ゴールド)  世界総売り上げ3500万枚



| fabricio zukkini | Net:a_pedia | 18:58 | comments(2) | - | pookmark |
マルチまがい農法
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マルチまがい農法(-のうほう)とは字義通りでは「マルチ農法」に似て非なるものを指す。※ここで言われている「マルチ農法」とは「マルチ栽培」を指し、マルチと呼ばれる多孔質のフィルム(空気を通し,水は通さない)を地面に被服することで、雨水の侵入を制限し、高品質のみかんの増産を図る栽培法のことである。

マルチまがい農法の代表的なものを幾つか示す。

1.じゃがいも、なすなどについて、マルチさえ被覆すれば、通常避けなければならない2〜3年以内の連作も行えると勘違いし、連作してしまう農法。マルチのマルチな才能を過信した作業者が誤って行う傾向にある。

2.多孔質フィルムではない、ただのフィルム(空気を通さず、水も通さない)を地面に被覆させ、窒息させる農法。

3.本来、太陽光を効率よく反射させる為に白いマルチを被覆させることが多い(場合によっては黒マルチ、透明マルチも使用される)が、マルチ全体に、お気に入りのアニメのキャラクター、ハリウッドスター、場合によってはアダルトな絵柄などを印刷し、マルチ本来の役割を大幅に半減させる農法。反面、「農作業が楽しくなった」と語る作業者も多く、近年このキャラマルチの横行が問題となっている。

現在のところマルチまがい農法への決定的な対策法は無く、マルチまがい農法を利用しない、という各人の意識向上に委ねられているのが現状である。



関連項目

マルチまがい泳法
| fabricio zukkini | Net:a_pedia | 13:14 | comments(2) | - | pookmark |
キャンタマン
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キャンタマン』 (CantaMan) は1985年に衢臧悗陵Ъ劼茲衄売されたアーケードゲームで、主人公を操り魔界の支配者にとらわれた姫を助けに行くシューティング系RPGゲーム。日本 での爆発的なヒットを受け、1985年12月7日にファミリーコンピュータで発売。

クリアー困難なゲーム

プレイヤーの多くが1面の中ボス「ウンガウンガ」のところで嫌気が差すと言われる。
ウンガウンガの弱点である第三の目が開くのが60秒に一回であり、しかも開く時間は僅か0.5秒。その間プレイヤーはウンガウンガの執拗な「炎攻 撃」や「デス・レーザー」に耐えなければならず、しかも第三の目が開いたときにウンガウンガが「分身」した場合、第三の目への攻撃は絶望的とされている。
プレイヤーはこのような条件下でウンガウンガの第三の目に3発の銃弾を命中させなければならないため、ほとんどのプレイヤーがここでプレイをやめた。

唯一(?)の完全クリア者の証言

発売から4年後、神奈川県在住の大学生により撮影されたエンディング画面が「月刊ファミコン 4月号」に「キャンタマン遂にクリア」という衝撃の 記事と供に掲載され、ゲームファンを驚かせた。これが公式に認められた唯一の前面クリアの例とされる。よって現在のところこのゲームをクリアできた人間は 一人だと言える。
その大学生の証言によると、ステージは全13面に及び、8面以降「ウンガウンガ」がザコキャラのように大量に登場し、10面はさらに「全く何も見えない暗黒の世界」だったという。さらに恐るべきことに、12面、13面に関しては「あまりに辛い体験で、すべての記憶が消えている」という。
この記事が「月刊ファミコン 5月号」掲載されるやいなやそれまでプレイを放棄していたプレイヤーがこぞって再挑戦した。

現在発見されている裏ワザ

キャンタマンをクリアする上で欠かせないのが裏ワザだが、現在の所24の裏ワザが発見されている。クリアへの近道となる、推定35ほどの裏ワザが 隠されているとされており、つい最近も発見された。もっとも有名なものは「AボタンとBボタン同時×2 ↑↑→→セレクト+Aボタン」で≪キャンタマンが 笑う≫。
だがどの裏ワザもその難しさの割りにそれに見合った効果がないためほとんどのプレイヤーが利用しない。

*現在発見されている裏ワザの一部
・Bボタン連打にAボタンの2ビートで合わせる・・7秒透明になる(ただしウンガウンガの前では無効)
・↑↑↓↓→→←←と同時にAボタン連打・・ウンガウンガが出てきにくくなる
・Bボタン長押し・・・音が小さくなる(マナーモード)

関連:キャンタマン2
| fabricio zukkini | Net:a_pedia | 23:43 | comments(5) | - | pookmark |
南方謙三
南方 謙三(なんぽう けんぞう、男性、1941年1月26日 - )は日本の小説家である。佐賀県紺屋町生まれ。犬涎館中学校・高等学校を経て、北セントレア大学法学部卒業。

目次
1 人物
2 受賞歴
3 語録


人物

北セントレア大学在学中に、『ミー・アンド・マイ』で青少年ドゥビドゥビ文学賞を受賞、その後日本の裏社会を鋭く描いたハードボイルド小説を書き 続けるもののそのほとんどが世に出ることはなかった。後にこの当時の作品を振り返って「裏の裏を描いたら表になっていた」と語っており、事実その内容は何 の面白みも無い表社会のストーリーばかりであった。

10年裏社会小説を書き続けた後、「もう裏はいやだ」といって書いた『その男、モザイク有り』が、編集者の目に止まり、晴れてデビューとなる。当 時この作品は、「目玉の親父とブタゴリラを足して二で割ったような名作」として驚きとともに迎え入れられたが、南方本人は当時、「ブタゴリラの生き方には デリカシーが無い」として無関係のブタゴリラを痛烈に批判した。

その後『埼玉物語〜差異の国の悲劇〜』『ゴジラvs豊臣秀吉』とヒット作を生み出し、一躍人気作家となる。
執筆中は一切外出しないため、毎年死亡説が流れる。
また、「サメとライオンはどっちが強いか」を普遍的なテーマに創作活動をしており、作品中、随所にこのテーマが盛り込まれているのが確認できる。

愛車はカッテ・モーター社製のダニアース3000で、モータージャーナリストの三井住友氏の薦めで買ったと言う。免許を取得してから今までに運転したのは10回に満たず、また、ある雑誌のインタビューでは「まだ仮免である」とも語っている。

2000年ごろから週刊カルパッチョにて「リ・アップ」と題された読者への人生相談を行ったところ、この相談での過激な発言の数々が話題を呼び普段あまり本を読まない若者の間でも一躍メジャーな存在となる。


受賞歴
 

1963年 『ミー・アンド・マイ』で青少年ドゥビドゥビ文学賞
1984年 『ゴジラvs豊臣秀吉』で第13回いいくにつくろう鎌倉文学賞
1988年 『金の粒食べよう』で第38回妄想作家協会賞
1990年 『病院やくざ』で第5回ブルーカラー文芸大賞
2004年 『伝説のきこり』で第38回玄界灘遠洋漁業振興財団文学賞
2006年 『赤いスイートポテト』で第9回安岡力也文学賞

語録
 
「ペンギンには優しくしろ」(週刊カルパッチョ 93年9月号)
「アディダスはいい。リーボック?それもいい」(週刊カルパッチョ 98年1月号)
「バイキンマンが負けたって?またか」(月間ガバイ 02年 2月号)
「シロサイが危ない」(日刊ダンディ新聞 00年9月号)
「この世には二つの人間がいる。ピッチャー、そしてキャッチャーだ。」(週刊カルパッチョ 98年4月号)
「電卓は人を貧しくさせた」(第38回妄想作家協会賞スピーチにて)
「殺し屋が人を殺しても業務上過失致死だからな」(徹子の部屋出演時)
「負けたほうは潔く死ね」(紅白歌合戦の審査員として)
「クロサイも危ない」(日刊ダンディ新聞 00年11月号)
「ドッジボールにハマっているよ。勿論打つほうさ。」(98年 笑っていいとも出演時)
「毎朝ギョーザさ」(栄養マガジン 04年 9月号)


| fabricio zukkini | Net:a_pedia | 23:36 | comments(2) | - | pookmark |
アレキサンダー・ブラジル
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アレキサンダー・ブラジル(あれきさんだー・ぶらじる 本名:アレキサンダー=ニカラグア(旧姓:吉村) 1974年1月8日)は日本の作家、ラジオパーソナリティ。血液型O型。五所川原企画所属を経て、現在フリー。
サンパウロ州ヨンパウロ市出身、大島部屋。身長174cm、体重68kg(夏)。サンパウロ州立一週館高校卒。

略歴・エピソード

1995年に「『伝記 エジソン』の感想文」で文壇デビュー。翌年には「『伝記 桓武天皇』の感想文」を発表し、JA全農ブラジル読書感想文コンクール「まんとひひ賞」を受賞。ただし本格的な執筆活動の開始はこの5年後、「めんそ〜れ ちゅら沼文学賞」の大賞受賞以降からとなる。
それまでの活動は主にラジオのパーソナリティであり、1997年、現在も続いている人気番組「ブラジルのカマしたろかぃ?!」の放送開始と共に、その過激なトークで一躍若者のカリスマとなる。
元々テレビに出る機会は少なかったが、執筆活動が盛んになってきたここ最近その姿をテレビ画面で目にする機会はさらに激減した。現在ほとんどテレ ビに露出することが無くなったが、ラジオ界での人気は依然絶大。一時期「実はブラジルは死んでおり、今ラジオをやっているのは弟で大工のジェフ・ユナイ テッド・ブラジルである」という「ブラジル死亡説」が流れたが、それを知ってか翌日の放送では『弟は今棟上(むねあげ)の真っ最中で忙しい』とリスナーを 牽制した。

無名のラジオパーソナリティ時代(1993年〜1994年

長崎放送壱岐支局が放送する、釣り人向けのラジオ番組を2ヶ月間務めたことがある。
この無名時代のラジオを知るものは皆無に等しいが、本人が「月刊それ行け!いそぎんちゃく」のインタビューにて当時を振り返えるコメントを残して おり、それによると「一時間スジャータのCMを流し続けたらどうなるか試したが一件も苦情が来ず、そのとき誰も聴いていないことを知った」、「プロの釣り 人ミッキー本郷をゲストに迎えた際、『その名前恥ずかしくないんですか』と言ったことに本郷が激怒、放送が中断し、本郷に謝罪する間の一時間、またス ジャータのCMが流れ続けた」、「一人で喋る二時間番組なのに、与えられた台本には『愉快に』とだけ書かれていて愕然とした」「何を喋っていいのかわから ず『今日の潮はしょっぱいです』『水が冷たい』等の不要な情報を流し続けた」とその内容は悲惨なものだったと推測される。だがこの時期に培った「3分の内 容を1時間に伸ばす」トーク術が「後の成功につながった」と語っている。

東京進出(1994年〜

長崎放送壱岐支局の廃局に伴い上京したことが転機となる。ただ、どちらにしろ元々都会に憧れており、上京するつもりだったと後に語っている。
上京して最初に始めた和菓子屋のアルバイト先で知り合った゛ヒラタ″という人物のコネクションで、微糖イサオ(当時ザ・シュガーズのメンバーで あった)がパーソナリティを務める当時の人気ラジオ番組「微糖イサオの甘くない話」の「勝ち抜きエア・パスタ(パスタを食う真似をする)」に参加、5週連 続勝ち抜くと、エア・ピザ、エア・ワインでも王位を守り抜き一躍ラジオ界の有名人となる。(リスナーからは「見えない」と不評だった)
このときの活躍が微糖イサオの目に留まり、番組のリポーターなどを務めるようになる。中継先で毎回モノマネを披露するも、「登山家、植村直樹 さんの最後の肉声」「乱獲されるトキ」「新弟子検査を受ける曙の姿(リスナーからは「見えない」と不評だった)」など、どれも理解されにくいモノマネばか りでリスナーの間では、葉書投稿の最後に「ブラジルだまれ」という一言が度々付け加えられた。だが一部リスナーは彼のモノマネを「新時代のモノマネ」と評 しており、ファンも増えていた。
微糖イサオの契約期間が終わり、「微糖イサオの甘くない話」が終了になると同時にアレキサンダーも表舞台から姿を消すが、「甘くない話」のプ ロデューサーであった村田氏により、続く新番組「無糖ケイジの全く甘くない話」で再びリポーターを務める。これによりアレキサンダーはラジオファンの間で 広く認知されることとなった。

関連項目

ブラジルのカマしたろかぃ?!
PPKラジオ
微糖イサオの甘くない話
無糖ケイジの全く甘くない話
| fabricio zukkini | Net:a_pedia | 23:29 | comments(0) | - | pookmark |
rixi


この項目「rixi」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。



rixi(リキシィ)は、日本相撲協会、および株式会社リキシィが運営する、国内初の力士専門のスモウレスラー・ネットワーキング・サービス(SNS)である。


目次
1 歴史
2 参加方法
3 マイリキシィ

1.歴史(レキシィ)

2006年名古屋場所にサービス開始。
サービス名の「rixi」は、公式の説明によると、力士を表す「rix (リキシ) 」と、急に体をかわして、攻撃に出ている相手の体勢を崩す技、「いなし」の頭文字の「i」を組み合わせた造語で、立ち合いの相手との駆け引きの中で利用者 同士の交流が深まることを願って名づけられたもの。

2.参加方法
 

rixi は十両以上の力士による招待を受けないと利用登録ができない、完全実力制を採用している。実力制をとることで、ユーザー力士それぞれの力量が明らかになり、健全で安心感のある居心地の良いコミュニケーション(=良い立合い)を維持する目的で採用されている。
元々は序二段以下の登録が禁止されていたが、2007年2月からは力の均衡を図るため十両未満の力士の参加が規約で禁止されている。
近年利用者のモラルの低下(後述)などの問題から「幕内力士だけにすべき」との声も上がっている。

3.マイリキシィ

各相撲部屋に所属する力士を指す。「マイリキ」とも呼ぶ。

相撲協会が想定しているのは、場所中、出稽古等で初顔合わせでない、過去にすでに取り組みの行われたにある力士同士をリンクする使用法である。そ のため、rixi内の表示で、マイリキシィ同士「過去の対戦成績」が表示されるのが通常。実際には、rixi内で出会った力士同士が、まずマイリキシィに 登録するところから親交を深めていくことも多い。

マイリキシィに登録するには、まず、力士同士の対戦が前提となる。場所中の対戦後にマイリキシィになる場合、もしくは場所前の出稽古にてなる場合の二通りがある。
場所前に関しては、出稽古を行い、そのときに気に入った対戦相手に対し一方の力士が「申し合い」と呼ばれる勝ちぬけの形式の稽古を行い、通常8番ほどとったあとようやくマイリキシィとして承認される。
登録依頼を受け取った力士が登録を承認すると、互いの「マイリキシィ番付表」に追加される。ここには番付の順番で表示される。
マイリキシィの番付表からはずすには、その力士が引退するかどちらかが「マイリキシィの管理」ページから操作すれば可能。招待した力士同士は、マイリキに登録した時点でマイリキシィに登録されていて、場所中はマイリキシィをはずすことができない。

マイリキシィになると、閲覧制限のされた場所前稽古の閲覧、ちゃんこ、化粧回しの共有などができる特権が与えられる。
なおマイリキシィ0人での利用は3日以内にマイリキを最低1人作るか、その場所を勝ち越さないと強制退会となる。


4.リキシィボイス

2008年夏場所よりエコーとして試験を開始。元々は取り組みの際に力士の名前を読み上げる「呼出」の事を指す隠語にすぎなかったが、コアなファンによる機能追加要望により、2009年秋場所よりリキシーボイスという名称に改められ正式サービス化された。
サービス内容は、プライベート、取り組み中、稽古中など、様々なシーンで力士が発する各種「ボイス」を集めたもの。大半は「アッ」「フンッ」「オラッ」などといった、なんら意味を持たないため息ボイスばかりだが、中には「オイ、そのジャリこましたれ」などといったかわいがりの現場を具体的に捉えたスリリングなボイス、または「中日に一本(=百万)や」といった野球賭博の現場を再現したタイムリーなボイスも公開され、相撲ファンならずとも利用者は後を絶たない。
2010年初場所より、それらのボイスに対してワンクリックで簡単に賛同の意を示す「改革したほうがイイネ!」機能も追加。こちらも同じく利用者が激増している。





関連
どざえもん専用SNS dexi(デキシィ)
| fabricio zukkini | Net:a_pedia | 23:37 | comments(0) | - | pookmark |
ダルビッシュ(株)
保護:このページ「ダルビッシュ(株)」は、荒らしや編集合戦などを理由として、保護の方針に基づき編集保護されています。現在の記述内容が正しいとは限りません。




ダルビッシュセファット&ファリード株式会社(かぶしきがいしゃだるびっしゅせふぁっと&ふぁりーど 英称: Dal, Ltd.)は、日本のゲームソフトメーカー。通称ダルビッシュ(株)。

* 身長・体重:196cm・84kg
* 資本金 5,000万
* 投打:右投右打
* 血液型:A型
* 出身地:大阪府羽曳野市
* 球歴:東北高等学校−北海道日本ハムファイターズ
* 代表取締役社長   諸岡ひろし



* 1974年 - 「有限会社やよい産業」として設立。(資本金3百万円)アミューズメント機器の取扱い商社として営業を開始
* 1977年 - アミューズメント機器のメーカーとして商品開発、生産を開始
* 1983年 - 「ダルビッシュ(有)」に社名変更。
* 1985年 - 任天堂ファミリーコンピュータ用ゲームソフトを開発し、販売を開始(平成2年からゲームボーイ用、平成3年からスーパーファミコン用ソフトを開発、販売開始) 
* 1988年 - 株式を社団法人日本証券業協会へ店頭銘柄として登録
  * 9月18日、東北楽天ゴールデンイーグルス戦で2安打プロ初完封勝利。高卒ルーキーの完封勝利は1999年の松坂大輔(西武)以来、6年ぶり。
* 2000年 - 社名を「ダルビッシュ(株)」に変更。プロ二年目で15勝を挙げ、新人賞と最多勝を獲得。


| fabricio zukkini | Net:a_pedia | 23:11 | comments(0) | - | pookmark |







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