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九大をぶち破れ!〜第四話〜
当時サッカー部だったJ氏は、自分の欲しいタイミングで欲しいボールがきたかのように「シェイ!」とそれに反応した。
実際は「あったね」といっただけだったが。

J氏及びその他は元々夏休み明けに行われる文化祭で何かやってやろうと思っていたらしく、そこに九大錬成会を乗っけようという話になった。
俺は同じクラスだったシネマルクス君と一緒に、学校と国旗が掲げてあるポールの下にラジカセを設置して延々ビートルズの「I am the warlus」を爆音でループさせるという、何か主張があるのかないのかよく分からないことを考えていたのだが、もちろんそこには全く意味が無かったのでワンパクなぼくちゃんたちは策士のJ氏にお世話になることにしました。

J氏は大胆に「放送室を乗っ取る」ことを宣言した。
夜の勢いかと思ったが、彼は酔っぱらって俺の尻に発情するくらいの異常な性欲を見せるとき以外は結構言葉選びも慎重なほうなので俺はびびった。
「乗っ取って、そしてちょっと喋る」
J氏はそう続けた。
J氏といえば呼子で全裸で飲んでいたときに俺の尻をみて「こりゃ・・、、、ご本人も読むことになるとおもうのでこの辺にしておこう。

ともかくJ氏は「自信はある」という頼もしい一言を俺にくれた。

そして文化祭当日、俺は自分のクラスがフリーマーケットをやると言うのでその準備のために、また交代で店番もやるというので午前中は教室にずっと居なければならなかった。
というか俺はただみんなに見せたいだけで出品してしまった恐竜(小学生のとき湯布院で購入)がひょっとしたら売れてしまうのではないか、という不安から店にずっといたのである。
出品価格はフリーマーケットとしては異例の1000円。誰も買わないかもしれないが万引きの可能性も捨てきれない。
誰かが俺に気を遣ったのか勝手に「超・目玉商品」という立て札を立ててしまい俄然「誰がコレを買うのか」という注目が集まってしまったのも俺をこの場に引き止めた。

そんなとき、校内放送から聴き慣れた声が聞こえてきた。
≪青いビニールシートをサガシテマース≫
≪サガシテマース≫
その声はジーコと、そして俺にモミアゲを書かせていたヘルムートくんだった!
自分で声をカモフラージュしているつもりなのだろうか、「かえってきたよっぱらい」のような声を出しているが、その声は明らかに彼らだった。
≪青いビニールシート、、特徴は、、≫
≪トクチョーは、青くてビニールデス サガシテマース≫
≪ブツッ≫

彼等は放送部の「よしおみ」という男に「ビニールシートを探している」と言いながら半分脅して放送室に入り、この快挙を成し遂げたのだ。
ハイジャックのようである。
放送中、放送部の当時の顧問・しげ松と名前は忘れたけど英語教師でやたら生徒を挑発してくるなんとかとかいうクソ教師(色黒・「ぼくわねぇ」が口癖)が「あけなさい!」と扉を叩いていたというのだが彼等は屈しなかった。
そして「自分で放送してはいけなかったとは知らなかった」ということで何とかお咎めなしだった。奇跡である。

ちなみにしげ松という女教師はズボンを腰上までものすごく上げて履いているのが特徴で、しげ松が近くを通ると一斉にズボンをケツに食い込むほど上げる、いわゆるシゲバキにして「先生、ファッションチェックお願いします」と詰め寄って行くのがお決まりだった。
3年のときに担任で受け持っていたあるサイコ系生徒から、某匿名掲示板上で執拗にバッシングを受けていたのは有名な話だ。
ちなみにシネマルクス・ジーコも彼から「暴力でしか話が出来ないバカ」「人に迷惑をかける天才」「酒に酔っ払って暴れたバカ」「とにかくバカ」などといった中傷を受けていました。

こうして前代未聞の放送室乗っ取りが成功した後、我々は渡り廊下に集まった。もう文化祭も終盤にさしかかり、ダレてきている頃だった。
気付けば三階渡り廊下から、誰が作ったかダンボールで作られた大弾幕が垂れ下がり中庭には軽い人だかりができていた。
ダンボールで作られた大弾幕には我々の仲間10人ほどの連名とともによく読めない字で「歌をうたいます」的なことが書かれ、そして一番したの端っこあたりにあいていたスペースに後から書き足されたと思われる「九大れんせい会ゆるすまじ」の文字。
ちなみにそのとき九大錬成会はもう終わっていた。

10名の名前がかかれていたが、実際に歌っていたのはその倍ぐらいだったかもしれない。
棟と棟をつなぐ渡り廊下の上で、我々は長渕剛の「とんぼ」をうたった。
半数以上がイントロしか知らなかったのでほとんどもう「うー、うー」というハミングの嵐だ。
二番に差し掛かる頃、もう2人ぐらいしかうたっていなかったので自然にフェードアウトしていった。

結局九大錬成会を打倒したかというと、はっきりいって何もしていない。
俺達の仲間の中から反骨心で九大以上に行ったやつもいなかった。
そう、ぼくたちはなぜかみんな早稲田を目指していたのです。文化人への近道と考えられていたワ・セ・ダである。
≪早稲田受験には奇跡が起こる≫
≪早稲田は面白いやつを合格させる≫
≪小論だけで合格≫
≪カンニングに寛容≫
そう信じ、学力様々な多数の若者が早稲田を受けた。
結果は言うまい。

九大錬成会に参加し九大に行ったやつが何人いたか知らない。
確かその年の九大合格者数は例年並だった気がする。
九大錬成会に参加し、九大を目指した人々、その一方でそれを疎ましく思い自分たちのネタにつかった者ども。
今現在両者の間にどれほど差があるか知らないがそんなことは関係ない。

J氏は福岡でバンドをしており、シネマくんは大学院で映画の勉強をしている。ヘルムートくんとは一時期高円寺で同棲していたが、あちこち放浪した後、今は美容師をしている。ジーコは自分の素性を明かしたくないのか全然教えてくれないが、最近やっと本人から会社員になったと聞いた。
そして俺。俺は肉体労働。

文化人への道は遠く長い。
明日も朝から汗かき仕事である。
| fabricio zukkini | 思い出 | 10:44 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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九大をぶち破れ!も堂々の完結ですね。
ともに戦った同士達も今をエンジョイしているようで何よりです。
九大に入らなくとも、本人の気持ち次第で人生は切り開いていける。
そんな事を学んだ気がします。
| 工作員 | 2006/04/19 10:24 AM |
地元に帰って居酒屋で偶然会った、高卒で働き出した中学のときの知り合いなんかが「いい大学行っても結局人生は云々、、」とか「俺の友達には中卒で社長になったやつがおる 逆に大学いって車で事故って死んだやつもおる」とか「どうせ満員電車とかに乗って狭いマンション、、、結局リストラされて、、、云々、、」などと一部の例外をさも全体であるかのようにして「いい大学に行く」ことをものすごくネガティブなストーリーへ結びつけたがることが多いのですが、さすが憎き九大に対してそこまでは言えませんね。

こんなにも個人的な話、読んでくれてありがとうございました。
| zukkini | 2006/04/21 10:01 PM |









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