ぼくののうみそ-・x・

築地市場に響く爆発音の謎
度々書いている通り俺は築地市場青果部門の卸に就職したものの早起きが辛くて2年でやめた根性ナシなのだが、そんな僅か2年間であっても思い出は強烈で、「男の戦場」と呼ばれ、早朝からハイテンションな男たちがワーキャー叫んでいるとても活気のあったあの場所を振り返るととても楽しく、今では市場に就職したこと(すぐにやめた事も込みで!)は本当にいい判断だったと思っている。

市場のセリのときにセリ人が言ってる意味不明の言葉は符丁(ふちょう)というのだが、あれも人によって発声が全く異なり、聞きなれていないとすぐには理解できないのが実際のところだ。
例えば魚市場と青果市場は符丁が少し異なり、もっというと青果でも野菜、果物では説明が難しいが「ノリ」が微妙に違ってくる。
さらにセリをする人それぞれでまたクセがありクセの強い人の符丁もはや理解不能な感じなのだが、結局あるセリには大体同じ人しか来ないので長年の慣れでみんな「覚えて」いくのが実際のところである。

符丁のみならず、セリであがって行く値段の上げ幅もセリの種類によって全く異なる。
結局数字をあらわす符丁は1〜99まで表現するに過ぎないので、例えば1,000円も10万円も同じ「1」か「10」を示す符丁で表されてしまう。相場感のわからない人がフラっと日ごろいかない商品のセリに混ざったとしても幾らなのか分からない事もあると聞いた。

以前すしざんまいが1億円オーバーのマグロをセリ落としたニュースを見ながら感じたのは、ケタが1億まで上がるには絶対に符丁じゃなくて口でどこかで一旦セリが中断するなどして「1億?」みたいな口頭の確認のやり取りが行われたんだろうなということだ。あそこまで異常に高騰した場合、示された「1」ないしは「10」の意味が符丁だけだと全く分からないからだ。

もしくはセリが始まった時点で「1億ジャイ!」とでも言ったのかもしれないが、とにかく基本的には1〜99までしか表現できないので、ケタを上げていくには手っ取り早く「億!!」と言ったのではないかと推測している。
長々と書いたが、結局説明したかったのはセリの符丁にはローカルルールやタイムリーな相場などの要素があり、スタイルも人それぞれという要素も加わり、必ずしも誰しもが聞けばすぐ分かるというものではない、ということだ。

スタイルといえば、築地にいたあるセリ人のスタイルがとても気になっていた。
遠くで眺めていたこの人はセリ中の動きが非常に面白く、リズムを取るようにピョコピョコと絶え間なく体を上下に動かしながらセリをすることと、セリ落とされたときの感情の高ぶりを表現したのか時々「ドッカーーーン!」って謎の爆発音みたいなことをいうので、よく観光客、とりわけ外国人観光客が大爆笑しながら写真や動画を撮っていたのだが、人が真面目に仕事をしているのに何事か!と言いつつも俺も初めて見たときは「感情の大爆発!」などとめちゃくちゃ笑っていたので、Youtubeなどで「Funny Japanese〜」みたいなタイトルで公開されているのではないかと「tsukiji」「seri」「explosion」など検索して、ワクワクしながら探したが残念ながらネットに乗せて全世界に爆発音を届けるあの人を見つけられずに舌打ちしたものである。

で、件の「ドッカーーーン!」なのだが、その後聞いたらこれはなんと爆発音などではなく、数字の「11.5」を表す符丁「ドウグハン」だと知ってしまった。ドウグ(11)、ハン(0.5)で11.5。115円にも11,500円にもなるのは先ほどの説明どおりだ。
まあよく考えると当たり前の話だが、ドッカーンって言っていたのはただ単にセリ落とした金額である「1150円!」と言っているだけだったので妙にガッカリ・・・。まあ今思えば、セリをしながら爆発音を叫んでいると思った俺の神経を疑わねばなるまい。

だけど、全然別の人で明らかに「パキューン!」って言ってる人が居てこればかりはどの符丁にも当てはまらず、マジでパキューン!っていう発砲音を口で言っていたのではないかと思う。「お前が、買えッ(パキューン!)」みたいな。
ネタだと思った人は築地青果部門の関東近在野菜コーナーに是非行ってみてほしい。早起きが辛くて辞めてなければパキューンの人がきっと居るはずである。
早朝から繰り広げられる爆発音に発砲音、これが「男の戦場」と呼ばれる所以なのだろうか。また久しぶりに行ってみたくなった。
| fabricio zukkini | 思い出 | 08:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
利益
前回に続いてゲームの話をするが、小学生の時近所にゲームショップがあり、俺の友達とその弟がそこにソフトを売りにいくというのでついていった事があった。
兄弟が大事そうに持っていたのはジャレコという一度聞くと忘れないダセエ名前のメーカーの緑色のカセットだったと思うが、歯がスカスカのどうみても子供もゲームどちらも好きでも何でもなさそうなクタクタの愛想も何もあったもんじゃないおばちゃんから告げられた買い取り価格がなんと「50円」で友達の弟がショックでその場で泣き崩れたのが忘れられない。
すげえなと思ったのはそれでも泣きながらソフトを50円で売ってたことで、その金で兄弟は帰りにぼんたん飴を買っていたが俺には1個もくれずに二人で食べていたのが悲しかった。

お好み焼きやの二階にあったその店はゲーセンも兼ねており、ゲームを持たない俺としては、中学生にビクビクしながらたった100円だけを持ってたまに遊びに行った程度だったのだが、こうしてソフトが売買されていること、小学生相手にも取引に応じてくれてお金が貰えることなど、色々と驚きがあったものだ。

後日そのゲームショップに行ったという兄弟の兄のほうが、「俺たちから50円で買ったゲームソフトをあの店は200円で売っていた!!」と大いに怒っており、俺も彼らがぼんたん飴を一個もくれなかったことなどすっかり忘れて義憤に駆られ「あの店は子供をだまして金儲けしている!」と言う話を地区別集会という、同じ地域の子供たちが学年を問わず一箇所に集められて行われる集会の場で名前を挙げて非難したものであった。
利益というものの存在を知る前の、悲しい話である。
| fabricio zukkini | 思い出 | 23:38 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
お前のMA-1はニセモノだと言われ
最近街を歩くとMA-1を着ている若者をよく見かけ、懐かしい気持ちで眺めている。
流行に鈍感な俺でも、ここ最近80年代末〜90年代のファッションがリバイバルしているのは街中を歩けば気づくことであり「ああ懐かしいなあ」と思う反面、いくら流行とはいえ昨今のファッションはかつて無く着るものを選ぶものではないのかと思う次第で、若者の中には一定数必ずいる「あえてそうする層」でもない、ごく一般の若者ですら完全にコメディアンのようなナリをしているのを見るにつけ極めて居た堪れない気持ちになる悲しみのジジイである。
いつの時代でもそうだが、我々ブス、ブサイク諸兄姉にとって、流行のファッションの激戦地にドップリ身を投じる事は、戦力差がありながら逃げ場の無い同一ルールを強いられた悲しいハンデマッチを戦いに行く無謀な特攻行為に他ならず、一度立ち止まり鏡を見るなどして少し考え直して欲しいと思う。

で、話をしたいのは若者という雲の様な存在へのジジイ特有の「いかがなものか」トークじゃなくて冒頭申したMA-1である。ボクはMA-1の話がしたいんである。
MA-1には懐かしい響きがある。MA-1、M2-B、M3-Bなどといわゆるミリタリージャケットの類は、先に書いたとおり80年代後半〜90年代、まさに俺が小学生の頃に流行をし、あの頃の小学生ファッションにも大きな影響を与えたアイテムである。
忘れもしない小学四年生。初めてファッションの流行というものを意識し、「ぼくもほしい!」と強く願った服がMA-1だったのだ。

今思えば、あの時分、MA-1を最初に着始めたのは兄が居るマセた連中か、親がやたら子におしゃれをさせたがるご家庭のご子息だったと思う。
緑、黒、灰色といったミリタリーあるあるカラーのジャンバーがクラスの比率を埋めていく中、まだチャイルドだった俺でも流行っていると気づいたしその流行に乗りたいと思ったもの。
結局小学4年の冬はMA-1を買って貰えずにMA-1っぽさのかけらも無い母親のお下がりの、表は黄緑で裏地が黄色のやたらワッペンが沢山ついているWINKとかがPVで着てそうな謎の80年代ジャンバーを着てしおらしく通学した俺であったが、翌年の冬が近づく頃にはMA-1を強く渇望する事となったのである。

MA-1が流行するに従い、学徒動員さながら、小学校の高学年の半分近く、少なく見ても1/3はMA-1を着ていた気がする。
そんなMA-1大量発生と同時に、「MA-1のニセモノ」と呼ばれるシロモノが多数登場し、その見分け方が周知されるようになった。
そもそも、おうちがお金を持っているやんごとないご家庭については、一目見て分かる「AVIREX」の文字や「U.S AIR FORCE」といった、意味は分からないながらも何となく凄そうな「英語のお墨付き」の様なものがついていたのであるが、それ以外の庶民用は完全無地でMA-1たる証拠としては「裏地がオレンジ」という事ぐらいしかなく、そういう見分け方を設けなければ無地のMA-1には明確な違いが無かったのが実際のところである。
従い、増え続けるMA-1人口に対し、元々MA-1を着ていた層が自らの地位を守るため、半ば言いがかり的な感じで提唱しだしたのが「ニセモノ」の実際のところだと考えられるが、そもそも論として、佐世保で米軍払い下げで買った様な米軍のお墨付きでもなければニセモノも何も一律みな同じ「MA-1タイプブルゾン」で仲良くすれば良いはずなのである。

MA-1のニセモノ理由は色々あったが、二の腕の弾入れ用ポケットにダミーの弾丸が無いとか、裏地(オレンジ側)のポケットのボタンに色がついてないという具体的なご指摘はまあ許すとして、綿の量が少ない!とか、色ツヤがおかしい!などと言ったかなり主観的なイチャモンも登場した上、さらにはユニクロやスーパーで買ったものはすべてニセモノなどという流通面に言及するイカレポンチまで登場する始末。
こうして「綿が少ない!」とか「あそこにホンモンのMA-1が売ってあるわけが無い」いう理由で気に入らないヤツのMA-1をニセモノ認定するのがMA-1警察の目的であり、俺も翌年念願の緑色のMA-1をゲットしたものの、大分後発であったからこのMA-1警察の検問に引っかかり、お母さんが買ってきてくれた貴重な俺のMA-1は「綿が少ない」などとイチャモンを付けられてニセモノの様に扱われたものである。あの屈辱!

そんな訳で俺の中でのMA-1の流行はニセモノ認定によりあっさり冷めていくことになり、そうした経験が尾を引いているのかあれからもう二度と袖を通すことは無かった。
今リバイバルを果たしたMA-1を着る若者を横目で見るたび、俺は大昔のそんな悲しいエピソードを思い出すのである。

 
| fabricio zukkini | 思い出 | 17:14 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
土曜の朝、六本木から乗ってくる皆様について
20代前半、築地で働いていたときに通勤に使っていたのは大江戸線だった。
俺が乗るのは大江戸線始発。この大江戸線が六本木を通っていることを何度となく疎ましく思ったものだった。

築地は土曜日も開場。従って、土曜日の通勤電車が六本木に停車すると、朝まで遊びまくったの連中が大挙して、また相当に酔っ払ってこの視発電車に乗り込んでくる。
朝帰りの皆々様、一様にテンのションはアゲアゲで声がデカい。寝ている通勤者は六本木でほぼ例外なく起こされてしまう。
土曜の早朝から働く勤労青年が、夜遊びを終えた連中に邪魔をされるわけである。

お楽しみを終えて満足げに家路を目指す皆様をよそに、こちらは死んだ目のまま、朝から地味で辛い、静岡産高級メロン100ケースの荷おろしとシケ込むわけだ。
自分で選んだ道ながら何か社会に対する謎の恨めしさというかヒクツな気持ちが徐々に増幅されて、メンタルの調子が狂いそうになる瞬間であった。

この六本木からの乗客に関しては酔っ払った日本人の集団のタチの悪さにも言及したいが、それにもまして忘れがたいのは外国人のマナー。ほとんどが最低であった。
日本人の乗客に絡んだり、勝手に写真を撮ってきたり、ヒドい輩はオーディオ機器を持ち込み電車内で大音量で音楽を流し始めて踊りだすなどするわけである。
それにはさすがに何か不満を言いたい気持ちは十分あるのだが、あいてはやんごとなき外国人様である。何か意見して良いはずもなく、ただじっと敗戦国なりの慎ましさでそれをやり過ごすのが適切なのである。

ただしある時、日本人と外国人のグループで、欧米人にノせられて必要以上に悪ふざけをする日本人が車内で猛威をふるっていたことがあった。
欧米人の中に入ると途端に他の日本人と差をつけた感を抱くバカチンの典型なのだが、お前それ日本人同士でもやるのかよ、オ?っていうレベルの欧米風悪ふざけで仲間の外国人のウケを狙うJapへの、同じ車内に座る通勤メンたちから発せられる共通の殺意を汲み取った俺は、眠りを妨げられた怒りと、普段外国人相手では言えなかった色んな不満を込めてこの迷惑外交官殿に一言二言三言ぐらい文句言ってやらァヨオと思い、もうじき降車駅の築地市場駅に着きそうな頃合でもあったので、いざとなったら逃げられるし、とその日本人の元へ揺れる電車にヨロヨロしながらもなんとか近づき、「お前らア!E加減にしろゥ!」とイントロもAメモもなく、唐突にそれでいてそれなりに大きな声で叫んだのであるが、そいつに絡んだつもりが痰が先に絡んでいたのか、それとも走行中の大江戸線がやかましいからか!?はたまた先方がいささか飲みすぎだったのか!、、、とにかく残念なことに先方さんは「え?」「お?」と言うおとぼけビーバーぶりで、この俺のアツいメッセージが全く通じないのである。正直あせりました。

とはいえ、発端は勝手な正義感ではあるけれども、こいつらの社会を揺るがすやかましさである。
成敗やァ!と高く振り上げたこぶしがつり革に引っ掛かった様なシチュエーションである格好の悪さもあり、ここで何も成さずに引き下がるわけにも行かず、何度か「△×■◎!!」という様な事を言ったのだが、先方はハテナと言った具合。

そんな問答が数回続いた、そんな時であるが、このクネクネと懐いてくる不思議な日本人は何だろうとでも思われたのか、俺は突然その隣にいたメガネの白人にカメラを渡され「シャシン。」と言われる。

俺は「コクリ」とうなづくと静かに彼らを撮影してあげた。俺は負けたのである。とはいえ、内心ではなんとなく形に収まったので安心しました。
そんな彼らは俺と同じく、築地市場駅で降り、そして築地市場へ向かっていった。

「築地は働くところじゃない、遊びにくるところだ」

彼らの背中を眺めながら、真剣にそう思った大江戸線の朝だった。
| fabricio zukkini | 思い出 | 22:38 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
声サッカーを知っていますか
声サッカーというむなしい遊びをやった話をしたい。

声サッカーとは、その名の通り声でプレイするサッカー、そこにはボールはなくプレイする2人が立ったまま「ボールを左に蹴った!」「シュート!入った!」と叫びながら試合を進めていくむなしい遊び。
無論それぞれが違う主張をするのであるが、どちらの言うことが正しいかはデカイ声を出したり、しつこく同じことを繰り返して相手を諦めさせるかにかかっている。
(実際には語彙の関係で「蹴った!」を沢山言い合うトントン相撲みたいなものだったとご想像下さい)

小学生のとき、「ボール」「メンバー」という、サッカーを構成する9割以上の要素がそろわなかったにも関わらず、サッカーに強いこだわりがあったのか友達のミネ君と試しにやってみたらすげえつまらない上、立ってワーワー言うだけなのにムカつくくらいに疲れた思い出がある。

確かその当時Jリーグ開幕して間もない頃、だからと言ってそこまでしてサッカーがやりたかったのか甚だ疑問だが、最後はお約束の「ハイパー・ドラゴンなんとか」「サンダー・クラッシュなんとか」というデコトラみたいな必殺技が炸裂し合うただのファンタジープレイへ突入、とうとうゴールではなく相手を殺すことが目的になっていたので物凄く暇だっただけではないかとも推測される。

この声サッカー、何故か実際にサッカーができる広さのちゃんとしたグラウンドの真ん中で立ってやっていたのだが、子供ながらに臨場感というものを意識したのかもしれない。

グラウンド中央に立ち、妄想の世界の中で激しく戦う2人の少年の叫び声。
あの時の僕らの悲しい後ろ姿を遠くから動画で撮影していた方がいたら連絡下さい。
| fabricio zukkini | 思い出 | 06:57 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
蹴りが強くなりたい
学生の頃1年半生活していた学生寮では、毎年年末に寮生による手作りの文集を作成していた。
各自最低1作、文章の提出が義務付けられており、そのテーマは自己紹介、エッセイ、小説などなど各々自由。

寮OBからの寄稿もあり、従って寮OBにも配布される本文集は、その寮がかつて故郷の藩が江戸に設置した「私塾」にルーツを持つという特異性を理解しないとなかなか理解出来ないほど大切にされる伝統であったように記憶している。
(その後の方向は異にするが、慶応義塾や同志社と興りは同じである)

寮の詳細はさておき、文集である。
当時1年生だった俺は、頼まれもしないのに張り切って3つもの文章を繰り出し、なかなかハイレベルな作品の寄せられる本文集において、1年生にしては稀だという大賞を得る事が出来た。(3つのうちどれが受賞したか記憶に無いが・・)

その景品は商品券となぜか副賞が巨大なミラーボールだったと思うが、その3年後、寮を出て一人暮らしを始めていた高円寺の安アパートの便所に飾っていたこのミラーボールが突如落下、「テメエ逃げやがったな」とばかりに便座をコテンパンに破壊する悲しい事件を起こし震えたのだが、それはまだ後の話。

とにかくまだ若かった頃の話である。
キーボードで打ちさえすれば、どんな内容でも明朝体のキリッしたものが出力される。
どんなにくだらない事を書いても目の前に出てくるA4紙の中では必ずサマになる事に感動した俺は、こうしてある日突然文章を書く楽しさに気付いてしまった。

ネットにも接続していない時代、友達のノートPCのWord文書として誰に見せるでもなく書いた沢山の文章はそのまま消えてなくなったが、文集用として書いたものは幸いにして今も手許に残っている。

元々はあちこちに散らばった自分の文章を一箇所に集める目的で始めたのが本ブログの興り。
果たして狙ったのかどうなのか今更覚えていないが、そのとき書いた3つのうちの一つが妙にシュールなのでそれもここに残しておきたい。



タイトル:蹴りが強くなりたい

私は蹴りが強くなりたい。

蹴りたい物を挙げたい。
まずボールだ。但しただのボールではない。私が蹴りたいのはバスケットボールだ。

私は中学生のときにこのバスケットボールを試合中に蹴ってしまい、酷いファールを与えられた上、男の大人である審判に、与えられたファール以上に酷く罵られた。
貴様呼ばわりされ、バスケットをする資格が無いと言われ、殴られるとか思ったくらい詰め寄られた。

私は訳がわからなかった。
世界最高峰のバスケットリーグのNBAをよく見ていた私はスーパースター達がラインを出たボールを蹴っていたのを見ていたのだ。

つまり、本当に蹴りたいのは審判だ。

蹴りたい場所は腰だ。






あの時はただ「俺様最高」と天狗になっただけだったが、今思うと割とお堅い文集において、入ったばかりの1年生のこうした色物作品に大賞を与えてくれた寮生諸兄の懐の深さにはただただ感謝するばかり。

あれをきっかけに始めた文章はまだ続いて居ります。



| fabricio zukkini | 思い出 | 21:47 | comments(7) | trackbacks(0) | pookmark |
フクオカの乾電池
中学生、高校生の頃、本気で買い物するとしたら隣県福岡の天神に行くしかなかった。
俺の故郷は佐賀県唐津市。幸い福岡・天神からは比較的遠くない場所にあり、ちょっと頑張れば行ける身近な大都会でもあった。

今でこそ高速道路ができ、高速バスで50分、500円(回数券割)ほどで着く距離だが、あの頃は電車で1時間半、片道1,110円という距離・金額を掛けての一大イベントであった。
(電車代を浮かすために4時間ぐらいかけてチャリで行く猛者も居た)

信じられない話だが、中学のときは小遣いゼロ。高校二年まで小遣い1,000円、高校三年で3,000円貰ったときは「大丈夫か」と不安になったほどの清貧少年。金は全然持っていなかった。
そんな俺がお年玉や日々の弁当代を節約し、お釣りを溜め込んで得た1万数千円を握り締めて向かうのが福岡・天神。
だから交通費往復2,220円はかなり高いハードルに思えたし、そんな高い交通費を払ってまで来たのだから・・・・!というプレッシャーでロクな買い物ができなかった思い出しかない。

中学時代、初めて行った天神で唯一俺が買ったのは乾電池だった。
友達と色々と回ったものの、都会に来た緊張感で天性の消極性が本領を発揮し、行く先々でほとんど何もせず、黙って友達の買い物を眺めていた。

だが帰る直前のこと、岩田屋というデパートで突如「乾電池はあっても邪魔にならない」と閃き、俺はなぜか単3の乾電池をおもむろに12個も買った。
別に地元でも買えるシナモノだが、せっかくフクオカに来たのだから・・という気持ちが最後ギリギリで俺に乾電池を買わせたのであろう。
往復2,220円払って福岡で乾電池を買う中学生は、帰りの電車、袋から乾電池を取り出し「フクオカのカンデンチだぜ・・」とブツを眺める。

親に「何を買ったの?」と聞かれて「切符と乾電池」とぶっきらぼうに答えて、それ以上の質問はNoとばかりに俺は部屋へ消えていった。

フクオカのカンデンチはさすがの高性能。佐賀県の乾電池より確か30%ほど長持ちしたはずである。

| fabricio zukkini | 思い出 | 13:42 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
悪徳英会話・PCスクール体験談
学生をターゲットにした英会話・PCスクールの存在をご存知だろうか。
書店や就職セミナー等で時々ビラを配ったりアンケートを要求したりしており、10年前と比べると数は減ったようだが、まだまだ大小様々な会社が活動しているようだ。
それぞれの社名を検索すると大量によろしくない情報が出てくるので何となくお察し願いたいのだが、それらの大半は「英語とPC資格がないと就職出来ない!」と学生を騙して高額な授業料を支払わせる悪徳スクールである。

実はこのボクも、恥ずかしながらこの手の悪徳スクールに2ヶ月だけ入っていた事がある。
しかも騙されたとか脅されたとかそういうんじゃなくて、全くのピュアな心で「入れてください!」と自ら志願して突入したのである。
当時既に回りでも「怪しい勧誘がウザい」として有名になっていた某スクールの門を自ら叩いた情報弱者としてのお恥ずかしい体験を、せっかくなので皆さまにお伝えしたいと思う。

*****

勧誘の電話が鳴り始めたのはまだ寮暮らしをしていた大学1年の頃である。
妙になれなれしい女の声で掛かってくる電話はいつも同じ話ばかり。

「今英語とPCの資格ないと就職出来ないって知ってるかなァ?」
「周りの学生はもう準備始めてるよ!」
「とにかく一度話を聞きにきて!」

大学に入った時点で完全に満足しきっている、そんな時期である。
まだ僕大学1年だってのに就職だなんてそんな物騒なことについて一体何をそんなに力説しているのか良く分からなかったが、寮の外に特に友達がおらず「女と話せる」という、それだけが嬉しくて「また掛かってくる様に」というスケベ心から「ちょっと考えます」と言っては態度を保留し続けた。
(この勧誘電話だが、中にはいきなり日本語のおぼつかない外人から電話が掛かってきて、途中から何を言っても「タラレバデスカー?タラレバデスカー?」としか返ってこなくなるケースなどもあり、中々楽しめるものでもあったのである)

大学2年の夏、俺は「友達が出来ないのは寮の居心地が良すぎるからだ!」という被害妄想にとり憑かれて寮を飛び出て、たまたまた地元の友達が住んでいたという理由で高円寺へ引っ越していた。
同郷人ばかりの甘く居心地の良い寮を出て、これからは独り大東京との真の闘いが始まる・・・!などという気負いもあったのだろう。高円寺に住み始めて2ヶ月ほど経ったある日、ふと思い出したのが一時期「就職」だの「資格」だのと言って電話を掛けてきていたあのスクールのことである。

幸いケータイのメモリには件のスクールの電話番号が「出るな」という名前で登録がされていた。あの当時、ケータイに変な電話がかかってくる事が多く、この「出るな」はその後「出るな2」「出るな3」とケータイ電話帳界に次々と続編を世に送り出すことになり、さながらロッキーシリーズの様相を呈していたわけである。

「出るな」という番号に「もしもし・・」と電話を掛けるシュールさを今でも忘れる事は無いが、別に「掛けるな」ではないことだし、とにかく俺は何か物凄く前向きな気持ちでそこに電話をしていたはずである。
忘れもしない、電話に出た女性はおよそ受付とは思えないような気の抜けた声で、「はい・・・・?」と、そう応じた。
こちらの熱を帯びた電話に対し水を注すこの対応。おいおい、入れ入れとうるさかったのはそっちじゃないかもっとこう、熱く応じてくれよMen、と思いつつさらに一言、「興味あるんスけど」と言うも相手にされず、その日は断念。出頭した元オウム平田の気持ちはこのような具合だったのだろうか。

当時インターネットも開通しておらず、このスクールが本当に大丈夫なのか知る術は無かったが、寮に居た頃、まさに俺が説明を聞きに行こうとしているスクールに入っているヒロシという男が居たので率直に「どうなんだ」と尋ねてみたことがあった。
彼は一瞬のキョドりを見せつつも「あ、い、いいぜ・・!」と笑顔で答えた。彼は今で言うところの意識のヒジョーに高い学生だった為、俺にとって彼のその「いいぜ」にはそれなりの信憑性があるように思われたのである。(今思うとあれは自分の尊厳を守るためだったように思われる・・!)

一度は入門を断られた憧れのおスクール様の「面談」なるものの予約が取れたのはその翌日であった。
一応見てから決めようと、「入ります」という意志は保留にしとにかく「見せてくれ」という事での訪問。場所はその後何度か行く事になる新宿西口の某ビル内である。


「面談」の当日、約束の時間にビルにたどり着くと、エレベーターの前に一人の女が待っていた。20代前半だと思われるが、ニコニコしていて妙になれなれしい、電話口での態度そのままに、女は酒焼けしたようなかすれた声で「こんにちは!」と両手で握手してきた。夏だったからか女はなぜかアロハシャツを着ており、そして俺はなぜか勃起していた。
ビルの10数階へ昇る間、女はかすれた声でこのビルがどんなに凄いか、テナントとして入るには審査が厳しいなどを話し始め、案の定「ツーワケデ、ウチはちゃんとしたスクールなんだよ」で締めた。

「こちらで説明をします」と言って案内されたついたての半個室のようなブース。なぜかそこではトランスが流れている。
まずはコレを観てね、と据付けられたテレビデオを眺めると、忘れもしない「就職戦線異常アリ!」というめちゃくちゃ古いビデオ教材が流れ始めた。
要約すると「意識の低い学生は就職できず、冬死ぬ」という内容だったように記憶しているが、ビデオが古すぎて全然説得力が無かった。

お次は簡単なアンケートに答えて、と言われて渡されたアンケート用紙。これがまた項目も多いし、「○○文字以上」なる小生意気な文字指定があったりなどで時間の掛かるアンケートで、オイオイもう能書きはいいから、僕はよほどのことがなければ入りに来たんだぜ、さっさと学校の説明をしてくれないかと思ったが、アンケート記入後なぜかここから最初から決まっていたかのように説教タイムがスタート。

要約すると「アンタ意識が低い!冬死ぬよ!」という内容だったように記憶しているが、声が酒焼けしすぎていて全然説得力が無かった。
入る気マンマンで来ているのに何でコイツは説教垂れてんだと思うと妙にイラっときて、「いや、でも・・」と反論しようとすると、

「タラレバですか〜?」

発せられたのはどこかで聴いた様な素敵な言葉。妖怪タラレバデスカの登場である。
ご覧の通り、俺はタラもレバも言っていないことから、「学生を黙らせる10の言葉」的なマニュアルの読みすぎで、完全に言葉がフライング気味に出てしまったのだろう。

「別に言ってないですけど・・・」

ブースに流れる微妙な空気を下品なトランスが埋める。

気を取り直すように、では校内を案内します、と言う女に従い校内を見学してみると、そこでは死んだ目をした学生と、躁状態なんじゃないかってくらいノリノリの学生の二つに分かれており、女はノリノリの学生を選ぶように話しかけ俺にその楽しそうなスクールライフを伝えようとするのである。
楽しそうな学生グループ、男はモミアゲがアイビー、女はソバージュみたいなやつばっかりで、とにかく何か気色悪かったのだけは覚えている。

スクール案内の最後に、そこの社長が宮崎キャンプ中の巨人・長嶋監督(当時)とツーショットで取ったという、壁に掛けれた巨大な写真の説明を聞かされる。
「社長の教育に対する考え方には長嶋監督も『共感』して、それからは宮崎キャンプのたびに個人的に会っている!」という説明だったが、見せられた写真はどう見ても無理やり声を掛け、振り向いた瞬間をパシャリとやったようにしか見えなかった。ミスターはブレており、社長とは全く目が合っていないのである。
著名人の写真がこのように全国のいたるところで悪用されている例は他にも沢山あるのだろう。あの時見たものはその一角に過ぎないはずだ。実に恐ろしい。

一通り校内を見学したのち、再びあのブースに戻ってくると、そこには最初の女とは別の女の姿。やはりニコニコしているその女、40代だろうか。色が黒くて、名前を見る限り沖縄出身だと思われた。
やはり同じようにアロハシャツを着たその女は、最初に説明をしてくれた女の上司らしく、つまりここから先はうれしはずかし入学契約のお話が始まるのである。

「PTAって知ってる?」

女がいきなり問いかけてくる。
意味は知ってるけど多分なんか別のが正解なんだろうと思うと答えるのが面倒くさくて、「分からないですね」というと「ふふん・・」と微笑み、案の定「『パパママ助けて、アタシ自分で何もできないよー』の略です」と得意げに言うではないか。

「えっ?」

「だから、『パパママ助けて、アタシ自分で何もできないよー』で、Pがパパ、Tが助けて、Aがアタシ、ね!」

な、何て強引な・・・!もう1回言わせちゃおうかな・・・・!
つまりPTAで彼女が言いたかったのは「親に相談せずに自分で決めろ!」という事なのである。提示された入学費、学費諸々の金額は60万円。学生一人で即断できる金額ではないのだが、それを「PTA理論」で持ってその女は「いつ決めるか、今でしょう」と強引に詰め寄っている構図なのである。なんてリスキーな。
そこから先は「日本の学生は自立していない」とか「スネカジリでいいのか!」など、学生にとって痛いところを色々とツツイてくる説教タイムに突入。言われっぱなしはさすがにイラっときて、「いや、それは違うと思いますけど、、」と反論しようとすると、

「タラレバですか?!」

まあ元々入る気で来たことだし、意識の高いヒロシが入っているという事実、月の支払いがさほどでもないという事で俺は1時間もしないうちにこのウン十万円にサインするのであった。
「まあ、いいっすよ?」と言ったとき、向こうが「えっ、いいの!」顔をしていたのが忘れられない。

これが悪徳スクール入学に至る全工程である。
色んな人の体験談を観る限りでは入るまで4時間監禁などというケースもあったようであり、俺は入る気マンマンで行ったヒジョーにマヌケな例。その脅威をお伝えするにはあまり参考にならないかもしれないが、実際のところ複数人で長時間の監禁となると、冷静な判断も困難だと考えられる。

俺が入ったスクールは今は同じ名前では存在しないがどうやら名前を変えてコソコソ勧誘活動を継続しているようである。まだまだ活動しているところもあるので、街で声を掛けてくる英会話、PC資格の話にはどうか気をつけてもらいたい。


最後に、その2ヵ月後、やめるときの話もしておきたい。
愚かにも、質の悪さと値段の高さに2ヶ月後になってようやく気づいた俺は、消費者センターに相談し、さほど手間も掛けずに無事に契約を解除。「そこからの相談は多い」と、悪評を知ったのはその際であった。

結局損失は4万円。勉強代としては高すぎるだろうか。
やめる前、白々しく「ご挨拶に」など言って教室にやってくると、PC室に誰も居ないのを見計らい、そこにあった全てのPC10台程のスクリーンセーバー全て「消費者センターに相談したらスグやめられました」というメッセージに変えて去って行った。

どうか気をつけてもらいたい。


| fabricio zukkini | 思い出 | 12:46 | comments(2) | trackbacks(2) | pookmark |
コーキ君のモミアゲ
別に器用なわけでもないのに、自分で自分の髪を切っていたコーキ君の頭は案の定ヒドいことになっていた。
後頭部は完全に虎刈りになっていたし、前髪はリアス式海岸を思わせるいびつなデコボコを形成したが、そこに至るまで特に何も感じなかった彼がようやく「自分で髪を切るものではない」と悟ったのは、ある日片方のモミアゲを完全に切り落としてしまってからであった。

それは高校2年のときで、すきバサミを使えば我々素人でも微妙な髪の毛の量の調整が可能であるとして、友達に髪を切ってもらったり、或いはコーキ君のように自分で自分の髪を切り始める者が続出していた時期である。

そんなわけで彼は後頭部虎刈り、前髪リアスな上、ついにモミアゲ=アシンメトリーとなっていた。最近じゃあ、発狂したアーティストでももう少し加減するはずである。
ある日の休み時間、隣のクラスからわざわざ、もはや救いようのない髪形で俺の前に現れたコーキ君は片方のモミアゲを手で隠しながらこう言った。

「モミアゲ描いて」

そんなこと、経験がない。
経験はともかく、女子でもないので恐らくここで使わねばならないであろう、化粧道具の類が一切ないのである。
その旨をコーキ君に伝えてみたが、スッと手に持った油性マジックを俺に手渡し「これで頼む」と言う。
よりによって物凄く太いやつを、「失敗してもよいから」と。

「知らんぞ」と念押しを繰り返し、とりあえず描いてはみたが案の定失敗した。
モミアゲ部を乱暴に黒く塗っただけで、遠目からもその部分だけ異質なのは丸分かり。忘れもしない、まるで朝鮮半島のようだった。
ああ、悪いねえと言おうと思ったが、コーキ君は意外にも「うめえ」「すげえ」と感動しているご様子。色々と不安になったが、彼が満足しているのなら俺はあえて言う言葉はない。
片方のモミアゲを油性マジックで真っ黒に塗りたくったコーキ君は「ありがとう」と感謝して廊下へ消えていった。

次の日から度々、コーキ君が俺の教室に「モミアゲを描いてくれ」と言って現れるようになっていた。
モミアゲが生えてくるまでこの「不毛な」イベントが続くのかと酷く絶望しそうになったが、2回、3回と回を重なるにつれ、俺のモミアゲペイントに幾らかの進歩が見らるようになると、これはちょっと工夫してみようか、とそういう気持ちも沸いてくるというものである。
スキルアップというのは楽しいもので、このモミアゲ描きもこうして回数を重ねるうちにノウハウの蓄積もあり次第に技術レベルが向上し、もはや特殊メイクの域にも達しそうな凄まじいリアリティの追及にも繋がっていった。

「水性ペンで下地をつくり、少し水でぬらしてボカしたあとにボールペンで毛を書く」

最後に行き着いたモミアゲの境地である。
汗をかくとモミアゲが無くなるという難点はあったが、そのときの俺たちにリアリティより優先するものなどあるはずが無く、体育のあとに汗でモミアゲが顔半分にまで広がったホラー・コーキが一時期校内で話題になどなりつつも、若干天然パーマだったコーキ君は俺の描くエッジの効いたモミアゲの出来にとても満足してくれた。

その後彼のモミアゲが伸びて長かった俺のモミアゲ職人としての仕事もようやく終了。
せっかく体得したスキル、何か残念な気もしたが、さびしくは無かった。なぜなら既に次の仕事が入っている。

「襟足、描ける?」

とても信じられる事ではないが、コーキ君は今福岡の美容室でスタイリストをしている。相当な人気なのだそうだ。
今の彼があるのは俺のお陰である。果たして彼に髪を切ってもらえる日は来るのだろうか。楽しみでしょうがない。

| fabricio zukkini | 思い出 | 22:38 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
ある集団いじめ問題
中学2年の頃の話である。

俺を含めた男子生徒十数人は固い板張りのフロアにかれこれ30分近く正座させられ、伏し目がちにジッと青木先生のジメジメした中身のない説教を拝聴していた。
初めは「生徒指導室」なる小部屋で行われたその集会も、想定していたより人数が多すぎてとても入りきれない、という理由から教職員用の「会議室」と呼ばれる、生徒はなかなか入る機会のない場所へ移されていた頃である。

我々男子生徒がここにいる理由、説教を受けている理由は、ある一人の女子(ケイ子と呼ぶことにする)に対する我々男子生徒の「集団いじめ行為」に加担したという名目からである。
2年6組と7組、隣り合う二つのクラスにまたがるいじめ犯人の一斉摘発もひと段落し、今行われているのは「なぜこんなことをしたんだ!」という確認・凶弾会なのであった。

*****

「いじめ」とされる問題の、主な舞台となったのは2年7組だ。俺はその隣、6組の生徒であり、この凶弾会にはそういうわけで遅れて参加してきた数名のうちの一人であった。

昼休みも終わりかけの頃、教室にいた俺を背後から呼ぶ声があった。

「おまえ、ケイ子の悪口を言ったことはあるか」

「無いです」と言うか言わないかというタイミングで「バカヤロウ!」と予告無しのハリテをカマしてきたのは、かつて「ヤンキーの語源は、ヤクザに近い→ヤン近説」を唱えて世間の喝采を浴びた極右教師・ナンリ先生である。
悶絶する俺に対し、ナンリ先生は吐き捨てるようにこう言った。

「一階の会議室に行ってこい」

名誉のために言わせて貰うが、ここにいる男子は誰もいじめをしては居ない。
大半は、むしろケイ子によるアコギな誹謗中傷の被害者なのである。

一番の被害者は当ブログのリンク先として、金環日蝕のある年だけ更新するローペース・ブロガーであり、俺とは中学時代からの友達でもある、スンギ派さんだ。
ケイ子さんの攻撃対象になるのは、同じ7組に所属した、中学時代特有のヒエラルキーの下層にある男子生徒である。
イケてる、イケてないで分けると完全にイケてない世界に生きる男子生徒をゴミのように扱い、「コッチミンジャネーヨ」的な罵声を浴びせていたのは有名な話。
(スンギ派さんが下層でイケてなかったと間接的にdisってしまいましたが話を進めます)

ガタいが良い上、口が達者で気も強く、反論でもすれば仲間の女子を呼んで集団で攻めてくるという、ゲーム終盤で出て来そうな中ボスのようなケイ子。
今回「集団的いじめ行為だ!」と断じられているのは、ケイ子からの一方的な敵対行為に対して、ただ男子生徒が団結してNoをつきつけただけのことなのである。
それはもう、すこぶるささやかなものだ。ケイ子とかかわらないように避けること。誰かがケイ子に不愉快なことを言われたら共に闘う、という実に中学生らしい対処法だ。
別段何も悪いことではないのだが、それを「アタシ、集団でいじめられている!」と騒ぎ出したのだから意味が分からない。

そういうわけなので、渦中の7組とはまったく関係のない俺がこうして会議室に呼ばれたのは、容疑者連中の中から密告者が現れた為だ。
俺のような隣のクラスの男子など特にケイ子との接触はなく、ただ彼女の悪名は隣のクラスにも届いていたため、掃除の時間に「ひでえなあ」「許せんなあ」と同調した程度である。

それが「アイツも確かケイ子の悪口を言っていました」であるから恐ろしい。

そのときすでに逮捕条件は「あなたは、ケイ子さんの文句を言ったことがありますか Yes or No?」というところにまでハードルが下げられ、それがこの件での逮捕者を激増させる要因になったというわけ。
指定された「会議室」に入ると、まるで記者会見でも開くように長机に並んで座った青木先生とケイ子の姿。ケイ子の目は腫れ、涙でぬれている。
各地から「ケイ子をいじめた」という名目で集められ、次々に入ってくる男子の多さを見てショックを隠しきれないケイ子を横目に、青木大先生は容疑者が全員出揃ったことを確認すると開会の挨拶とばかりに一言。

「では、最初にみんな一人ずつ、ケイ子さんに謝れ!」

ええええーー!である。
そこから先はアイドルのサイン会のようなスタイルでケイ子の前に一列に並び、「悪口をいって、すいませんでした。」「うるさいブタ、と言い返してすいませんでした。」「罵声を浴びせられたのに、返事もせずムシしてすいませんでした。」と順番に謝罪。
そのひとりひとりをキリッと睨み、威嚇してくるケイ子。お焼香に似た、不思議な時間の流れ方だった。

「ではここで、ケイ子は一旦、保健室へいきます」

お色直しのノリが妙にイラっとする。
青木による意味の分からない司会進行はなおも続き、お次は第二部とばかりに、「なぜこんなことをしたのか」というディスカッション・タイム、その次は「なぜいじめはダメか」の白熱教室タイムと続く。その間全員、板張りにキープオン正座である。

最初は真剣に青木先生の「No More IJIME」講座を聞いていた男子生徒一同だが、足の痺れと共に徐々に集中力も途切れ、徐々に落ち着きが無くなり始める。
その結果、である。今まで真面目に話を聞いていた為か全く気づかなかったのだが、キョロキョロしだして始めて、我々はある衝撃の光景を目の当たりにするのであった・・・・!






「でろり。」

それは股間に浮き出た見事なイチモツ。長机の下で退屈そうに横たわる、世にも誉れな青木のイチモツである。

≪デカい、デカいとは聞いていたがここまでけしからんサイズだったとは・・・・!≫

同じタイミングで気づいたのだろう。ニヤリとしたスンギ派さんと目が合う。
皆、徐々に青木のイチモツの寸法、平たくいうとチンポのデカさに動揺し、ノーモアイジメどころではない。
そこから先は、青木センセーの話が全く入ってこない空白の時間。みんな青木のチンポを眺めながらぼんやり過ごしたわけである。

「何で生徒を説教するのにそんなにチンポがデカい必要があるのか」

説教終了後、皆口々に語り合ったものだが、実にごもっともな意見であると思う。


******


その後の話だ。

「男子を見返してやる!」という強い決意の下、元々少しふくよかだったケイ子は翌年の夏休みに壮絶なダイエットに挑み、そして彼女はそのチャレンジに勝利した。
細くなって我々の前に現れたケイ子は思いの外可愛く、「だ、だからなんだ・・・!」と我々を酷く動揺させたものである。

卒業写真には見事に痩せて自信に溢れた表情で写って見せたケイ子だったが、残念ながらツメの甘さが露呈し、痩せる前に撮影された、よりによって弁当を頬張るたくましい写真が別ページに堂々のスケールで掲載されていたことから、「正義は勝つ!」と我々を勇気付けたものである。
今彼女は何をしているのだろう。



| fabricio zukkini | 思い出 | 19:04 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |







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