ぼくののうみそ-・x・

A4紙の運命
仕事中、複合機の紙切れによるA4紙交換中にふと思ったことなのだが同じA4紙であっても重要書類として重要な任務を授かる者も居れば至極どうでも良い案内書類やファックスの表紙のような刹那的な扱いを受けるケースもある。(マジに重要な書類は用紙を専用紙に換えたりするだろうが)
間違って印刷されたりしてあえなく廃棄、良くても裏紙としての屈辱を味わう者もいるのだろう。

同じ紙なのに印字された瞬間にその重みがガラリと変わることもあり、重ねられたA4紙のどこにあるかによって全く異なる運命をたどるA4紙というものに妙な趣の深さを感じた次第。

いい歳しておセンチメートルにA4紙の心配をしてる場合ではないが、余白の調整を誤り、文章末尾の「。」だけが誤印刷されたA4紙を手に取り、供養してやりたく書いてみた次第である。

お前は立派な裏紙になりなさい。さようなら。
| fabricio zukkini | 雑記 | 18:17 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
2015年のzukkiniさんまとめ
個人ブログなど死語オブ死語になりつつ2015年でもなお、・x・ぼくののうみそをチェックしていただきありがとうございました。
「今年は沢山書く!」の目標も、結局大して書かずに本日に至り、放置期間の長い牛歩ブログと化してしまいましたが、おかげさまで本記事をもって記事数としては900に達することが出来ました。
これもひとえに俺の努力、気力、忍耐力の賜物!という他ないし、そもそも自分の日記なのに虚空に向かっておかげさまとかありがとうって言うのも正直気色が悪いなあと感じる年の瀬であります。

ブログに関しては800回目の更新から3年半も掛かってしまったのでありますが、気づくと子供が2人生まれ、愛知県に引越し、ブログをあまり書いているバアイではなくなっているような、多忙で、33歳の、小太りなオッサンとして900回目の更新をしている悲しみ・・・
そんな2015年のzukkiniまとめをちょろっと書いてみたいと思います。




1.ハイエナズクラブ

「ブログで書かない小ネタ発表の場」程度の軽い気持ちで始めたハイエナズクラブはまだ続いており、割と沢山の方に愛されるサイトになりつつあります。
最近ではサイト主催のイベントやったり、同人誌を作成したりなど、持ち前のコミュニケーション能力で大学のサークル活動の一切に馴染めなかった学生時代の反動からか、今頃サークル活動じみた活動に精を出している33歳の小太りなオッサンでして、恐れて縮こまる次第です。
また、ハイエナズクラブとしても初めてよそ様で連載枠を頂くことになり、ドアラジオという企業運営のいわゆるオウンドメディアで記事を定期更新するというまさかの大抜擢!そしてまさかの終了!(2015年11月に終了)
適当に作ったサイトなのにこんなに続いて良いのか!最初は道路に埋まっていたスパナとか記事にしていのにはずかしい!という気持ちと、適当に名乗っていた「会長」という自分の肩書きが対外的には徐々にオフィシャルな職制になりつつあることに恥ずかしさを感じる次第でありますが、いきなり「次長」とか名乗りだすと≪降格人事・・?!≫とネット界隈が騒ぎ出すのでこのまま会長名乗り続けます。
まあそんなことより、何よりあんまり目立つとライオンズクラブに気づかれちゃうのではないか、という懸念が一番大きい状況であります。
2016年も会長がんばります!


【2016年の記事】



【元アルペン】春の元アルペン大感謝祭 2015

【居抜き界の超新星】元上州屋をよろしくお願いいたします

【元アルペン】秋目前!集まれ!元アルペン大感謝祭

【おそろしい!!】街で見かけるホラーフォント

喫茶店「以外」の名古屋名物モーニング!朝からハシゴ酒してきた(ドアラジオ記事)




2.バーグハンバーグバーグ

愛知県への転勤により「土地勘」「飲み屋街」「生きる気力」という3つの翼をもがれたzukkiniさんは二足歩行の33歳の小太りなオッサンになり、フィジカルを病んだフィジヘラになるやいなや、連日尻を切る自傷行為に励み(後にストレス性の切れ痔と判明)、弱気なハートに支配されたからか、自ら志願してオモコロの活動はミニマムになってしまいました。
そんな中、バーグの柿次郎さんのお誘いで「地域ネタ」に特化したe-アイデムの運営するジモコロに声を掛けて頂き、また再び頑張ろうという気になっているところですがなんせフィジヘラ、まずは体の健康状態を何とかしたいところです。
ともかくここまで、記事をかけない理由を「愛知県には何もない!」と、全て愛知県のせいにして今に至りますが、根本原因は家からあまり出なくなった自分由来のことであり、家からあまり出なくなったのは全て愛知県のせいです。
2016年はもっと外に出て、街を歩き、飲み屋街をパトロール!面白いお店を暴いて、テレビ東京やテレ朝、フジテレビに記事をパクられたいと思います!





【飲み屋学】のれんを出さずに営業するあの店はなぜ潰れないのか




【2015年の記事】

【オッサンホイホイ】20年前、自動販売機に貼られていたシールをめちゃくちゃ集めいていた話

朝からベロベロ!!奇跡の早朝ハシゴ・コース!!(池袋西口編)

小さな町おこし?シャッター商店街の怪しい張り紙に連絡してみた

東海随一の珍スポット!?奇妙なコンクリート像の修復活動に参加して考えてみた





3.その他の活動

今年も色々と声を掛けて頂いてありがとうございます。
中には遠方のためボツになった話も幾つかありましたが、一方でハイテク社会の素晴らしさか、オンライン上で大半のやり取りが事足りることも多かったです。
編集の方とメールのやり取りだけで話を進めたマイナビの連載。あの出版主催のキロク学会というイベントではゲストとしてお招き頂きましたが遠方のためSkypeで失礼させてもらいました。(Skypeで失礼します、という謎のビジネスマナー爆誕の瞬間である)
マイナビの連載はマジでやってみたかった路上観察の、それもゴミみたいなものの特集で、編集の方の勇気と配慮には多大なる感謝の気持ちしかありません。
キロク学会ではゲストがデイリーポータルZの林さんと俺だけで、俺はさも「ネット界の二大巨頭」であるかのようなオーラをかもし出そうと意気込んでSkypeにログインしたものの、自分の顔がむくんでいるのが気になり、また緊張もあってか実力のほんの8%ほどで会場を大いに沸かせました。
2016年も皆様からのオファーお待ちしてます!






【連載】超次元散歩倶楽部

キロク学会 キロクニスト養成講座




4.ブログ

創作物を発表したり、趣味のことを書いたり、昔の思い出を振り返ったりと、昔はブログに色んなものを詰め込んでいた気がしますが、今はもうただのジジイの日記になっていて、タイトルの地味さがそれを物語っているように思うのです。
でも振り返ると、仕事で忙しいといってはいるが、ブログ以外では色々やってる気がする。

ブログ更新も800回から900回の間に3年半掛かったのだから、1000回を迎える頃には40歳になっている気がする。40歳の日記ブログはさすがに見てらんないし、今決めましたが1000回目の更新でブログは終了しようと思います。
その前に息子に読まれたら死ぬしかないので、頑張って沢山書きます・・。

2016年もまたよろしくお願いいたします!


【2015年記事】

俺の結婚式でケツメイシが流れた話

箸を洗うのがとても嫌いだよ

洗濯機よ止まるな

俺は子育てブリブリおじさんだよ

車を買った事がない俺ですが、この度車を買います

「たたき」「にこみ」と言った安直な名前の料理名について

肝臓の数値E判定
 
| fabricio zukkini | 雑記 | 08:29 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
肝臓の数値E判定
健康診断の結果が返ってきた。結果はまさかのE判定。

高校二年の夏、模試の結果で見た上智大学E判定以来の17年ぶり2度目のE判定に沸き立つ地元商店街。
肝臓E判定を受けて、志望校は2ランク落としてすい臓、滑り止めに脾臓と狂った羅針盤に進路をゆだね、僕と言う名のモーゼは海をパッカン、ショートカットでイチロ日産ノアの箱舟である。

このように肝臓の数値が悪いことに腹を立て、ついフリースタイルのポエムを吟じてしまったジジイです。

繰り返すが健康診断の結果はE判定、すなわち「精密検査要」である。酒は飲まないほうがよいと。
精密っすかあ、などとアレしながら、真心ブラザーズがE、E、E、キモチE!などとひょうきんな歌をうたっていたのを即座に思い出したがこの度はキモチの問題ではなくフィジカル面でのEの話である。

納得がいかないのは、半年前に愛知県に引っ越してきて以来、友達もいなければ店もないこの街で、めっきり飲酒ともご無沙汰だった最中の出来事だということである。
肝臓がアレする原因は酒じゃないことは百も承知だが、言いたいことはそうでなくて、今まさにレア度が上がり、相対的にお酒を飲むことのイベント性が急激に高まりつつある最中だったことである。
「1回、1回のお酒、大事にしてこう。」などと決意も新たに安酒をよりやすくの精神で、酒道にまい進しようと決めた最中だったのである。

趣味はと聞かれて割りと真剣に「飲酒です」などと回答していた俺なので、酒が飲めないということは別の趣味をはじめざるを得ないことになるわけである。
お盆、実家に帰ると兄はサーフィン、弟は釣りに明け暮れていた。俺は「はい、飲酒です」と言って普通に笑われた。

考えてみるとそれ以外に趣味がない。本、テレビ、漫画、映画、ゲーム何も興味がない。
この度の肝臓の謀反で発覚したが、まあ飲みに行かなくなるとどこへもいく用事がないのである。
無理して単独行動しなくてもいいんだけど何も思いつかない事を問題視している。

かといってだが、そもそも飲酒は趣味になるだろうか、たぶん趣味たりえない。バカに「だってそれ、ただの食事じゃん」と言われても俺は反論できないのである。
大体「趣味は呼吸。」「趣味は寝ること。」みたいな、中学二年生病みたいな!そんな当たり前のことを掲げている感じがするのと、好きな食べ物を聞かれて「とりです。」と、食材名を答えるような、何かそういう阿呆な感じがする。

肝臓E判定をきっかけに自分の趣味について考えることになったのだが、10年以上飽きもせずにやっているのに何故か「趣味はブログ」とは言いたくない33歳のプライドである。
| fabricio zukkini | 雑記 | 23:40 | comments(10) | trackbacks(0) | pookmark |
商談に筆記用具を忘れていくことが多いオッサンです
ご覧のとおり、とっても明るくそしてひょうきんな俺だけど、割とお堅い業界のお堅い会社で営業をしている事はお伝えしておきたい。
いわゆるB to Bというやつで取引先は企業なので、一般的に思われているペコペコ営業とは若干色が違うように思っている。
ニッチな分野で競争もさほど多くはなく、従って商談も技術的な話がメインなので「わが社にぜひ!」みたいな生臭いシーンはさほどなく、「出来る出来ない」が大半で、出来るならばオーダーします、っていうシンプルな話が多いのだ。

数字を控えたり画を描いたり、商談中にメモを取る量は結構多いのだが、俺はメモを取るのがヘタクソなのでとにかく取っておいて後で別のノートにまとめるというスタイルで商談内容の整理と、自分自身の頭の中での整理を行っている。
エクセルファイルなどにまとめていたこともあったが、あまり頭に残らないので早々にやめている。
これは受験勉強のときも同じ事を思ったのだが、自分のクセのある字でノートに手書きしておかないとその部分が映像として脳に残らず、その都度手で書かれた文字やイラストの類のこそが、それらを呼び戻す記憶の引き出しの取っ手の部分になると思うのだ。

たいした仕事してる訳でもないくせに「俺の仕事術」をひけらかすのもみっともないのでこの辺で止めておきたいが、今回言いたいのは俺がよく筆記用具を忘れてピンチになるという事なのである。俺の仕事への取り組み姿勢などこんな程度なのである。
忘れ物しないように手の甲に「メモを見ろ」と書いて、そのメモに「FAXをわすれないで」と書く程度の男なのである。

昔からスーツを筆箱のように着ている俺であるが、そのスーツの内側のポケットに入れているはずのペンがいつもどこかに行くことが多く、それに気づくのが商談の場ということが社会人になってもう何度もあった。
かつては取引先に「すいません、ペンをお貸しいただけますでしょうか...」と消え入りそうな声で懇願し、先方と交代で一本のペンを使った事もあった。あ、共同作業って感じがしてなんかいいなって思ったけど、向こうはとっても迷惑そうだったのでそれ以来もうやめようと固く誓ったものである。

黒ボールペンを忘れて赤ボールペンでメモをとるなんて事はままあり、これも結構変であるがスーツの内側に入っているペンが、ボールペンかと思っていたものが見事なフェルトペンだったこともあった。
フェルトペンはとにかく太い。この太字でメモを取るのは字を大きくせねばならないためすこぶる滑稽で、俺がメモを取っているのを興味深そうに眺める取引先の眼前にて、大きな字で書かれた小学生のような商談ノートが出来上がり大恥をかいたものであった。

つい先日だが商談の場において、俺の手元にはまさかのピンクの蛍光ペンしか無かった。
とうとうきたか蛍光ペン、出たなあ蛍光ペン・・・!もはや蛍光ペンの時点でゲームオーバーだが、しかもピンクというのはついていなかった。ピンクはとてもかわいいので、真剣勝負の商談の場には相応しくないのである。

出てきたときは「やれやれ=3」という感じでとても呆れつつも面白かったけれども、ジッと眺めていても蛍光ペンは蛍光ペンのままなのでとにかく先方にバレないようにピンクの蛍光ペンでメモを取ってはみたが完全にバレていたし、蛍光ピンクでびっしり書かれたメモを見返すとピカチュウの光で体調を崩したキッズたちと近い症状なのか、何やら俺も体調が悪くなって小一時間戦闘不能になってしまったのであった。
あれはなんだったのだろう。ただの二日酔いだったのだろうか。

まあ、明日は月曜日、仕事の話などを書いて気分を平日仕様にチューニングする次第であるが皆様もよい平日を。
くれぐれも忘れ物なきよう。

 
| fabricio zukkini | 雑記 | 23:21 | comments(10) | trackbacks(0) | pookmark |
洗濯機よ止まるな
先日箸を洗うことのやるせなさについて言及したばかりだが、家事が逃れられない日々の重荷になりつつ今、俺の頭の中は家事のことで一杯。

この土地は俺が守るとばかりに使命感に駆られ、掃除機のパワーは強で先端のやつを外して管にダイレクトで吸い込ませるという男に掃除機を使わせたら必ず陥る吸い込みパワー主義でもって今日も一人、お部屋をきれいにする次第である。

終わりなき自由気ままな一人暮らしなら幾らかマシかもしれないが、これは諸事情により離れ離れとなっている家族をいつか迎え入れることが前提の、仮の一人暮らしであり、従ってその時に備えたハウスメンテナンスはそれを考えるとどうしても必須になること。

所詮男の、それなりの清潔意識での作業ゆえ、主婦の方々からみればツッコミどころの多いずさんなものに映るかも知れないが、男33歳が気のつく範囲で家族を思い健気に、しかしすこぶるズサンに、また割とどうでも良い処を中心に掃除などに取り組む様は涙無くしてみれるものでは無いはずである。

実を言うとつい先日、漸く、また無事に次男が誕生し俺も二児の父となったばかり。
いよいよ家族の帰還も近いぞと思うと掃除への取り組みにも力が入るというもの。
次男とはまだたったの4日しか会っていないが、彼のことを思うときちゃない部屋でパパお出迎えなどあり得ようはずも無く、時々届く次男の写真が家事へのささやかなモチベーションとなっているメンタルがとても単純な可愛いオッサンである。

とはいえであるが、気持ちがいくら前向きになろうとやはり家事の面倒臭さときたらこの世の神秘であり、積み上がった諸々を目の当たりにするにつけ、服も食器もお部屋も、使い終わったら全部捨てちゃえばいいジャンというような焼いた大便こと、いわゆるヤケクソ状態にもなるというもので、この辺りのメンタルコントロールを日々行う主婦ないしは主夫、または一人暮らしをする学生諸兄姉に対するオッサンからのリスペクトはハンパがない訳である。

最近とみにボンヤリ思うことがあるのである。
それは洗濯物を洗濯機に放り込んでしばらく経ってのことである。

「洗濯機、このまま一生回り続ければいいのに」

なにやらロマンチックな響きが聞こえてきたが、言っているのはリビングで現実逃避の耳かきをしているオッサンで、言葉の意味は楽をしたいということである。
まわれまわれメリーゴーランド世代の皆様の事ですから、この様な表現には人一倍共感を覚えてシェアしたくなるのではないかと推測しているオッサンですが、つまり、洗濯機が止まると干さねばならないというこの世の抗えない摂理を久保田利伸に極めて近い感覚で嘆くカインドオブポエムなのである。

干したら干したでポエムが出来る。俺は二児の父であるが、家事はポエムの母である。

「一生乾くな、洗濯物 いっそどこかへ飛んで行け」

今日も家事が待っているのだが、まずはシンクに溜まった箸をやっつけたい。
| fabricio zukkini | 雑記 | 10:18 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
箸を洗うのがとても嫌いだよ
急な転勤に加え、訳あって一人暮らしを強いられておりただでさえ慣れない街で生活にはまだまだ苦労を感じる。

昨年の春〜夏にかけ、やはり単身赴任で関西のど田舎に3ヶ月いたばかり。
やる事がなくせっせと朝晩料理に励んでいたのが今般の一人暮らしにも役に立っており、やはり今回もほぼ毎日自分で作ったものか、最低でも出来合いの惣菜などに頼らない半製品の調理を続けられている。

実際のところコストだけを見れば買ったほうが安いのではと思うこともあるが、過去の経験から、何か日々の食事を万事の入り口として、そこが蔑ろになる事で人は怠惰の道へ進むような気がして、そこだけはちゃんとやろうと心に決めている訳である。

調理をすると何かと手間が多いのも事実。生ゴミ、分別の必要なプラスチックや缶など、それらゴミの仕分けや食器洗いなどの手間があるが、それらを片付ける手間にあえて挑む事で「俺は家を守っている!」感が増大し、まるでシムシティでもやっているかのような、日々の何でもない暮らしに張りを出しているように思う。

勿論俺の場合は一人暮らし、自分の出した諸々の、言わば尻拭いめいたものでありその責任の逃げ場もなく、また結局己のコンフォータビリティの為と言うのもあるが恐らく「ちゃんとやってる俺」に酔っている面もあるで然して褒められる程の事でもないかもしれない。

しかし果たして多くのハウスキーパー諸兄姉が常にこの様な心持ちで家事に挑んでいるのかは知る術がないが、家族とはいえ他の誰かの為に、人の出したアレやコレを毎日処理し続けると言うのはまた話が違おう。それは能動性を欠き、シムシティというよりインベーダーゲームのような受身のシューティングゲーム的な作業感かもしれない。

男33歳子持ちの俺が今一人暮らしをしていてそこそこ家事には前向きに取り組んでいる事だけ理解してもらえれば満足であるが、勿論そこには楽しさだけではなくこれはあまりやりたくないというものもあるわけで、俺の場合はそれが「箸を洗う作業」がそれに該当する。
ここで言っておきたいのは洗い物のそれ自体は然して面倒ではないということ。
おびたたしく積み上がった食器の類が綺麗に片付けられていくのはやはり清々しく、あんなに鬱陶しく鎮座した汚れた食器の数々が消え失せ、終わってみてシンクの底が見えた時は晴れやかな気持ちがする。(テトリスのようだ!)

しかし、そんな洗い物にあって唯一箸を洗う時だけはそうはならない。箸を洗う時のつまらなさよ!
だから俺は、いつも食器を洗う時には必ず最後には箸が残り、それを後日まとめてやろうと先送りする為いつもシンクには大量の箸が落ちている。

なぜか。箸は他の、例えば皿とか茶碗、似た者同士と思われるスプーンやフォークと違って「打っても響かない」所が歯痒く感じられる。つまり洗っても洗わなくてもその表情が変わらず、こちらとしてはやった感じがしないのである。
「つまり」とかいって依然抽象的で全然説明になってないがつまり!箸は洗っても洗わなくても何ら変化が分からないのである。
お皿さんはどうですか。洗ってやったらピカピカ光ってだね、まるで気持ちいいですと喜んどるようだよ。皿は単純明快、ああしてあげてよかった!善意が報われた!という素敵な気持ちになると言うもの。善意は押し付けてこその善意。リアクションの無い善意なんてパント&マイムだ!

皆さんに箸のあの洗ってやり甲斐のなさをもう一度思い出してもらいたい。棒を、何ら物語の無い細い棒こと箸を、、、
洗う前の箸を見ても、余程のものを食べでもしない限り大体において際立った汚れを特に見とめられないことが常だ。「洗った」の概念が薄く、そもそも洗い終わり、完成がどこなのかが全くわからないやるせなさがある。
従い、「これくらいやればいいだろ」と言う大体の目分量で判断するしかない取り留めのなさが、雲をつかむ感じが箸を洗う時間にはある。

この様な理由から俺は箸を洗う時間こそが家事における最も辛く、退屈さを感じる時間になっている。
人によって様々に異なるであろうこの家事問題。ある人は洗濯物を干すのが一番面倒といい、ある人はゴミの分別と言っていた。
明石家さんまはかつてまな板を洗う時間を独り暮らしの最も辛い瞬間と言っていたがその気持ちもわかる。
多分その理由は俺とさんまでは全然違うんだろうけど、まな板の真の清潔さ、洗い物としてのゴールを追求すると漂白とか熱殺菌とかしないとヤバいんじゃないスかと思うことがままあるからだ。これもある意味何か効果の不明な虚しい家事の時間に思えてならない瞬間である。

俺のペースで、俺がコントロールしたい。箸にはそれがない。
こんな長い日記を書かせるほど、俺は箸を洗うのが嫌いだ。
| fabricio zukkini | 雑記 | 23:51 | comments(9) | trackbacks(0) | pookmark |
あるスーツのサイズ感
昔から地元で開かれる結婚式に出席すると、地元ヤングのスーツの着こなしに注目してしまう。

具体的に言うと、地元のヤングときたらスーツのサイズが明らかにオーバーサイズ、何か皆デカいのである。
俺のボディにはまだまだ伸びしろがあるぜという、先の成長を見越した判断であったとしたら「今を生きろ」と伝えたくなるし、テメエに関係ないだろと言われるのは承知だが、そこにはかつてオーバーサイズで着こなしていた学生服のノリが一部残っているような気がしてならない。

それに加えて、皆スーツの下に華美なデザインのテカテカチョッキ的なサムシングをまとっているケースが多く、そこにはたたみかけるかのように胸のあたりにぶら下がる謎のチェーンのような装飾。
未だあのチェーンが何と何をつなぐ為のものなのか疑問なのだが、そういう細かいことは置いといて、沢山着れば防御力UPというRPGの原則から判断するとアレはとても強そうである。

それにしてもこのスーツの着こなし、はてどこかで見たようなアレだなあとソレしていると、ひらめくのは秒速で稼いだが刹那でコレしたコレステロールツバサこと与沢さんがまとっていたあのサイズ感、あのチェーン仕様なのである。
俺が与沢さんを初めて見た時、「余罪みたいな名前だな」という彼の行く末を密かに暗示する不吉な響きの不吉さと共に「田舎の結婚式みたいだな」という妙な安心感を同時に感じたものです。
結局与沢さんがただデブだっただけで彼のサイズ感は田舎の結婚式とは関係の無い便宜上のものと分かったのだけど、その最初の印象が強すぎて与沢さんの安心感、親近感は今もアツいまま。

一体何の話をしているのか分からなくなってきたが、これからも細かいことは気にしないような男になれるよう努力したいと思います。
| fabricio zukkini | 雑記 | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
静電気など4つ
●ワンワン

息子ももうすぐ1歳半。
犬を見るたび「ワンワン」と言うようになりほほえましい限りであるが、近頃犬以外の動物にもワンワンと言うようになり困っている。
最初は犬以外でワンワン言っていたのは背格好の似ている猫だけだと思っていたのだが、実はその範囲はかなり広がっているようで、テレビに映し出されたライオン、馬、ゾウ、犬とは似ても似つかないはずの鳥、さらには教育番組に出てくる正体不明の動くぬいぐるみといった、非人間すべてに対して「ワンワン」と言うようになりつつある。
そして先日、電車に乗っているときのことだが、目の前の外国人2名をジッと見つめているわが子に気付きハッとした。

「コイツ、ワンワンというつもりでは・・」

俺のこの要らぬ心配こそがフキンシンなのであった。


●レンコン

レンコンのことをゴボウと言い間違えることが多く困っている。
ゴボウとレンコン、全く言葉の響きは似て居ないし、レンコンという言葉自体決して覚えにくいわけでもない。なのにレンコンを目の前にしても、その名前が全く出てこないのである。
地中に埋まっていることぐらいしか共通点がない両者をなぜ頭の中で混同してしまっているのか謎であるが、しょうがないので思い出したときに「レンコン」と声に出すという方法で対処している次第であるが、この前なぜか「チクワ」と言ってしまい心が折れそうである。
これ以上混乱したくないので、頼むから余計な登場人物はもう出てこんでください。


●フォアグラ

30近くになるまでフォアグラを食ったことなく、結婚式で出たフォアグラを食って「このフォアグラ、うめーーー!」などと感激して大失笑されたのが俺であるが、それが実はフォアグラの上に乗っている、ただフォアグラの出汁にあやかったていただけのダイコンだと知ったときのショックは相当なもので、そんな下級戦闘員たるダイコンの下で、もはや食べ物とは思えない物凄い戦闘能力を放ちながら俺をジッと待つモノホンのフォアグラ様の貫禄が今でも忘れられない。
食べる前から「食べなくても美味いのは分かります」状態で、よくわからないけどすいませんと土下座をするところであった。


●静電気

30歳になってからというもの、それまでになかった体の異変に悩まされる日々。年々激しさを増す静電気もその一つだ。
特に仕事中、スーツを着ているときに顕著で、車の乗り降り、ドアノブを掴む時、レジでのお釣りの受け渡し、そこに導電性のある材質が用いられている場合、ほぼ100%の確立で電気ショックを浴び、全く油断が出来ない。
こんなことがあるなんて信じられないのだが、立体式駐車場の車を回転させる鉄板の上に足を乗せたら足の裏からバチっと来たときはもうこの世に逃げ場はないと思ったものだ。
靴の裏側はラバーであり、絶縁材だと思っていたのだが、これだともう何も信じられないのである。

このように、最近ではもはや恐怖症にも近い状態で、静電気を食らいそうなモノを前にしたときの俺の挙動不審さは見ごたえがあるはずだ。
他人からみれば滑稽だろうが、バチっと来そうなものを直接触らないように、手に持った財布やケータイなどを不器用に使いながら物事を済ませねばならず、これが不自由なことこの上ない。

静電気に関するセツジツな悩みをこのまま延々打ち明けたいところだが今回はこの自らの体験によって思い出した、かつて自分がこのブログで紹介した奇妙な男のことに触れるのが目的だ。
その男は前職の得意先の守衛所にいた守衛係で、入場時に渡される来客用バッヂを返却する際、こちらが手渡ししようとしているのにも関わらず、絶対に手で受け取らず「そこに置いてください」と頑に拒み続ける奇特な人物、として紹介した男である。

もうお分かりだろうと思うが、彼も静電気恐怖症だったのではないか。手と手が触れ、バチリと来るあの恐怖を回避したかったのではないか。
あのときは静電気の恐怖など微塵も感じずに生きていたゴキゲンな日々だったが今は違う、あの時はアコギに何度も手渡ししようとして申し訳なかったなと素直にお詫びしたい気持ちでいっぱいである。

 
| fabricio zukkini | 雑記 | 23:08 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
名前について今更
この名前、zukkiniを名乗り出して八年近く。

なんか記号っぽくて固い文字列なので正直失敗したなと今でも思っているがあちこちで名乗ってしまったのでもはや変えることはできない。

ズッキーニの正式な綴り「zucchini」とは違うのでzukkiniでは「ズッキニ」などと呼ばれても止むを得ないのもつらいところ。
※初めて表明しますが「ズッキーニ」のつもりです…

長年自分のインターネット・ホーリーネームとしてお世話になっている植物としてのズッキーニであるが、この野菜の存在を知ったのはかなり後になってからだ。

大学四年で始めたイタリア料理屋のバイトで時々目にする冴えない「ほぼヘチマ」の青野菜に、ズッキーニなるイタリア人ぽい名前がついている可笑しさに妙に惹かれたのを覚えている。

その後ズッキーニと再会するのは俺が築地市場青果部門の肉体労働者だった頃、全然売れずに廃棄されかけていたズッキーニをタダで引き取り続けた結果、ほぼ毎日食卓にズッキーニが出てくるようになったときであるが、これがまあ料理のバリエーションに乏しくすごく辛かった。

して、ブログを始めたのが丁度そのエンドレス・ズッキーニ地獄のさなかなので、悪夢にうなされるように自然とブログのURLになり、そして面倒なのでそのままHNになってしまった。
(思えばものすごく安直だが、長年何かを続けているヤツの、その始まりというものは大体そんなものだと最近の俺調査が俺にだけ明らかにしている)


またすげーどうでも良いんすけど、実はボクの正式名称はfabricio zukkiniである。

この名前の元になったのはFabricio Coloccini(ファブリツィオ・コロッチーニ)というイタリア系アルゼンチン人のサッカー選手なのだが、なぜ彼が元になったかはいまだに謎だ。

特にファンでもなく、元々彼のことは全く知らないのだが、最近調べてみたら同い年でしかも同じ一月生まれであることが分かり、たまたま名前の由来となった人物に若干の縁を感じる次第。

元々は「イタリア人気取りのヘチマをお望み通りイタリア人と合体させてやれ!」という謎の実験精神が生んだ悲劇としか思えないが、俺の名前はそんなわけでファブリツィオ・ズッキーニなのである。
なんねこれは、文字にすると恥ずかしいっタイね…

今日いきなりなんでこんな自己紹介的なことを書いたかというと、そろそろ何かのきっかけで名前を変えたいからであります。

何かそろそろもっと人間っぽい、カズヤとか正和みたいな、、、血の通った名前で呼ばれたい。そんな気持ちがかなり優勢である。
さしあたって、さしあたってでありますけれども、、、時にはファブリツィオさんって呼んで下さい。

やっぱ、絶対呼ばなくてもよいので、これからもzukkiniでよろしくお願いします。
| fabricio zukkini | 雑記 | 23:34 | comments(7) | trackbacks(0) | pookmark |
ジジイ七味とは何か
ある一定の年齢に達すると何にでも七味をかけるヤカラが増加する。うどん、ソバ、牛丼、モツ煮、ゴキゲンな日にゃあカレーにだってお構いなく振り掛けられる七味。
乱暴だが、あれをジジイ七味と呼んでいる。

ジジイ七味とは特定の何かではなく、その張本人たるジジイの着座から散布にいたる、迷いのない所作一部始終を指す。行為は豪胆だがモーションは意外と繊細。
味見をして「もうちょっとかな」などという作業も無く、最初から入れる気満々で席に着き、案の定、各自決められしモーションにより数度、ササッと入れる。

俺のような小心者にしてみればオリジナルの味の否定とも取れ、「作った人に失礼なのでは・・・」ということでカウンターからの視線が気になってしょうがない行為。
だが、それらを含めたすべてこそジジイ七味。ah.....!もはやそれは一つの現象なのである。(いってる事、分かるか。)

アクセントのレベルを超えた量で大量に降りかけられる七味。
昔は、何をそんなにこの味覚障害めがと眉をひそめつつ眺めていたのだが、最近ソレをアノヨーニ大量に降りかけたくなるジジイの気持ちが分かるようになってきた。

実はこの七味こと赤いあんチクショウだが、実際には見た目ほど味に迫力が無いのである。
あの赤く燃えるスパイシーな色味、また「七味」という味のミラクルを起こしそうなレインボーなネーミング。
これらを根拠として元々の俺が勝手に「あいつはヤバい」と過大評価していただけで、実際には見掛け倒しの極々平凡な、なんというか、フリカケみたいな野郎なんですよね。
「大勢に影響なし」というといい過ぎかもしれないが、たとえ大量にコイツをキめたところでハッキリいって見た目ほどの味のインパクトは無いといっても良いだろう。

思った以上に微かな味の変化ゆえ、それなりの量をかけなければならない事情もあるが、アレには七味を沢山かけることによる「さあいくぜ!」という気持ちの高まりというか、舌というより、どちらかと言えば動作を通じて体に向けて発するアペタイザーのような意味合いもあるのではないだろうか・・・・!


「というわけなんだけど、どうかな。エンドー君。」

先日会社の5歳下の若者に向けてこの壮大なジジイ七味説について力説したところ「いや、フツーに辛いすよ、味覚おかしくなったんじゃないですか(ワラ」というサビシいアンサーが。

「だよな(ワラ」

ジジイ七味の本質。
信じたくはないのだがもしやコレなのだろうか。南無。


| fabricio zukkini | 雑記 | 22:10 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |







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