ぼくののうみそ-・x・

衝撃!ベンジョンソン・ドーピング事件
ベン・ジョンソンが100mの世界新記録、しかも夢の9秒7台をソウルオリンピック決勝という大舞台で叩き出して金メダルを獲得したときの騒ぎっぷりはすごく、9秒79という記録がどういうものかもわからぬまま、当時6歳、子供ながらにその騒ぎに乗せられて「ベン・ジョンソンすごい!」と興奮していたのを覚えている。
ベン・ジョンソンという名前もよかったと思う。ファーストネームとかそういうのよく分からなかった大半のキッズは「ベンジョンソン」が彼の名前だと思って「ベンジョンソン、ベンジョンソン」と、ベンジョという親しみやすい響きそのままに繋げて呼んでいた記憶がある。(俺は今でもその感覚だ)
同じソウルオリンピックではアメリカの女性陸上選手、ジョイナーも金メダルを取っており、瞬間的に当時足の速い男はベンジョンソン、女はジョイナーと安直なニックネームが付けられていた様に思う。

しかしながらそうしたベンジョンソンブームも一瞬で終了。「ドーピング」という意味不明な用語により、ベンジョンソンから突然の金メダル剥奪、9秒79の夢の大記録も幻となってしまった。
この時の親の説明がザックリ「リポビタンDの様なものをレース前に飲んだ」という類のものだったため、「何がいけないのか」「うちの親もドーピングをしている」というミスアンダースタンドに繋がったものと考えているのだが、とにかくあの時の喪失感というか、「えっ」という狐につままれたような感じは今でも忘れられず、「ズルをした」と言うその内容が例えば「卑劣!ベンジョンソン、審判の目を盗みちょっと早めにスタートしていた!」とか「極悪!!ベンジョンソン、隣の人にひじうち!」などの子供にも分かりやすいものであれば俺も「それはいかん!ベン、追放!」となったのであろうが、「悲報!ベンジョンソン、筋肉増強剤を使用!なお、どうやらそれはリポビタンのようなものらしい。」と言ういまいちピンと来ない理由では田舎のバカの子らには「ハテ・・・?リポDぐらいでお気の毒に」となり、あのかりそめの熱狂に踊らされた事実を消化しきれなかった訳である。

記録のすごさとベンジョンソンの名前。増強された筋肉による強烈な外見と圧倒的なスピード。
その後に出てきた色んなランナーは、トレーニングによる正しいやり方でベンジョンソンの記録に肉薄し、ある者はついにあの記録にたどり着き、追い抜いてきたのだが、あの時のベンジョンソンの衝撃には到底かなわない為か、どれもイマイチピンと来ないのが正直なところだ。
逆に物凄く盛り上がっていたところに、突然ドーピングというもので水をさされて白けてしまった反動からか、100m送で色んな記録が出るたびに「飲んでんちゃうのォ?アレェ?アレをサア!オォー?」というドーピング疑いおじさんになってしまい、素直な心で陸上競技を見られない悲しいカラダになっちゃったのである。

このロスト・ベンジョンソン体験は完全に俺だけのものなのか、もしくはあの当時キッズだったみんななら同じように感じ、育ってきた悲しいトラウマなのか、もし同じ想いを抱いていた人がいれば、ベンジョンソン事件の悲しみを分かち合いたいものである。
 
| fabricio zukkini | 思い出 | 06:53 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
築地市場に響く爆発音の謎
度々書いている通り俺は築地市場青果部門の卸に就職したものの早起きが辛くて2年でやめた根性ナシなのだが、そんな僅か2年間であっても思い出は強烈で、「男の戦場」と呼ばれ、早朝からハイテンションな男たちがワーキャー叫んでいるとても活気のあったあの場所を振り返るととても楽しく、今では市場に就職したこと(すぐにやめた事も込みで!)は本当にいい判断だったと思っている。

市場のセリのときにセリ人が言ってる意味不明の言葉は符丁(ふちょう)というのだが、あれも人によって発声が全く異なり、聞きなれていないとすぐには理解できないのが実際のところだ。
例えば魚市場と青果市場は符丁が少し異なり、もっというと青果でも野菜、果物では説明が難しいが「ノリ」が微妙に違ってくる。
さらにセリをする人それぞれでまたクセがありクセの強い人の符丁もはや理解不能な感じなのだが、結局あるセリには大体同じ人しか来ないので長年の慣れでみんな「覚えて」いくのが実際のところである。

符丁のみならず、セリであがって行く値段の上げ幅もセリの種類によって全く異なる。
結局数字をあらわす符丁は1〜99まで表現するに過ぎないので、例えば1,000円も10万円も同じ「1」か「10」を示す符丁で表されてしまう。相場感のわからない人がフラっと日ごろいかない商品のセリに混ざったとしても幾らなのか分からない事もあると聞いた。

以前すしざんまいが1億円オーバーのマグロをセリ落としたニュースを見ながら感じたのは、ケタが1億まで上がるには絶対に符丁じゃなくて口でどこかで一旦セリが中断するなどして「1億?」みたいな口頭の確認のやり取りが行われたんだろうなということだ。あそこまで異常に高騰した場合、示された「1」ないしは「10」の意味が符丁だけだと全く分からないからだ。

もしくはセリが始まった時点で「1億ジャイ!」とでも言ったのかもしれないが、とにかく基本的には1〜99までしか表現できないので、ケタを上げていくには手っ取り早く「億!!」と言ったのではないかと推測している。
長々と書いたが、結局説明したかったのはセリの符丁にはローカルルールやタイムリーな相場などの要素があり、スタイルも人それぞれという要素も加わり、必ずしも誰しもが聞けばすぐ分かるというものではない、ということだ。

スタイルといえば、築地にいたあるセリ人のスタイルがとても気になっていた。
遠くで眺めていたこの人はセリ中の動きが非常に面白く、リズムを取るようにピョコピョコと絶え間なく体を上下に動かしながらセリをすることと、セリ落とされたときの感情の高ぶりを表現したのか時々「ドッカーーーン!」って謎の爆発音みたいなことをいうので、よく観光客、とりわけ外国人観光客が大爆笑しながら写真や動画を撮っていたのだが、人が真面目に仕事をしているのに何事か!と言いつつも俺も初めて見たときは「感情の大爆発!」などとめちゃくちゃ笑っていたので、Youtubeなどで「Funny Japanese〜」みたいなタイトルで公開されているのではないかと「tsukiji」「seri」「explosion」など検索して、ワクワクしながら探したが残念ながらネットに乗せて全世界に爆発音を届けるあの人を見つけられずに舌打ちしたものである。

で、件の「ドッカーーーン!」なのだが、その後聞いたらこれはなんと爆発音などではなく、数字の「11.5」を表す符丁「ドウグハン」だと知ってしまった。ドウグ(11)、ハン(0.5)で11.5。115円にも11,500円にもなるのは先ほどの説明どおりだ。
まあよく考えると当たり前の話だが、ドッカーンって言っていたのはただ単にセリ落とした金額である「1150円!」と言っているだけだったので妙にガッカリ・・・。まあ今思えば、セリをしながら爆発音を叫んでいると思った俺の神経を疑わねばなるまい。

だけど、全然別の人で明らかに「パキューン!」って言ってる人が居てこればかりはどの符丁にも当てはまらず、マジでパキューン!っていう発砲音を口で言っていたのではないかと思う。「お前が、買えッ(パキューン!)」みたいな。
ネタだと思った人は築地青果部門の関東近在野菜コーナーに是非行ってみてほしい。早起きが辛くて辞めてなければパキューンの人がきっと居るはずである。
早朝から繰り広げられる爆発音に発砲音、これが「男の戦場」と呼ばれる所以なのだろうか。また久しぶりに行ってみたくなった。
| fabricio zukkini | 思い出 | 08:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
利益
前回に続いてゲームの話をするが、小学生の時近所にゲームショップがあり、俺の友達とその弟がそこにソフトを売りにいくというのでついていった事があった。
兄弟が大事そうに持っていたのはジャレコという一度聞くと忘れないダセエ名前のメーカーの緑色のカセットだったと思うが、歯がスカスカのどうみても子供もゲームどちらも好きでも何でもなさそうなクタクタの愛想も何もあったもんじゃないおばちゃんから告げられた買い取り価格がなんと「50円」で友達の弟がショックでその場で泣き崩れたのが忘れられない。
すげえなと思ったのはそれでも泣きながらソフトを50円で売ってたことで、その金で兄弟は帰りにぼんたん飴を買っていたが俺には1個もくれずに二人で食べていたのが悲しかった。

お好み焼きやの二階にあったその店はゲーセンも兼ねており、ゲームを持たない俺としては、中学生にビクビクしながらたった100円だけを持ってたまに遊びに行った程度だったのだが、こうしてソフトが売買されていること、小学生相手にも取引に応じてくれてお金が貰えることなど、色々と驚きがあったものだ。

後日そのゲームショップに行ったという兄弟の兄のほうが、「俺たちから50円で買ったゲームソフトをあの店は200円で売っていた!!」と大いに怒っており、俺も彼らがぼんたん飴を一個もくれなかったことなどすっかり忘れて義憤に駆られ「あの店は子供をだまして金儲けしている!」と言う話を地区別集会という、同じ地域の子供たちが学年を問わず一箇所に集められて行われる集会の場で名前を挙げて非難したものであった。
利益というものの存在を知る前の、悲しい話である。
| fabricio zukkini | 思い出 | 23:38 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
マミーは仲間を呼んだ
最もゲームがしたくてたまらなかった小中学生を通じてずっと親にテレビゲームの類を一切禁じられていた俺は、従って殆どのゲーム知識を友達の家にお邪魔して後ろから羨ましそうに眺めていたあの限られた時間の中で得ていた。

ゲームをやらせてもらうだけの為にさほど仲良くない友達の友達の家まで押しかけるなどして挙句ほぼ無視されながらもゲームをやらせてもらえるチャンスを伺いじっとリビングに座って待つ事もあったが、それでもたまにやりたいというとやらせてくれるケースも多くその価値はたしかにあったのである。
下手くそな俺がゲームし出すとため息やあからさまな冷笑といった子供ならではの残酷な反応もあったように記憶しているが、それ以上に俺はとにかくテレビゲームがやりたかったのであり、全く意に介さなかった。

ただしシューティングゲームやアクションゲームと異なり、RPGではそうはいかなかった。ひたすら他人が進めるだけのゲームを後方から黙って眺めるだけ。ストーリーを進める事もなくレベルをあげる為だけに何もない草原で敵に遭遇とバトルを繰り返すだけであっても黙って眺めていた。
ゲームをやりたいのは間違いないが、そんな贅沢など言ってる場合でもなく、最悪ゲーム画面が見られればそれでよかったのかもしれない。思えば不憫な子である。

俺は当時流行っていたドラクエIIIを全くやったことがないが、ストーリーは友達がやっているのを黙って眺めて何となく覚えている。
鳥山明のキャラクターは特徴的で敵キャラの名前は今でも割と頭に入っているのだが、中でも記憶に強く残っているのがマミーである。
マミーはいわゆるミイラなのだが、マミーの特徴は仲間を呼ぶ事だ。仲間の名前は「くさった死体」、マミーより強くて厄介なこのくさった死体が出てくる前にマミーを殺さねばヤバいなどと友達が力説していたのを覚えている。
くさった死体、今思うと腐ってる癖に仲間思いの良い奴ではないか。呼んだらすぐ来てくれるし。(まさにくされ縁という奴だろうか。)
かたや俺の友達はどうだ、仲間が後ろで仲間になりたそうにじっと見ているというのに放ったらかしでRPGですかい。など、自ら勝手に押し掛けておいてアレだが、この様に自分本位な逆恨みもくさった死体の仲間を思う気持ちを前にすれば少しはしたくなるというものである。
くさった死体によって友達のパーティーが全滅したときに感じた爽快感はこの辺からくるものだったのだろうか。
そんな訳でドラクエの、マミーとくさった死体という敵キャラは一度もやった事もないドラクエの中でなぜか今でも印象の強いキャラクターとして残り続けている。

随分とマミーに関する説明に時間をかけてしまったが、なんと、実はここからが今回の本題になる。
話はその後十ウン年後、東京にいた時に入ってた社会人バスケットサークルでの話。
そのメンバーの親戚の子で、間宮くんというとても素朴な高校一年生がある時からチームに入ってきて、アラサー、アラフォーひしめくサークル内でひと際若々しい彼はすぐさまみんなからマミヤをもじってマミー、マミーと呼ばれ愛されるようになったのである。
で、そんな彼には時々連れてくる同じ高校の同級生がいて、もうお分かりかと思うが、俺はもう本当に悪いとは思いながらも陰でそのお友達の事をマミーが呼んでくる仲間という事で「くさった死体」と呼んでいたのである。
くさった死体はマミー以上に素朴な高校生で、無口な中にも秘めた熱い闘志が垣間見える線の細い高校生。
ドラクエと同様、マミーに呼ばれないと現れる事はなかったので遭遇率は低く、結局一言も会話する事はなかったが、罪悪感もあり今でも記憶には強く残っている。

今ではもう離れてしまったバスケットチームではあるが、マミーとくさった死体、二人ももうすぐ大学生か。元気なのだろうか。
俺も誰かのくさった死体でありたいと思う34歳の春である。
| fabricio zukkini | 思い出 | 23:50 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
野ションをしていたおばちゃんに怒鳴られた話
一度は夢かもしれないと思ったこともあるが今でも一部始終をはっきり覚えているのであれは現実だということになるのだろうが、俺は子供の頃に野ションをしているおばちゃんに遭遇して、しかも野ション中のおばちゃんに激しく怒鳴られたことがある。

この意味不明の出来事が起きたのは小学生の頃、ごくごく普通の住宅街の一角においてである。登場人物はわずか2名、小学生の俺と突然現れた野ション中のおばちゃんである。

前後何をしていたのかもはや覚えていないがいつもの平和な街を小学生らしく目的もなく独り言など呟きながらフラフラとしていた最中、イヌの糞のように突然、唐突に、そして堂々と、目の前に現れた50がらみのおばちゃんがテロッテロの薄いワンピースを捲り上げて空き地のような所でケツをだしていたのである。
それが野ションであるかどうかはその時は全く分からず、にしてもその異様な光景から何かおかしなことが行われてい事だけは理解したのであるが、後に野ションであろうと推定されたのはそれを親に話したからであり、俺がこのエピソードを親に話したのはおばちゃんから激しく怒鳴られたからであった。

それにしても怒鳴られたのは衝撃であった。
おばちゃんは俺と目が合うなり、ケツを出したまま「コラーーー!」と叫んでこちらを威嚇し始めたのである。街中でケツを出しておきながら貴様がコラーーーとは大きく出たものであるが、本来ならば野ションをしているおばちゃんこそコラーーーと咎められるべき存在であろうが、小学生にそんな事が出来ようはずもなく、威嚇されるがままに狼狽しその場を去ることしか出来ないピュアな小学生の背中に向かって、何とおばちゃんは更に二言三言、ギョエーだのグワーーだのと言った悪態未満の原始的な罵声を浴びせるワケだからサイテーである。

しかしまあ、結局のところあれが俺の人生で唯一、女性がションベンをしている姿を生で目撃した経験になるのであるが、異性の生理現象をこう表現するのは悪い気はするものの、やはり率直なところではいまだにトラウマとなる極めて不気味な経験であったと思われる。

で、この話を歳上の人に話してみると「昔は結構女の人が野ションをしていた」と言う意見も聞かれるのだが、もしかしたら俺が見たのは日常的に野ションをする女性の最後の世代だったのかもしれない。
まあそんなことはどうでも良いんですけどね、何で俺は道端でションベンしてるヤツから怒られたんでしょうかね。いまだに納得がいかない。
| fabricio zukkini | 思い出 | 22:15 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤリチンのサッカーチームに所属していたときのこと
学生の頃、バイト先に居た1コ上のセミ・ギャル男みたいなヤリチンを絵に描いたような茶髪にロン毛の大学生に誘われ、その地元の友達らで作るフットサルチームに参加させてもらったことがある。
チームと言うにはかなりルーズな集まりでメンバーは5〜8人、それも毎回知らない人が来たりして今思うとただの「集まってサッカーやろうぜ〜」ぐらいのノリだったように思う。
集まると全員いいにおいがして、あと俺以外全員見事なまでに茶髪かロン毛もしくはその両方な上、ほぼ全員、程度は違えど日焼け済みだったりするので、そうした中で一人黒髪短髪、普通の肌の色をした普通のナリの俺がプレイしていると異国のチームに挑戦しにやって来た日本人感があって妙に奮い立つ気持ちになったものである。

練習場所は今では某大学が建つJR中野駅前の公園。
サッカーの出来る場所など少ない東京なので広い公園には皆殺到するのが常であるが、我々の「ホームコート」でもやはり、色んな集団が窮屈そうに譲り合いながらサッカーをしていた。
個々の集団が別々に、同時にサッカーを始めるとカオスなことこの上なく、結局しばらくすると「試合しませんか」など互いに歩み寄ってちょっとしたミニ大会の様な形で一つの公園を共同利用し始めるのである。

我がチームはヤリチンばかりだがサッカーの実力はなかなかのものでその公園によく集まる連中の中では強い部類に入り、練習後の飲み会などでは度々勝利者だけが味わえる美味い酒を飲んだ記憶があるが、その様な飲み会の席で飛び交う、ヤリチンによるヤリ・トークのその内容には、恋愛経験がシャケの雄並みの純度の高い田舎モンとしては度々驚嘆したものである。
電車の中でナンパした女にケジラミをうつされたというMFのヤリチンはさすがのパスワークで家族全員にケジラミをうつした話を笑顔で語り、FWのヤリチンは僕と同い年なのに20代の女に飽きたらしく、今は30代がアツいという話をたくさんヤった人特有のとても落ち着いた語り口でしてくれて「年代にアツいとかあるんだ」と思った次第。
彼らの高校では全校生徒皆SEXはおろか、3P、4P当たり前という様なスケールの大きなSEXの話を聞かされ、かたや一度SEXをしただけで教祖のように崇められ、そのお方の性体験談を聞こうと参集してはメモを片手に半勃起で傾聴するクソ童貞が9割以上を占めた俺の母校を思うと同時代にも関わらず隔世の感を禁じえず、そんな高校出身のこの俺が、卒業後わずかばかりの時を経て今ここで一緒にサッカーをプレイしている事にはある種の奇跡めいたものを感じたものである。

そんな中で、高校生時点で体験人数が100人を超えていたという高い攻撃能力を持つくせにポジションはまさかのDFのヤリチンから、ある時ふと「君、素質あるよ。」と言われたことがあり、俺は「サ、サッカーすか?」「それとも、、セ、SEX!?」などとは聞けず、コクリと黙って頷いただけだったのだがあれは一体どっちのことを言ったのだろうか。
今でも気になっている。
| fabricio zukkini | 思い出 | 00:24 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
お前のMA-1はニセモノだと言われ
最近街を歩くとMA-1を着ている若者をよく見かけ、懐かしい気持ちで眺めている。
流行に鈍感な俺でも、ここ最近80年代末〜90年代のファッションがリバイバルしているのは街中を歩けば気づくことであり「ああ懐かしいなあ」と思う反面、いくら流行とはいえ昨今のファッションはかつて無く着るものを選ぶものではないのかと思う次第で、若者の中には一定数必ずいる「あえてそうする層」でもない、ごく一般の若者ですら完全にコメディアンのようなナリをしているのを見るにつけ極めて居た堪れない気持ちになる悲しみのジジイである。
いつの時代でもそうだが、我々ブス、ブサイク諸兄姉にとって、流行のファッションの激戦地にドップリ身を投じる事は、戦力差がありながら逃げ場の無い同一ルールを強いられた悲しいハンデマッチを戦いに行く無謀な特攻行為に他ならず、一度立ち止まり鏡を見るなどして少し考え直して欲しいと思う。

で、話をしたいのは若者という雲の様な存在へのジジイ特有の「いかがなものか」トークじゃなくて冒頭申したMA-1である。ボクはMA-1の話がしたいんである。
MA-1には懐かしい響きがある。MA-1、M2-B、M3-Bなどといわゆるミリタリージャケットの類は、先に書いたとおり80年代後半〜90年代、まさに俺が小学生の頃に流行をし、あの頃の小学生ファッションにも大きな影響を与えたアイテムである。
忘れもしない小学四年生。初めてファッションの流行というものを意識し、「ぼくもほしい!」と強く願った服がMA-1だったのだ。

今思えば、あの時分、MA-1を最初に着始めたのは兄が居るマセた連中か、親がやたら子におしゃれをさせたがるご家庭のご子息だったと思う。
緑、黒、灰色といったミリタリーあるあるカラーのジャンバーがクラスの比率を埋めていく中、まだチャイルドだった俺でも流行っていると気づいたしその流行に乗りたいと思ったもの。
結局小学4年の冬はMA-1を買って貰えずにMA-1っぽさのかけらも無い母親のお下がりの、表は黄緑で裏地が黄色のやたらワッペンが沢山ついているWINKとかがPVで着てそうな謎の80年代ジャンバーを着てしおらしく通学した俺であったが、翌年の冬が近づく頃にはMA-1を強く渇望する事となったのである。

MA-1が流行するに従い、学徒動員さながら、小学校の高学年の半分近く、少なく見ても1/3はMA-1を着ていた気がする。
そんなMA-1大量発生と同時に、「MA-1のニセモノ」と呼ばれるシロモノが多数登場し、その見分け方が周知されるようになった。
そもそも、おうちがお金を持っているやんごとないご家庭については、一目見て分かる「AVIREX」の文字や「U.S AIR FORCE」といった、意味は分からないながらも何となく凄そうな「英語のお墨付き」の様なものがついていたのであるが、それ以外の庶民用は完全無地でMA-1たる証拠としては「裏地がオレンジ」という事ぐらいしかなく、そういう見分け方を設けなければ無地のMA-1には明確な違いが無かったのが実際のところである。
従い、増え続けるMA-1人口に対し、元々MA-1を着ていた層が自らの地位を守るため、半ば言いがかり的な感じで提唱しだしたのが「ニセモノ」の実際のところだと考えられるが、そもそも論として、佐世保で米軍払い下げで買った様な米軍のお墨付きでもなければニセモノも何も一律みな同じ「MA-1タイプブルゾン」で仲良くすれば良いはずなのである。

MA-1のニセモノ理由は色々あったが、二の腕の弾入れ用ポケットにダミーの弾丸が無いとか、裏地(オレンジ側)のポケットのボタンに色がついてないという具体的なご指摘はまあ許すとして、綿の量が少ない!とか、色ツヤがおかしい!などと言ったかなり主観的なイチャモンも登場した上、さらにはユニクロやスーパーで買ったものはすべてニセモノなどという流通面に言及するイカレポンチまで登場する始末。
こうして「綿が少ない!」とか「あそこにホンモンのMA-1が売ってあるわけが無い」いう理由で気に入らないヤツのMA-1をニセモノ認定するのがMA-1警察の目的であり、俺も翌年念願の緑色のMA-1をゲットしたものの、大分後発であったからこのMA-1警察の検問に引っかかり、お母さんが買ってきてくれた貴重な俺のMA-1は「綿が少ない」などとイチャモンを付けられてニセモノの様に扱われたものである。あの屈辱!

そんな訳で俺の中でのMA-1の流行はニセモノ認定によりあっさり冷めていくことになり、そうした経験が尾を引いているのかあれからもう二度と袖を通すことは無かった。
今リバイバルを果たしたMA-1を着る若者を横目で見るたび、俺は大昔のそんな悲しいエピソードを思い出すのである。

 
| fabricio zukkini | 思い出 | 17:14 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
土曜の朝、六本木から乗ってくる皆様について
20代前半、築地で働いていたときに通勤に使っていたのは大江戸線だった。
俺が乗るのは大江戸線始発。この大江戸線が六本木を通っていることを何度となく疎ましく思ったものだった。

築地は土曜日も開場。従って、土曜日の通勤電車が六本木に停車すると、朝まで遊びまくったの連中が大挙して、また相当に酔っ払ってこの視発電車に乗り込んでくる。
朝帰りの皆々様、一様にテンのションはアゲアゲで声がデカい。寝ている通勤者は六本木でほぼ例外なく起こされてしまう。
土曜の早朝から働く勤労青年が、夜遊びを終えた連中に邪魔をされるわけである。

お楽しみを終えて満足げに家路を目指す皆様をよそに、こちらは死んだ目のまま、朝から地味で辛い、静岡産高級メロン100ケースの荷おろしとシケ込むわけだ。
自分で選んだ道ながら何か社会に対する謎の恨めしさというかヒクツな気持ちが徐々に増幅されて、メンタルの調子が狂いそうになる瞬間であった。

この六本木からの乗客に関しては酔っ払った日本人の集団のタチの悪さにも言及したいが、それにもまして忘れがたいのは外国人のマナー。ほとんどが最低であった。
日本人の乗客に絡んだり、勝手に写真を撮ってきたり、ヒドい輩はオーディオ機器を持ち込み電車内で大音量で音楽を流し始めて踊りだすなどするわけである。
それにはさすがに何か不満を言いたい気持ちは十分あるのだが、あいてはやんごとなき外国人様である。何か意見して良いはずもなく、ただじっと敗戦国なりの慎ましさでそれをやり過ごすのが適切なのである。

ただしある時、日本人と外国人のグループで、欧米人にノせられて必要以上に悪ふざけをする日本人が車内で猛威をふるっていたことがあった。
欧米人の中に入ると途端に他の日本人と差をつけた感を抱くバカチンの典型なのだが、お前それ日本人同士でもやるのかよ、オ?っていうレベルの欧米風悪ふざけで仲間の外国人のウケを狙うJapへの、同じ車内に座る通勤メンたちから発せられる共通の殺意を汲み取った俺は、眠りを妨げられた怒りと、普段外国人相手では言えなかった色んな不満を込めてこの迷惑外交官殿に一言二言三言ぐらい文句言ってやらァヨオと思い、もうじき降車駅の築地市場駅に着きそうな頃合でもあったので、いざとなったら逃げられるし、とその日本人の元へ揺れる電車にヨロヨロしながらもなんとか近づき、「お前らア!E加減にしろゥ!」とイントロもAメモもなく、唐突にそれでいてそれなりに大きな声で叫んだのであるが、そいつに絡んだつもりが痰が先に絡んでいたのか、それとも走行中の大江戸線がやかましいからか!?はたまた先方がいささか飲みすぎだったのか!、、、とにかく残念なことに先方さんは「え?」「お?」と言うおとぼけビーバーぶりで、この俺のアツいメッセージが全く通じないのである。正直あせりました。

とはいえ、発端は勝手な正義感ではあるけれども、こいつらの社会を揺るがすやかましさである。
成敗やァ!と高く振り上げたこぶしがつり革に引っ掛かった様なシチュエーションである格好の悪さもあり、ここで何も成さずに引き下がるわけにも行かず、何度か「△×■◎!!」という様な事を言ったのだが、先方はハテナと言った具合。

そんな問答が数回続いた、そんな時であるが、このクネクネと懐いてくる不思議な日本人は何だろうとでも思われたのか、俺は突然その隣にいたメガネの白人にカメラを渡され「シャシン。」と言われる。

俺は「コクリ」とうなづくと静かに彼らを撮影してあげた。俺は負けたのである。とはいえ、内心ではなんとなく形に収まったので安心しました。
そんな彼らは俺と同じく、築地市場駅で降り、そして築地市場へ向かっていった。

「築地は働くところじゃない、遊びにくるところだ」

彼らの背中を眺めながら、真剣にそう思った大江戸線の朝だった。
| fabricio zukkini | 思い出 | 22:38 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
修正液と黒子
小学生のころ、図工の時間に色のついた画用紙を使った工作をしていたときのことだったと思う。
もう随分昔のことなので記憶の大半が曖昧な状態であるが、今でも鮮明に覚えていることがある。

隣の席にいた女の子が桃色の画用紙に黒ペンで何かを書いている途中、間違ったのであろう、突然修正液でその文字をなぞるように消し始めたのである。
修正液の色は当然白だ。消す対象が白地であることを想定して作られた、何の変哲もない白の修正液なのである。

当然、桃色の紙の上で白の修正液でなぞるように消された文字は、ただ色が白に変わっただけでそのまま読める状態。しかし隣の女の子は「よし」という表情などして、その上に本来書きたかったはずの文字を再び黒ペンで上書きし始めたのである。
彼女にとっては、修正液を用いたというその行為の意味が重要だったのだろう。これを「バカだ」と一蹴するのは簡単だが、これには日本的な趣を感じずにはいられない。

割と大人になってからのことであるが、NHKで視聴率が限りなくゼロに近いと思われる割といい時間の人形浄瑠璃放送を見ながら、俺は気づいたのである。

「あの修正液は黒子だったんだ・・・」

そう、黒子である。
実際にはめちゃくちゃ存在感があるのだけど「本来見えないことになっている」という文化、共通認識、社会のルール、マニュアル、、、そういったアレコレを経て、我々は黒子を「見えない」と認識しているのである。修正液も同じである。修正液は消すものである!という社会の常識があれば、紙の色が白色だろうと桃色だろうと全く関係がないのである。

日本文化において重要なのはその行為であることが多い気がする。
実際に効果がどの程度あるというよりも「その行為を行った」という事実、意味が重要視されるケースが極めて多くはないか。

例えば、掛布雅之の前髪である。
事実上ハゲなのに、前髪を立てていることで頭髪はそこに潤沢にあることになってしまう日本文化の趣。
オイ、何なんだアイツは。潔くハゲろよこの!

掛布が毎月やってくる床屋のことを思うと仕事が辛いなどとはいっていられない。
| fabricio zukkini | 思い出 | 12:00 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
声サッカーを知っていますか
声サッカーというむなしい遊びをやった話をしたい。

声サッカーとは、その名の通り声でプレイするサッカー、そこにはボールはなくプレイする2人が立ったまま「ボールを左に蹴った!」「シュート!入った!」と叫びながら試合を進めていくむなしい遊び。
無論それぞれが違う主張をするのであるが、どちらの言うことが正しいかはデカイ声を出したり、しつこく同じことを繰り返して相手を諦めさせるかにかかっている。
(実際には語彙の関係で「蹴った!」を沢山言い合うトントン相撲みたいなものだったとご想像下さい)

小学生のとき、「ボール」「メンバー」という、サッカーを構成する9割以上の要素がそろわなかったにも関わらず、サッカーに強いこだわりがあったのか友達のミネ君と試しにやってみたらすげえつまらない上、立ってワーワー言うだけなのにムカつくくらいに疲れた思い出がある。

確かその当時Jリーグ開幕して間もない頃、だからと言ってそこまでしてサッカーがやりたかったのか甚だ疑問だが、最後はお約束の「ハイパー・ドラゴンなんとか」「サンダー・クラッシュなんとか」というデコトラみたいな必殺技が炸裂し合うただのファンタジープレイへ突入、とうとうゴールではなく相手を殺すことが目的になっていたので物凄く暇だっただけではないかとも推測される。

この声サッカー、何故か実際にサッカーができる広さのちゃんとしたグラウンドの真ん中で立ってやっていたのだが、子供ながらに臨場感というものを意識したのかもしれない。

グラウンド中央に立ち、妄想の世界の中で激しく戦う2人の少年の叫び声。
あの時の僕らの悲しい後ろ姿を遠くから動画で撮影していた方がいたら連絡下さい。
| fabricio zukkini | 思い出 | 06:57 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |







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