ぼくののうみそ-・x・

クロワッサン
あれは小学5年生のとき。今でも忘れられない出来事が。
友達と狭い小路で遊んでいたとき、前方から自転車を手で押しながら現れたおばさんが我々の横を通過しようとした。
おばさんはおしゃれな幅広の帽子をかぶり、にこやかで全体的に上品な感じだったように記憶している。

道幅は人がなんとか二人通れるくらいの本当に狭い場所だったので、俺と友達はおばさんのために大げさに避け、道を空けてあげた。
小さいことではあるが、一応良いことをしたことに対して褒めてもらいたかった気持ちもあったのだろう、「どうぞ!」などと声をかけることも忘れない。

おばさんはにっこりとして、ありがとうでも言うのかと期待する我々に対し、微笑ながら

「フィー」

とだけ言った。
意味が分からず黙っておばさんの通過を眺めていた。

意識してみると、そのおばさんがその小路を結構頻繁に往来していることに気づいた。いつも自転車を押し、周りに誰も居ないときでもにこにこしている。
そしてあの日以来、目が合うたび、にっこり笑いながら「フィー」と、はっきりそう言うのである。

言葉を発さず意味不明なことだけ口走る。
こうして「フィーおばさん」と安直なニックネームを付けられたその女性、目が合うとフィーといい、「こんにちは」と挨拶をしてもどういうわけかフィーとしか返さない。無礼といえば無礼だが、それよりも段々不気味にも感じられた。

あるときのこと、友達が興奮した様子で「まいづるでフィーおばさんが喋ってるのを見た!」と報告してきた。まいづるとは近所のスーパーである。
母親と買い物に行っている時に発見し、尾行でもしたのだろう。そのときの報告の本当にどうでもいい感、これこそが実は今でも忘れられない出来事なのである。

どういうシチュエーションかの説明は一切無かったが「クロワッサン」と言ったらしい。
友達はとても嬉しそうだった。
| fabricio zukkini | 街の風景 | 23:34 | comments(5) | - | pookmark |
朝の観察項目
朝の通勤時、急いでいる人を眺めながら、同時に時計をチェックすることがある。目の前で急いでいるその人の、出勤時間を推測して楽しむ、ということやるからだ。
楽しむ、といっても大した楽しみ方は出来ない。極めてマニアックであまりオススメはしないのだが、例えば8時20分だったとしたらかなり高い確率でその人が目指しているのは8時半の朝礼だか30分刻みのタイムカードだと考えられる。
その人の表情、急ぎ方から判断して会社がどの辺りにあるだとか、この人が普段から遅刻が多いから今日はもう遅刻の理由が残ってないだとか、結構その辺のルールに厳しい会社だからこうも必死なのだろう、とか、至極どうでも良いことを想像して楽しむわけ。会社に入ったあとに待っている小さなドラマ(エレベーターが上の階でくすぶってる!等)なんかも想像するオプションもいいね。
ともかく、果たして間に合うのだろうか・・・!と勝手にハラハラしながら8時28分ぐらいにその人が会社らしき建物へ駆け込む姿を見て「OK。」と勝手に安堵。たまりません。
凡そ7時半〜9時半の間、恐らく30分刻みでこのような「急ぐ人」は一定数存在するはずであり、観察すると極々小さなものではあるが、「間に合うのか否か!」という程度の手に汗握るほどでもないドラマが展開されているはずである。
一度で良いから7時半から9時半の間、オフィス街の一角に立ってその一部始終を眺めたいものだ。

ただし、自分がやっていることはきっと誰かがやっているに決まっている、という勘違いに悩まされ続けている自意識カジョーな俺だから、今度は同じように俺が急いでいるのを誰かがきっと「間に合うのか否か!」とやっているのではないかと、やっぱり思ってしまうわけ。
自分が急いでいるときに気になるは現在の時刻よりも人の目。俺が8時半を目指して、始業時に行われるバカバカしい朝の挨拶運動に間に合うよう焦って走っているのがバレるのはやはりシャクである。
遅刻だ遅刻だいかんいかん、と駆け足で会社に向かっていたある日の朝、背後に湿っぽい視線を感じた俺はピタリと立ち止まり、突如としてゆっくり歩き出した。背後に感じたのは当然、サムワンによる「彼は間に合うのか否か!」の視線である。《そうはいくか》のかく乱ウォーキングによりその日は当然のように遅刻してしまったが、何か大切なものは守られた気がして「TARUNDORU」なんて言われてもそんなのタダの文字列よと、全然平気であった。評価が下がろうが気にしない。上司の目より街の目である。

いやまあ、早く家を出れば他人の様を眺めることが出来るが、ちょっとでも遅刻しそうになるとかくのごとき次第。いずれにせよ時間とエネルギーの無駄であることこの上ないのでそろそろやめようと思っている。
ただしハマると結構愉しいので一応オススメである。今日で夏休みが終わり明日また出社。朝は平和に過ごしたいものである。
| fabricio zukkini | 街の風景 | 19:47 | comments(2) | - | pookmark |
トイレをご利用のお客様は・・・
「トイレをご利用のお客様は店員に声をおかけください」

というはり紙のあるコンビニ。あれが好きじゃない。
一方で「トイレはご自由にお使い下さい」と書かれているコンビニもあって、トイレだけ使うのは悪いからコーヒーの一本でも・・・と強制されていないはずの使用料を善意で(善意で貸してもらっている側でもあるが)払いたくなるのは間違いなく後者だ。

利用する際に一声かける理由も分かる。防犯上、客が店員の知らないうちに店内の密室に勝手に自由に出入りするのは好ましく無いだろうし、コンビニとしてやっているはずが公衆便所扱いされるのは気持ちの良いものではないだろう。「マチのほっとステーション」の「ほっと」が小便を連想するようになってはこりゃあ一大事。

まあそういう事情も分かるのだが、実際のところ「○○するな」乃至「○○しろ」という指示は、こちら側が信頼されていないような気がして気持ちの良いものではないのは間違いない。そういうコンビニの便所において、高い確率で今度はトイレ内でやれ「紙の使い過ぎはやめてください」だの「ちゃんと流してください」だの「電気はキチンと消してください」だのといった喧しい注意書きの嵐が我々を待っている事が多く、さらにげんなりするわけ。「500円以上買ってください」とはどこにも書かれていないし、もういいやションベンだけして何も買わずに去ろうと、そう思ってしまう。

忘れもしない、東京多摩市の永山6丁目にある大きい道沿いのデイリーというコンビニのトイレには、なんとまあ、「レジで鍵をもらってください」というはり紙があった。実際にドアノブに手をかけるとそこには鍵が掛かっている。まさかである。
戸惑いながらレジに行き「トイレの鍵を・・」と言うとレジの下からもの凄く大きい木のプレートに小さな鍵がついたものを渡される。木のプレートには「必ず 返してください」という文字。必ず、の下には二本線で強調されており、「持ってったら殺す・・」の意図が読み取れてしまい、鍵を返すとき、この店を何も買 わずに手ぶらで出るのは叶わないと悟り、欲しくも無い肉まん一つ・・・。
客に自由を与えはしない!という考えに基づいた、そんな極端な店もあるという事実をお伝えしたい。

とあるコンビニにて。
トイレを使おうとトイレへ向かうと件のはり紙、やれやれと思いレジの店員の元へ歩いて行き「トイレを使わせてください」と告げる。そこで帰ってくるのは「あ、はい」という面倒くさそうな、気の無い返事。若い店員の中には「いちいち言ってくんなよクズ」という表情で対応して来る不届きものもおり、その度に《てめえらの命令がなけりゃ俺だってわざわざ自分の尿意申告なんざしとうないわ・・・!》と憤ることになる。
昼勤と夜勤の店員間の温度差があったり店長のコンビニ経営に対する思想が行き渡っていないコンビニでは、はり紙と店員の対応におけるミスマッチは度々あることで、実際にはああいったはり紙が既に有名無実化しているというのは色んなシチュエーションで見られること。
それに気付いてかそれとも彼の元々のヤンチャな性格に起因するのか、俺みたいに小真面目に店員に「ションベンがしたいのでトイレをば」と申告している間に、それを行わずに勝手にスタスタと俺の目の前でトイレへ入って行くクソ横着者に、なけなしの便器を華麗に奪われることがしばしば発生する。腹立たしい!

わざわざレジにトイレの使用許可を得る意味として、ひょっとしたら「今ご使用中ですのでちょっとお待ち下さい」なんて言ってくれる親切な便器オペレーターの役割があるのでは・・・?と思ってみた事もあったが、「はいどうぞ」と店員に案内されたのに既に誰かが先に入っていたことがもう何度もあったことからそれはあっけなく否定された。

誰も申告してないし、店員も今誰かが入っているかどうかなんて把握もしていない。やはり有名無実化していると考えたほうが良いだろう。ならばこそ、俺のような客を軽くうんざりさせるような、あんな面倒くさいはり紙なんてもうやめてしまえば良いのに。真面目な客が何かと損をしている現実を店員は知るがいいのだ。

さもなくば。
全てのトイレはり紙に対し、「トイレをご利用のお客様は店員におかけください」と修正するテロ行為を行っちゃうよ。

| fabricio zukkini | 街の風景 | 22:55 | comments(9) | - | pookmark |
ちい散歩で



「ちい散歩で地井さんがおいしいと言ってくれた焼き鳥店!!」


「ちい散歩」とはテレビ朝日の番組で、名前にある通り俳優の地井武男さんの老人性の徘徊癖を利用し、家族の制止を振り切り思いのままに徘徊している彼の様子をカメラで追うだけの、高齢化社会を上手く利用したお散歩系街角情報番組のことである。(http://www.tv-asahi.co.jp/sanpo/

うちのすぐ近所の精肉店でこれを発見し、撮影した写真が上に載せたものだが、この「焼き鳥店」って、はっきり言って路地裏のごくごく小さな精肉店が、店の片隅で余った鶏肉を焼いて売ってるだけの本当にささやかなモノで、「焼き鳥店」を名乗るには相応しく無いのが実際のところ。少なくとも俺の認識は小さな肉屋さんだった。
最初にこの看板見たときはホントに地井武男がこんな何も無い普通の住宅地の、しかも私道みたいな路地裏にやって来たのかよ、と思ったぐらいだが調べるとやっぱり来ていた模様で、このような普通の民家しか無いところで、果たして番組としてきちんと成立したのか甚だ疑問だった。

そんな具合でともかく放送を観ていないのでその時の様子が分からないが、店の立地や小汚さからして、想像するにちょっと店の前を通るときに近づいて「チイチイ、これ食べてください!これを!」と無理矢理口にぶち込んで「うん、おいしい(棒読み)」と言わせただけに違いなく、それを「今言った!言ったよね!」「うん、言った言った!聞いた!みんなメモれ、コピれ、Make Money!」ってこうやって大々的に宣伝してしまうこのお店の逞しさに敬意を表してパシャリ。
地井武男さんが「おいしい」と言ったという内容にしても、実際には「うん、惜しい(タレ的な意味で)」と言ったのかもしれず、近年の地井さんの滑舌の悪さを顧みるとその線もあり得る。
例えそうでも、逆に「ちい散歩で地井さんが遠い目をして惜しいと言ってくれた焼き鳥店」と正直に書いたほうが、ああ来たんだ、ああいまいちだったんだと、俄然リアリティがあって良いのではないかと俺なんかは思ってしまう訳である。(ここの焼き鳥は実際良く買いに行くしとても安くて美味いのですが)

かつて関根勉が商店街ロケで歩きながらちょっとつまみ食いしただけの総菜屋が、後日「関根勉大絶賛!」という立て看板を大々的に作っていたというエピソードを聞いたことがあるが、恐らく全国各地、エブリ商店街でこうした現象は起こっているのだろう。
それくらいテレビの影響力は絶大で、芸能人の名前は客に訴えるものがあるのだ。

自分の身近なところでこうした現象を見てしまうと、元々怪しんではいたが、今後ますます街中で同じような「○○が絶賛!」「○○で紹介されました!」的なものがうさん臭く感じられる。
「ちい散歩で地井さんが・・・」と書かれているものが皆様のご近所の何でも無いところに突如現れたら、それは特に要注意である。


※ぼくののうみそはちい散歩で地井さんがおもしろいと言ってくれたブログです



【お知らせ】
12月5日(土)餃子の王将水道橋店にて一緒に餃子の食べ放題に来てくれる人を募集しています。4名以上が食べ放題の最低人数なのですが、多いほうが良いのでふるってご参加下さい。
詳しくはmixiにコミュニティがありますのでそちらでご確認ください。主催者が無口なので、シャイガイにはもってこいのイベントです。mixi利用していない方のお問い合わせはdisco.zxayあっとまーくgmail.comまで。

| fabricio zukkini | 街の風景 | 00:24 | comments(4) | - | pookmark |
電車にまつわるエトセトラ
東京の都心を走る電車は凄い。あの人数、あの多民族具合、そのくせ妙に秩序がある。
毎日何気なく乗っているけど、多分東京が最も東京らしいのって電車の中だと思うわけ。

東京の電車で見かけた色んな風景の中から、最近印象に残ったことを三つ書いてみたい。

【加齢臭】
夜11時、仕事帰りの総武線下り列車。
人同士がぶつからない程度の緩い混み具合の車内でおもむろに激しく抱き合いチュッチュとキスをする60オーバーのおじさん&おばさんを見つけた。
酒の臭いがする。おばさんはベロンベロンに酔っぱらっており目が開かない。顔がかなり険しく、苦しそうだ。
おばさんはおじさんに完全にもたれかかり、自分で立てない。
自分ばかりが丁度良く酔っているのだろう、血色の良いおじさん、それを良い事にここぞとばかりにおばさんの唇を何度も奪っている。チュッチュッ・・・
「冥土の土産に」という迫力さえ感じたおじさんの背中。ええかカズオ、目ェそらすんやないでェ、あれがキスのドリンクバーや。
俺が見せつけられたのはそんなヒドい光景。

二人がキスをする度、車内には加齢臭が、明かに局地から発せられた二人分の加齢臭が、チュッという音とともにぷ〜んと都度都度まき散らされ、音と臭いのファンタジーにしばし魅せられた夜のしじま。チュッという音だけが響いていた。



【素人】
混み合った車内でドア付近に立っている乗客は、駅に着くと一旦外に出て、降りる人の波が収まるまで待って再び乗込む、というのが東京のルール。
慣れない人だとそれを分からず、痛い目を見る。押し出されまいとつり革に掴まった結果、バイソンと化した人の群れにボコボコにされる。一方向を向いた日本人の団結力と突進力は凄まじく、群れが去った後、そこに残っていたのはなおもつり革をつかみ続ける白骨化した遺体。何度も見て来た光景である。

或る日のこと、普段通勤時間には電車に乗りそうにない、大きな荷物を持った学生風の若者がバイソンの餌食になった。
命綱を手放すまいと必死にしがみつくものの、突進してゆくバイソンの群れ。確かにそこは四谷駅ではあったが、谷ったって谷底に落ちる訳じゃなし、手を離して楽になれば良いのに彼ったら強情なんだから、色んな人から憎しみの対象となって故意の肘うちやらショルダータックルなんかを受けて間もなく白骨化。

そんなとき吐かれた聞き捨てならない一言、俺は忘れはしない。

「素人が。」

そう降り際に苦々しく発したのはスーツを着たサラリーマン。俺の父親ぐらいの年齢だろうか。
素人・・・、素人ってことは、彼は「プロ」?!
何のだよ。

降りるプロだろうか。絶対なりたく無い。



【ジャージ】

「ジャージ。」

電車の中、座席に座っていると聞えてくる、離れたところで話している若い二人の会話が気になった。二人とも色白で猫背、明かに大人しそうな垢抜けない雰囲気で、だけども何かについて熱心に話している。
話しているというか、互いに目は合わせておらず、片方がしきりに何かを質問し、それに対してもう片方が延々答えているようなのだが、その内容がはっきり聞き取れず、ただ分かるのは答えている青年の言葉がずっと「ジャージ。」であること。


A「○△×@/◇は?」

B「ジャージ。」

A「▲♪※○は?」

B「ジャージ。」

A「×○はジャージ?」

B「ジャージ。」


質問は結構繰り返されていたが、答える側の青年はずっと「ジャージ。」とだけ言っていた。声量もあり、ハッキリと喋るのでそれだけは離れたところにいる俺にもきちんと聞き取れた。聞き取れたからこそ、その異質さが気になる。
延々同じ答えの戻ってくるような質問をするほうもするほうだが、ずっと回答が同じなのに律儀に答えるほうもどうだろうか。
それだけ答えればもう全てジャージってことで良いだろうに。

最初は「セーターとジャージは?」「革ジャンとジャージはどっちが好き?」なんていう冗談に始まり、あまりに返事が「ジャージ。」なので「父親とジャージどっちが好き?」「お金とジャージどっちが好き?」「命とジャージどっちが大事?」なんていう類の質問を延々受けていたのかもしれない。
そしてそれにことごとく「ジャージ。」と、淡々と答え続ける青年。

そう考えると何か寒気がした。


| fabricio zukkini | 街の風景 | 23:59 | comments(6) | - | pookmark |
聴きながら聞いてください
「ヘッドフォンやイアフォンをご使用されているお客様、電車内では音漏れ等で他のお客様のご迷惑になりますので、音量の上げ過ぎなどご注意下さい」

JRで時々そういうアナウンスが流れる。
残念ながらそのアナウンスは一番聞かせたいヤツにこそ届かない運命。まさに音漏れで迷惑をかけているヤツにほど、注意の声は届かないのである。
攻撃は最大の防御と言うべきか、ズカチャカ言わせている若者は素知らぬ顔で自分の世界に入り込み、何も聴いていやしない乗客が黙って、何度か繰り返されるアナウンスをジッと聴く風景。何だか皮肉なものである。
というかだな、アナウンスするほうも少し考えれば分かるだろうに。

| fabricio zukkini | 街の風景 | 00:39 | comments(3) | - | pookmark |
コンビニ新時代
新鮮組というコンビニチェーンがあった。
恐らく東京を中心にしているので関東以外となるとほぼ名前を聞かないかもしれないが、これがちょっと前にローソンの傘下に入ってしまい、それ以降新鮮組の店舗は全てローソンへと変わってしまった。俺の住む中野にも、かつて駅前にあったのだが今はローソンとなってしまった。

ampmも確か近々ローソン傘下へ、というニュースがあったがこちらはまだ確定していない模様。
ampmにしても新鮮組にしても、統一されることによるメリットは売り手側にも消費者側にも何らかの形で(素人なのでスケールメリットからくる低価格化ぐらいしかすぐには思いつかないが)あるのだろうけど、今のところは我々買い手にはデメリットのほうが多いように感じてしまう。

やはり選択肢が減るというのはよろしくない。今まで例えば10種類のコンビニから選べたものが、集約されて3つになってしまったら買う側には明らかなマイナス。
新鮮組ぐらいならまだしも、という失礼かもしれないが、仮にampmだったらそれなりに店舗数もある訳だし、店舗数があればこそ、そこに馴染んでいた人もそれ相当に居る訳だろう。今まで当たり前だったampmの「とれたてキッチン」が無くなることを嘆くファンもいるかと思う。
そもそも、これは元々感じていたことなのだが、セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートなどの全国へ展開している巨大チェーンの弁当は押し並べて魅力が無い。「誰にも魅力的なもの」化するのはやはり無理じゃないか。
それだけターゲットも広く、商品は皆に愛されるべく当たり障りのないものにさせねばならないのだろうけど、これが今後マイナーコンビニ吸収により、巨大になればなるほど元々あったその傾向は俄然強くなるんじゃないのだろうか。恐ろしい。
今まであった魅力的な商品を押しのけたからには、貴様等それ以上のものを出してくれるんだろうな?ん?と思ってしまうのがコンビニファンというもの。慣れ親しんだものをどかして後から来た者への目が厳しいのは世の常である。

百歩譲って、商品が「誰にも魅力的なもの」化するのであればまだいいのだけど、これが「購買層が多いところ向け」に特化されて、自分以外の誰かをターゲットにしたものを大々的にやられてしまうと逃げ場が無い。今回は悪いがちょっとお前等は端からみておけ、的な。

例えば今関東地区のセブンイレブンがやっているような「girlswalker.com読者が選ぶ 私が食べたいスイーツ」 なんて、特定のターゲットにしか訴えないものを「売れ筋だから」と、今までのヨーグルトコーナーを縮小してまで一斉にやられてしまうと俺は悲しい。一部地 域じゃなくて全国でこれをやってしまうとどうなのだろう。今までなら「ペッ!じゃあサークルKの《スパイシーチキン100円祭》いくわ!」でOKだったけ ど、仮にサークルKがセブンイレブンに買収されたらこれも出来ない。こういうのは我々には大きな痛手なわけ。

話を戻そう。
中野駅前の新鮮組がローソンになる前、そこにはマイナーコンビニならではの、メジャーコンビニには無いオリジナリティに溢れていた。手作り弁当や手作りおにぎりなどがそう。菓子パンや飲み物類もどこかマイナーラインで攻めていた気がする。
それがローソンに変わった途端、品揃えは日本全国におわします大衆様向けのローソン製品になってしまい、どこでも目にするようなかわり映えのしない退屈なラインナップばかり、、、今まで帰宅時にわざわざ遠回りして寄っていたものもすっかりいかなくなってしまう・・・。

「これは小さなグローバルスタンダードの来襲や!」

そんな何か大きな力で押しつぶされようとしている、思い通りにならない世の中に、あーくそくそ、世界終わっちゃえもう!メラ!ヒャド!・・・・と思っていた時期も、確かにありました。


前置きが長くなってしまったのだが、先日、件の中野にある旧新鮮組系ローソンにたまたま、本当にたまたま、行ったところ、なんと驚くべき事が。
あったのだ。新鮮組の血を引く手作り弁当の類が。そこは確かにローソンなのに、弁当売り場の一角に通常の弁当とはまた違った「手作り弁当コーナー」が設置されていたのだ。ローソンカラーのブルーを全く無視した無骨な茶色い棚。



そこに置かれたのは棚の色同様、ローソンの流れを無視した色気の無いヴォリューム 勝負の手作り弁当達。
手作り弁当だけではない。手作りおにぎりに手作りサンドウィッチ、手作り総菜パンたちが店舗の端っこに与えられた自治区でひっそりと生き続けていたのだ。新鮮組名物、俺の大好きなスパムおにぎりもご健在。死んだと思って諦めていたその懐かしい姿に感動し、お腹いっぱいだったのにも関わらず買ってしまいました。





大ローソン帝国も新鮮組を植民地下に置くに際して色々と考えたのだろう。反発、抵抗、ゲリラ、紛争・・・・!
ここで言う反発や抵抗の主は新鮮組の流れを汲む従業員(元組員)であったり、新鮮組を愛していた新鮮組ファンであったりする。
支配するものとされるもの、歴史上繰り返して来た軋轢の中で時に妥協点として生まれた自治区制度。
店舗内にマッチしていない棚。その《相容れぬ!》のたたずまいから判断するに、「いいところは取り入れよう」という類の前向きな感じは無く、どこか「お情けでコーナー作ってあげました」という感じがする。この辺りが自治区たる所以。
完全にローソンに取り込まれてしまったと思われた新鮮組が、僅かばかりその面影を残していたのだ。
吸収もこういう形ならまだ許せる。

そこで考えた。上に書いたように、ローソンは新鮮組だけでなく、今後はampmも支配下に置こうとしているというではないか。ampmの場合はそっくりそのままローソンになるわけではないとか、ローソンもローソン内で違ったスタイルのものを増やして行くとか(ナチュラルローソン、ローソンプラス、ローソンストア100、等)色々な情報があるので新鮮組のような状況が発生するとも限らないが、小難しい条件を全て無視して考えれば、ひょっとしたら今後は新鮮組系ローソン、ampm系ローソンという具合に、吸収したコンビニチェーンの違いでローソン内にも凄く細かなレベルでの多様性が発生するかもしれない。いや、実際はしないと思うんスけど、して欲しい。

さらにローソンが頑張って色んなコンビニチェーンの吸収が進むと、旧新鮮組系とかampm系、サークルK系、ミニストップ系なんかの混血店舗があちこちに発生して凄い事になるかもしれない。同じ看板なのに前の店がどこだったかによって微妙に通じる事と通じない事が発生したりして。
ここにさらに負けじとセブンイレブン、ファミリーマートが吸収合戦に参加してくるとコンビニ界はカオスになるのだろう。世界中で起ころうとしている民族融合みたいな。
旧新鮮組系がミニストップ系を吸収し、その後気まぐれでサークルKも取り入れた結果、店の中が色んなところの自治区だらけのメルティングポット(人種のるつぼ)化してしまうなんてことにならないだろうか。こっちとしては便利なので期待している。

吸収が進むところまで進み、最後には日本にセブンイレブンとファミリーマートしかなくなったとき(なにげにローソンもセブンイレブンに吸収される)、逆にもうここがどの店の看板掲げているかなんて誰もきにしなくなっているだろう。
平和な世の中とはそういうこと。じゃないか。



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中野駅前の旧新鮮組系ローソンの場所はこちら。

 
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→拡大してみたらまだ写真が新鮮組でした。

 
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| fabricio zukkini | 街の風景 | 23:40 | comments(4) | - | pookmark |
今日もバイクの音がする
週末になると近所をバイクで爆音鳴らして走るバカが居る。たった二台なので暴走族とも言えないが、二台のくせに音ばかりは一丁前で、これが静かな夜となると結構な騒音だ。
家の中に居て、彼方から聞えてくる騒音を聞いている限りでは、意外と狭い範囲をグルグル回っている模様。その狭い範囲の丁度真ん中あたりに居る身としては迷惑極まりない。

「東京にはもう暴走族は居ない 暴走族は田舎だけ」
上京前に東京のことをよく知ると言う友達にそう聞いていたのだが、こちらでも多摩地区とか23区も埼玉寄りになると結構居ることを知る。つまり東京にも田舎があるのだなあ、と思った次第だ。
※彼はルーズソックスについても「まだ履いているのは九州だけ」と断言していた。

昨日の夜、ふらっと近所を散歩をしていると、くだんの孤独な二台の暴走バイクに遭遇した。
ヤツラ、実に狭い範囲をグルグル回っているので30分ほどの散歩中に三回ほど遭遇。いささか会い過ぎだ。
眺めていると、ただ無計画に暴れ回っているだけではないことに気付く。
どうも歩道などを歩いているちょっと垢抜けた感じの若者を発見すると男女問わず妙に張り切る性分のようで、明らかに迷惑そうな相手との温度差など気にもせず「どうだカッコいいだろう!憧れるだろう!伝説だろう!」と言わんばかりに、彼ら若者の前で減速しては「バボボボバボボ」と猛アピール。
曲がりなりにも、てっきり社会への、大人へのささやかな反逆のメッセージとかそういう類のものかと広い心で考えてやっていたのだが、それが結局ただの爆音を用いた同じ若者へのアピールとな。滑稽極まる。
盗んだバイクで走り出さずに「バイク王」の出張査定を頼むタイプに違いない。こいつは許せない。


ただ、気になったことが一つ。
俺なんて三回もすれ違っているのにも関わらず、なぜかヤツラが俺の前を素通りし、凄くおとなしかったこと。
男27歳、まだまだ若い。今度の散歩はもっとオシャレして行こうと思う。


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| fabricio zukkini | 街の風景 | 21:32 | comments(0) | - | pookmark |
鬼ハン
「鬼ハン」という言葉をご存知だろうか。
「鬼ハンドル」の略で、バイクのハンドルを中央に絞り込み、鬼の角のような形状にしたものを指すのだという。
写真を見れば一目瞭然。これで鬼だなんて・・・。こんなもんウサギか鹿か彦にゃんでしょうもんが!と思っているのだが彼らはこれを「鬼」と言って聞かない。





※画像は拾い物です


元々は暴走族の方々がバイクに施すカスタムの一種だったのだが、いつしかこれに憧れる中学生により、自転車にも伝播してきたようだ。
この前東京の奥のほう、昭島にて久しぶりにこの「鬼ハン」の自転車を発見。多分乗っていたのは高校生だと思うが懐かしくてつい見入ってしまった。

俺の故郷では今でもよく見かける。
短ランやボンタン、ドカンなんていう違反学生服を着ているヤツがまだいるのだから鬼ハンが生き残っていて当然と言えば当然だろう。
対応車種は「カマキリハンドル」と呼ばれるものか、いわゆる「ママチャリ」と呼ばれるハンドル形状のもので、特にカマキリが美しい鬼ハンに適しているとして、ヤンキーの皆さんはこぞってカマキリを発注(or窃盗)しておられた。



(カマキリハンドル)

自分等だけでやるならこちらとしては全く問題にはならないが、時々この鬼ハンの練習のつもりなのか、それとも鬼ハン初期設定無料サービスのつもりなのか、停めてある他人の自転車を勝手に鬼ハンにしていく愉快ハンが結構居て凄く困った。

中学生のときだった。
部活の練習試合で他校の駐輪場に自転車を停めていた僅かの間に、同じバスケ部のナカオ君の自転車が無惨にも鬼ハンになっていた。
「なっていた。」と書くとあたかも「強い風に吹かれて鬼ハンに・・・」、みたいなごく普通の自然現象のようだが誤解してはならない、これは当然ヤツラの仕業。
運悪く彼の自転車は「鬼ハン対応機種表:Aランク」のブリジストン社製高級カマキリハンドルで、もうそれはそれは立派な仕上がりの鬼ハン+激絞り。
ナカオ君というのは外見、内面共に爽やかで心優しい真面目な好青年。ズボンだって寸足らずだ。
そんな彼なのにこの気合いの入った自転車。目の前でメンチ切っちゃってる自分の自転車のあらぬ姿にナカオ君は呆然・・・。

「ち、畜生・・・誰がこんな酷いことを・・・」

みな急いで自分の自転車を確認してみたが、ハンドルの特性もあったのだろう、数多ある中でなぜか被害にあったのはナカオ君のカマキリ自転車だけ。掛ける言葉が見つからなかった。
(もっとも、ナカオ君はご飯おかわり自由のお店にてセルフでご飯のおかわりに行っている間にテーブルの上を全て片付けられた引きの強さももっているのでそれも影響したのかもしれません)

唯一の救いとしては、今回は鬼ハンだけで済んだことだろうか。凄いものになると鬼ハンにされた上に、さらにそこからそのハンドルを前に倒すという全く意味の分からない、トナカイのツノみたいな特注品も登場するから侮れない。

ナカオ君はもの凄く爽やかで真面目なのに、鬼ハンに股がると、「じゃ」と、長い家路を気合いの入った鬼ハンで帰って行った。究極のミスマッチがここに完成。
途中道ゆくヤンクスたちにズボンが寸足らずのナカオ君がジロジロ見られたのはいうまでもありません(小林克也のラジオ風)

このように、その無差別具合は非道の仕業としか思えず、鬼ハン初等教育でヤンキー底辺底上げでも図るつもりか、或いは幼児用の三輪車にさえ奴らの魔の手は伸びていくことも。相手を選ばぬ非情さ、まさに・・・・鬼・・。
そんな鬼ハン三輪車に股がらざるを得ない可哀想な幼児のことを想像すると、心が痛む。

なぜ「ウサギ」とか「鹿」でなく「鬼」なのか・・・、つまりそういうことなんでしょうか。
分かりたくもない。
| fabricio zukkini | 街の風景 | 15:21 | - | - | pookmark |
手相の勉強をしています
「手相の勉強をしています」
と声をかけてくる人に遭遇したことはないだろうか。駅前で複数の人間が散り散りになって手当り次第に声をかけているアレだ。
アレだ、と言ってもひょっとしたら東京だけなのかも知れないので、興味のある人はネット上ではすでに正体が明らかにされているようなので確認していただきたい。

俺が初めて遭遇したのは4、5年ほど前だったと思う。
新宿駅南口を歩いていると色白のスーツ姿の男性が「手相の勉強をしています。よろしければ手相を・・・・」と近づいて来た。ものすごい笑顔だった。
まずは不審に思われないように、ということなのだろうけど、あのシチュエーションでその屈託のない笑顔こそ不審であり、それに気付いてないのが怪しい証拠。
とっさに「ないです」とチンプンカンプンなことを言ったら、マニュアルに無い返事だったのか彼は素直に引き下がり、それ以来なぜか俺は一度も声をかけられていない。
声こそかけられなくなったが他の人に声をかけているのはその後何度も確認済み。主なスポットは新宿駅前、渋谷駅、上野駅前など人の多い場所だが、俺は高円寺や中野といった中規模の駅前でも何度か発見している。
最近では東京駅の中で堂々と行っているのを発見した。

虚をつかれてロクな対応が出来なかったものが、後々その素性を知ったときに、「ああ、もっとアレコレ楽しめばよかった」と思ってしまう人は少なくはないだろう。俺はそうだ。
凝視しようと俺の手に顔を近づけようとした輩ににぎりっぺでもして「コホコホ・・・死相が見えます・・・!私の」なんて懲らしめてやればよかったと後になって色んなプランが出て来たのだが、現実問題としてそう簡単ににぎりっぺがタイミング良く出来ることは無い。下手すれば手相を見てもらっている間にDo Itとなって二重の苦しみを味わうことになろう。
だけどチャンスがあれば!という思いはいまだに持っていて、新宿、渋谷、上野の、それぞれ目撃例が多いスポットへ行くときには特に臭いオナラを醸成、スタンバイさせることにしている。

基本的に彼らは1人で歩いている人にしか声をかけない。
どういうわけか1人で暇そうに歩いていてもその後全く俺には近づいてこないわけだが、俺のスグ近くで人の良さそうな人、気の弱そうな人がまんまとつかまり手相を見てもらっているのはよく見かけている。人が良さそう、話しやすそう、とか一丁前に選別してやがるのか。
オナラ爆弾云々抜きにして、「永遠の思春期」を標榜する俺としては他人からの見られ方というのは常に気になるもの。体は立派になったがココロのほうは修学旅行の夜からわざとストップさせている。中2炎と呼びたい。

そんなわけで、あんなヤツラだけど一体俺がどうおもわれているのか知りたくて、試しに一人で暇そうにふらふらと近づいてみたのだがあえなくシカトされた。
チラッと一瞥食らったが近づいてくるどころか避けるように離れてゆく。なんだろう、ちょっと寂しかった。
それともなんだ、まさか「ないです」と言ったあの日の回答がまだ記録されているのか・・・・?!
《あっ、手相無い人だわ・・・お気の毒な方》と心の中で憐れまれているのかしら・・・!?Shit!

よっぽど俺から近づいて「手相の勉強を・・」と言おうかと思った。
こうやって俺は手相の世界に突入する・・という星新一的SFを一瞬考えそうになったが、それは得意分野ではないので誰かにパクってもらいたい。

最初に書いた通り、この手相集団についてはすでにネット上のあちこちで事実かデマかに関わらず概要が明らかにされている。
俺もこの度その「ネット上のあちこち」の仲間入りを果たしたわけだが、そんな俺からこの件についてみなさんにアドバイスできるとすれば

1、手相はないといえ
2、オナラを用意しろ
3、ココロも大人になれ


特に3は汎用性もあり、おすすめです。



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| fabricio zukkini | 街の風景 | 11:35 | comments(6) | - | pookmark |







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