ぼくののうみそ-・x・

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常連は今日もカレーをたのむ
メニューが色々ある中で、店のジャンル・得意分野・オススメなどから外れた安易な食い物を注文するオッサンによく遭遇する。
例を挙げれば中華料理屋なのにカレーを頼むオッサンなんかがそれだ。
俺はそういう人に遭遇するのが好きだ。

俺は週に一度か、最低でも二週間に一回は必ず行く洋食屋がある。
元々知る人ぞ知るという感じの店だったようなのだが、つい最近テレビに何度か紹介された関係で、最近では前にもまして繁盛しているようだ。
テレビに出る前から行っていた俺としては、その急激な客足の伸び具合に、テレビで紹介されるとこうも違うのかとそのメディアのお力に大変驚いた次第だ。
もっとも、人気があるからこそ、テレビで紹介されるに至ったのだろうが。

良いものはそれが数に限りがないのであれば、決して独占されるべきではなく、万民に平等に分け与えられるべきものであろう。だから俺は「テレビで知ったくせに」などという心の狭いことは言わず、だけどちょっと偉そうに店に入るのである。

この店、元々品数が多く、またどれを食べても美味しいのであるが、一応名物というものがある。
だがまぁ、これもテレビで「一番人気」と紹介されたために、いつしか初めて来る客がそればかりを頼むようになり、結果名物となったような感じだ。
最近では若い客もやってくるようになり、彼等は全員声を揃えてその品を注文するのだが、俺はやはりそういうのは苦手で、どこかで「テレビで紹介される前から来てます」という違いを匂わせたいのか、近頃自然とその名物の品を避けてしまっている。
ああ、アレを久しぶりに食べたい。
ひねくれものの辛さだ。

そんな俺の通う人気洋食屋であるが、そこには必ず人気メニューにも定番メニューにも一切関心を示さず、ただ毎回「カレーちょうだい」と言ってカレーを頼むじいさんがいる。
通称カレーじいさんだ。
そのままだ。

そのじいさんはそのカレーを別に美味そうに食うわけでもなく、ただスポーツ新聞を読みながら淡々と食うだけ。かなりのリラックスウェアで毎回訪問してくるのだが、リラックスしすぎでニット帽を裏返しにしてかぶってきたのを一度見た。
自由人らしくサイズもフリーサイズだった。まぁこれはうそです。

この店は「プラス50円でごはんにカレーをかけられます」という張り紙が張ってあり、俺も一度カレーをかけてもらったことがあったのだが、別に普通のカレーでそんな特別美味くもなかった。本当に普通のカレーだ。
俺の舌が仮に不確かだとしても、他の客がカレーを注文しているのをほとんど見たことがないのはおろか、プラス50円のカレーかけすらほとんど利用されていない現状がそのカレーの普通さを表しているのではないだろうか。

だから彼は別にこの店の美味いカレーが食いたくてやってきているのではないのだと思う。

この店に限らず、また、名店であるか普通の店であるかに関わらず、世にある飲食店には必ずその店の得意とするジャンルを無視し、店に入ってきて席に座るや否や悩みも考えもせず、すっとぼけた声で「カレー」とか「チャーハン」とか妙に明るい声で堂々とあさっての方向を向いた注文をする常連が必ずいる。
一体なんのつもりだろうか。

店内の客が≪ここってカレーあったの?≫とか≪丼物の店なのになんでチャーハンだよ≫などとひそひそ話をするほどに、その店がカレーやチャーハンとはかけ離れていた雰囲気を持っていた場合、その無骨で子供っぽい食べ物は俄然異様なオーラを放つ。
そしてカレー、チャーハンの持つインパクトは、そのままそれを注文した人間に引き継がれ、彼はにわかに一瞥の的となる。

その視線が好奇の視線なのか、嘲笑なのかは分からないが、その店の専門を無視してカレーやチャーハンなどという安易な食い物を選択した人にはとりあえず他の客は何らかの感想を持つはずだ。
それは多くの場合「なんでここに来てわざわざ」という呆れに近いものかもしれない。

だが俺の場合、それは憧れだ。
やれ名物だ、やれ大盛りだ、などと騒ぐ浮世の目を気にせず、霞をたのむかのようにカレーをたのむその仙人のような姿に、俺はついつい手を合わせてしまう。
自分にできないことを平気でやってのける彼に俺は憧れを抱くのだ。
いつのまにか誰かが勝手につけた店のルール、店の名物、店の雰囲気、誰のために読むのか分からない店の空気、、そういうつまらないものを歯牙にもかけずマイペースにカレーやチャーハンを食べるその姿に、俺は≪客は自分が選んだ店で自分の好きなもんを食えばいい≫という力強く、しかし決して押し付けではないメッセージを勝手に読み取る。

おそらく彼はその店自体が好きで、別に何を食うかなどというのは関心にないのだろう。本当の常連とはそういうものなのだろう。
常連、常連とはいっても、常にふらりと入れる店がないと常連もできないもの。そう考えるとなんだか考えもなしに注文しているようなカレーやチャーハンと言う品が、どこか『場所代』『席代』のように思えてくる。
あまり考えずに出てきて、尚且つ三日に一回くらいじゃ飽きないカレー、チャーハン。一見こだわりのなさすぎるその注文は目的が食事じゃないからこそなせる業なのだろうか。
若い俺にはまだ分からない。

ともかく最初に書いた洋食屋のように、いくらメディアに露出したとしてもこういう気取らない常連が気兼ねなく通える店こそ、名店の条件であると思うのだがどうだろうか。

俺はブームの中でもグルメブームなんてのはやっぱりクソ食らえなんだけど、グルメとは別次元で名店ってのはやっぱり美味しいだけじゃない、他の魅力があるんだろうな。
それってのはインターネットや情報誌なんかで調べてホイホイあっちこっちたずねるだけじゃやっぱり分からないことだと俺は思う。

| fabricio zukkini | 食べ物 | 19:51 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
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俺はそういった場合、心が狭いので『テレビで知ったくせに!』と思わずにはいられません。
CMなんかで自分が好きなあまり知られていない曲が使われた時も、同じ様ななんともいえない気分になります。
自分のモノでもなんでもないのに我儘なんです。
| スンギ派 | 2006/05/02 10:23 PM |
テレビで何でも知ってしまうような人は狂おしいほどのんきなので我々のそういった批判は決して届くことはありません。
憤慨するだけ無駄なのです。
突き詰めていけば、「ラジオで知ったくせに!」「雑誌で知ったくせに!」、「ライブで知ったくせに!」、「結成後に知ったくせに!!!」となってゆくのでこれはもう言うだけ無駄です
音楽の場合、「ジャケットをみてたまたま買った」というのが唯一の逃げ道でしょうか。
| zukkini | 2006/05/03 8:29 AM |









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