ぼくののうみそ-・x・

ディズニー帰りの女子大学生が耳を外す瞬間を見た
ディズニー帰りの女子学生グループが乗り換え駅で分裂したときに、俺の乗った電車に残された一人が頭につけていた耳をサッと外した瞬間を見たことがあるのだがなかなかショッキングで、味のある光景だった。
余韻より世間体が勝ったのである。

ディズニー耳をつけている人は見かけるが、あれを取る瞬間にはなかなか遭遇するものではなく、へえ、そんな感じで取るんだ・・・と少しエッチなものでも見たような気持ちになったが俺はヘンタイだろうか。

ディズニーランドは「夢の国」と形容されることがあるが、耳をはずしたその瞬間、形式上は夢から覚めたという事になるのだろう。

俺は人が夢から覚めて現実に戻る瞬間を見たことになるのだが、この女史、メンタルトレーニングがしっかりされておられるのか、割と作業的で、夢から覚めたのに表情は淡々としており一切変化はなかった。

そして一日中遊んで疲れたのか(或いは照れ隠しであってほしいが)耳をはずしたのと時を同じくして彼女は座っていた席で深く眠り始めた。
夢の国再び、それを見た俺は「夢の国ハシゴだ!」って然して上手くないこと小声で言って自分でプッと笑った。

そう考えると俄然気になるのだが、みんなは一体どこであの耳を外すのだろうか。
是非知りたいものである。
| fabricio zukkini | 日記 | 09:45 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
A4紙の運命
仕事中、複合機の紙切れによるA4紙交換中にふと思ったことなのだが同じA4紙であっても重要書類として重要な任務を授かる者も居れば至極どうでも良い案内書類やファックスの表紙のような刹那的な扱いを受けるケースもある。(マジに重要な書類は用紙を専用紙に換えたりするだろうが)
間違って印刷されたりしてあえなく廃棄、良くても裏紙としての屈辱を味わう者もいるのだろう。

同じ紙なのに印字された瞬間にその重みがガラリと変わることもあり、重ねられたA4紙のどこにあるかによって全く異なる運命をたどるA4紙というものに妙な趣の深さを感じた次第。

いい歳しておセンチメートルにA4紙の心配をしてる場合ではないが、余白の調整を誤り、文章末尾の「。」だけが誤印刷されたA4紙を手に取り、供養してやりたく書いてみた次第である。

お前は立派な裏紙になりなさい。さようなら。
| fabricio zukkini | 雑記 | 18:17 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
お前のMA-1はニセモノだと言われ
最近街を歩くとMA-1を着ている若者をよく見かけ、懐かしい気持ちで眺めている。
流行に鈍感な俺でも、ここ最近80年代末〜90年代のファッションがリバイバルしているのは街中を歩けば気づくことであり「ああ懐かしいなあ」と思う反面、いくら流行とはいえ昨今のファッションはかつて無く着るものを選ぶものではないのかと思う次第で、若者の中には一定数必ずいる「あえてそうする層」でもない、ごく一般の若者ですら完全にコメディアンのようなナリをしているのを見るにつけ極めて居た堪れない気持ちになる悲しみのジジイである。
いつの時代でもそうだが、我々ブス、ブサイク諸兄姉にとって、流行のファッションの激戦地にドップリ身を投じる事は、戦力差がありながら逃げ場の無い同一ルールを強いられた悲しいハンデマッチを戦いに行く無謀な特攻行為に他ならず、一度立ち止まり鏡を見るなどして少し考え直して欲しいと思う。

で、話をしたいのは若者という雲の様な存在へのジジイ特有の「いかがなものか」トークじゃなくて冒頭申したMA-1である。ボクはMA-1の話がしたいんである。
MA-1には懐かしい響きがある。MA-1、M2-B、M3-Bなどといわゆるミリタリージャケットの類は、先に書いたとおり80年代後半〜90年代、まさに俺が小学生の頃に流行をし、あの頃の小学生ファッションにも大きな影響を与えたアイテムである。
忘れもしない小学四年生。初めてファッションの流行というものを意識し、「ぼくもほしい!」と強く願った服がMA-1だったのだ。

今思えば、あの時分、MA-1を最初に着始めたのは兄が居るマセた連中か、親がやたら子におしゃれをさせたがるご家庭のご子息だったと思う。
緑、黒、灰色といったミリタリーあるあるカラーのジャンバーがクラスの比率を埋めていく中、まだチャイルドだった俺でも流行っていると気づいたしその流行に乗りたいと思ったもの。
結局小学4年の冬はMA-1を買って貰えずにMA-1っぽさのかけらも無い母親のお下がりの、表は黄緑で裏地が黄色のやたらワッペンが沢山ついているWINKとかがPVで着てそうな謎の80年代ジャンバーを着てしおらしく通学した俺であったが、翌年の冬が近づく頃にはMA-1を強く渇望する事となったのである。

MA-1が流行するに従い、学徒動員さながら、小学校の高学年の半分近く、少なく見ても1/3はMA-1を着ていた気がする。
そんなMA-1大量発生と同時に、「MA-1のニセモノ」と呼ばれるシロモノが多数登場し、その見分け方が周知されるようになった。
そもそも、おうちがお金を持っているやんごとないご家庭については、一目見て分かる「AVIREX」の文字や「U.S AIR FORCE」といった、意味は分からないながらも何となく凄そうな「英語のお墨付き」の様なものがついていたのであるが、それ以外の庶民用は完全無地でMA-1たる証拠としては「裏地がオレンジ」という事ぐらいしかなく、そういう見分け方を設けなければ無地のMA-1には明確な違いが無かったのが実際のところである。
従い、増え続けるMA-1人口に対し、元々MA-1を着ていた層が自らの地位を守るため、半ば言いがかり的な感じで提唱しだしたのが「ニセモノ」の実際のところだと考えられるが、そもそも論として、佐世保で米軍払い下げで買った様な米軍のお墨付きでもなければニセモノも何も一律みな同じ「MA-1タイプブルゾン」で仲良くすれば良いはずなのである。

MA-1のニセモノ理由は色々あったが、二の腕の弾入れ用ポケットにダミーの弾丸が無いとか、裏地(オレンジ側)のポケットのボタンに色がついてないという具体的なご指摘はまあ許すとして、綿の量が少ない!とか、色ツヤがおかしい!などと言ったかなり主観的なイチャモンも登場した上、さらにはユニクロやスーパーで買ったものはすべてニセモノなどという流通面に言及するイカレポンチまで登場する始末。
こうして「綿が少ない!」とか「あそこにホンモンのMA-1が売ってあるわけが無い」いう理由で気に入らないヤツのMA-1をニセモノ認定するのがMA-1警察の目的であり、俺も翌年念願の緑色のMA-1をゲットしたものの、大分後発であったからこのMA-1警察の検問に引っかかり、お母さんが買ってきてくれた貴重な俺のMA-1は「綿が少ない」などとイチャモンを付けられてニセモノの様に扱われたものである。あの屈辱!

そんな訳で俺の中でのMA-1の流行はニセモノ認定によりあっさり冷めていくことになり、そうした経験が尾を引いているのかあれからもう二度と袖を通すことは無かった。
今リバイバルを果たしたMA-1を着る若者を横目で見るたび、俺は大昔のそんな悲しいエピソードを思い出すのである。

 
| fabricio zukkini | 思い出 | 17:14 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
月に1度しか開館しない山の中の貨物鉄道博物館に行ってきたぞ
相変わらず電車の踏切の魅力に取り付かれている息子は、最近では個々の踏み切り名まで覚える始末で、近所の踏切を車で通るときなどは「○○○踏み切り!」と叫ぶなどして踏み切り愛は弱まる気配がない。
車移動の際はあえて踏み切りを通るなどしないと機嫌を損ねることもあるので極力踏み切りを通過するようにしていて正直面倒な部分もある。
そんな中、最近の観察の結果気づいたこととしては息子は踏み切りそれ自体も確かに愛でているようなのだが、特に踏み切りが閉まり、車が列をなし、そこに電車が通過するという一連の風景が特に好きなようで、その中でも貨物列車の通過に異常な興奮を示すようだ。

また最近ではそうした踏切ー貨物コネクションが飛躍したひとつの形なのか、息子は貨物列車自体にもただならぬ興味を示すようになり、結果クリスマスプレゼントとしてプラレールの大層な貨物鉄道セットを購入する運びとなったほどである。
そして貨物、貨物と連日連呼するほど息子の貨物鉄道への愛が本物であると分かったのと同じタイミングで三重県の山中に「貨物鉄道博物館」なるドンピシャな博物館がある事を知った。
調べるとその辺鄙な立地に加えて「毎月第一日曜のみ開館」とあり、その妙なストイックな生き様と博物館としてのハードルの高さには単純に心ひかれるところであるし、またそのHPから漂う「不完全さ(これはいい意味である)」といった、昨今の鉄道ブームにも関わらずあまり洗練されていない諸々は息子の為でなくとも行ってみたい気持ちになるというもの。

貨物鉄道、また鉄道一般の事は全くあかるくないものの、興味本位で足を運んでみた「貨物鉄道博物館」について書いてみたい。


*****




最近の鉄道関係の博物館が都心近くに大規模な施設を有し、またどこででも盛況な中、貨物鉄道博物館は周囲を山とゴルフ場に囲まれた、三重県いなべ市という割と慎ましい、平たく言うとド田舎でひっそりと月一回のみでひっそり運営を続けている。





立地のイメージとしてはこのような感じ。
付近の風景としてはこのような具合。落ち着くにもほどが有るサブ・アーバンな雰囲気しかそこにはない。




そしてローカル線・三岐鉄道三岐線「丹生川駅」に隣接する形で、建っており





周囲の景観を全く損ねることなく建つのが




やんごとなき貨物鉄道博物館である。

温かい手描きの看板、壁のイラスト。手作り感溢れていてとても安心する作り。
年季の入った小さな小屋に思いのほか多くの来館者の姿。月一回の開館日を狙ってここにやってくるファンが確かにいるのだ。




それにしても周辺の住宅地や駅と博物館の境界のあいまいさは目を見張るものがあり、これも本博物館の魅力であろう。
博物館にいる傍らで、真横を色鮮やかな三岐鉄道の車両が通るたび来場者は沸き立ち、館を抜けてカメラを向ける。




観光地やレジャースポットへ行くと本題に入る前にその周囲をジロジロ見てしまい時間を費やすのが悪い癖なのだが、でも周辺に面白いものがあることが多いのも事実。
博物館の周囲には割りと無造作に、退役した鉄道車両が置いてある。




ここに収蔵されている車両4両は「大正から昭和の技術的に貴重な貨車」として登録されている。のだが、結構フランクに中に入れたりして貴重なくせにかなりフレンドリーなヤツである。




説明もなく置かれたこちらの貨物車両、男の背中を感じさせるたたずまいはどうだろう。
博物館のものかどうかも分からないが、こんなに無愛想な展示車両が他にあるのだろうか!




詳しくない人間でも突然、無防備にこの様に列車が置かれているのを見ると興奮してしまうもの。
鉄道に詳しければもっと具体的に「アレがコレで、ソレがアレやあ!」等と興奮できるのだろうが、ただ大きな乗り物を見て興奮する子供と同じように「うわー、大きい、すごい」とアウアウ喜んでしまうジジイです。




中はこんな感じ。
倉庫感が甚だしいが、中にはスペースの関係で色んなものがギッシリ詰め込まれている。




ジオラマは標準装備として、子供たちに大人気。




その中に分け入るジジイとしては、看板のセンスにキラリと光るものを感じて撮影を禁じえない。




聞けば全てボランティア運営だそう。
近隣の方だけでなく、関西やもっと遠方から月に一回集合してこちらの運営を手伝うのだそうだ。
館内には合計3点の力作ジオラマがあり、子供たちを楽しませる。





こちら20円を入れても稼動せず、係りの人を呼んで手渡しで20円払い、手動でスイッチ入れて貰わねばならない遊具。




色んなものが無造作に置かれているので実感が沸かないのだが、




これらは2011年度産業考古学会推薦産業遺産「貨物鉄道博物館の保存車両・資料群」として登録されているのだそう。




そうした徳の高い一面もありながら子供が遊ぶスペースもあり、一部のマニアを対象にした排他的な雰囲気は全くない。




物販も充実。参加費100円払えば、館内で蚤の市スタイルで出展が出来るそう。
それ以外にも貨物鉄道博物館オリジナルグッズが充実していた。




幾つか買ったがコレが一番気に入っている。

こんなに朴訥なプロマイドがあるだろうか。
ド素人なので認識の甘さ、また表現が拙いのはご勘弁願いたいがこれっていうのは電車と電車の間の部分ではないのか。V6でいうと長野クンではないのか!編成単位でなく、ソロ活動もきちんと取り上げる愛。例えばジャニーズには長野クンのソロ活動をバックアップする覚悟はあるか?!なかろうが!

いやはや、モノの価値は様々だが、松屋の定食は+100円で特盛になるという。その特盛を我慢するたびこのプロマイドが手に入るのである。




「ディーゼル機関車 写真 1枚 80円」

かなり気になる表紙で輝きを放つ、手作りのフォトアルバムを発見。
先の商品と比べるとたった80円とは安いではないか。もしやこちらのほうがお得なのでは??とページをめくるが、




中から出てきたのは割とオッサンがメインの普通の記念写真的な一枚ばかり。
いやまて、乗り鉄、撮り鉄、録り鉄、駅鉄・・・・ド素人には到底想像の及ばぬ鉄道界の、その中でも特殊と思しき貨物鉄道界のことである。
鉄道だけではなく、それを操る「作業員のオッサン鉄」という、フェチズムの領域もすぐそこに捉えたコア・オブ・コアな世界もあるかもしれない。




「オッサン鉄、いいかもしんない・・・」

それはページをめくるたびに必ず写りこんでくる作業員のオッサンの、その味のある佇まいに徐々に引かれていく自分自身の素直な気持ちが何よりの証拠・・。




物品購入者には何故かMEIJIブリックの袋で渡してくれるのだが、こういうところも愛さずにはおられないポイント。
昨今の何が何でも自社商品ごり押しの、秘伝の儲け主義にどっぷりつかって4代に渡って注ぎ足されたようなレジャー施設には到底真似の出来ない奇跡のコラボレーションなのであるから。





この日は鉄道やその歴史に関する貴重な資料をスライドショーで説明する催しがあった。
単に展示するだけに留まらず、積極的に伝えていくのも博物館の役割のひとつ。
ボランティア運営とは言え、その辺りの努力には頭が上がらない。




ただ、1時間のスライドショーをするにはいささか画面サイズと発表者の声が小さすぎたのか、もはや関係者しか座っていない聴衆席にも睡魔の攻撃が!
スライドに出てくる資料がかなりマニアックで興味深かったことはお伝えしたい!




鉄道に関するスライドショーであるから、差し棒もプラレール。
先ほど紹介した子供が遊ぶスペースから調達したのだなあと思うと頬が緩むが、ご愛嬌なのである。






最後に「ついで観光」情報をひとつ。
この日は、この貨物鉄道博物館と(たぶん)同じ方々が運営される軽便鉄道博物館もすぐ近くで開館していた。
こちらは第1、第3日曜日の開館で、貨物鉄道博物館とセットで回られることをオススメしたい。




軽便鉄道、あまり聞きなれない名前だが簡単に言うと「安くて小ぶりで簡易的な鉄道」という事になるそうなのだが、詳しくはWikipediaで確認して貰いたい。(Wikipedia「軽便鉄道」)




そしてコチラではミニ電車に無料で乗せて貰えて最高。




見える景色はこの様に実に生活感溢れたもんですが、ご愛嬌。




鉄道の上を自力でこいで進むマシンも体験できたりして、こちらは体験型の楽しい博物館。




ボランティアの方々、本当にありがとうございます。


中部地区の皆様、興味があればぜひ一度貨物鉄道博物館、または軽便鉄道博物館へ足を運んでみてはどうだろうか。
こんなところに?!という驚きもあってとても楽しめますし、ドライブするにもなかなか良いエリアだと思います。


終わり
| fabricio zukkini | 旅行 | 17:13 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
最後に発熱する
昨日が年内最後の出社日、今日から10連休という長い冬休みを向かえるわけだが、残念ながら俺は熱を出してしまった。

晴れて2015年最後のお勤めを終え、会社を出た瞬間、俺は突如発熱し始め肩はこり腰痛も活性化、「俺も俺も」とばかりに何故か高校生のときにひねった足首のネンザまで復活する始末。
家に帰り体温計をわきの下に挟むと「あー、こりゃ熱ある熱ある!アンタ熱ある!」とばかりに挟んで3秒でピロピロ!と鳴り「38.2度」という数字が表示された。

38.2度、リアルな数字である。
39度などあったりすればひと騒ぎしてみんなに構ってもらえるものだが、38.2度はお風呂のちょっとぬるめの温度であり、「アンタぬるいよ」と言われているようで正直微妙である。
構ってもらって貴様は一体どうするのかという問題はさておき、大人にとっての38.2度は非常につらいものがあり久しぶりに声に出して「さむい、くるしい&つらい...」と、エマーソン・レイク&パーマー式の非常に分かりやすい形で苦しみを表現する33歳の夜。

今朝おきてみると熱は下がっていたものの、肩こり、腰痛、その他いろんな所の関節の痛みは体にしっかりと刻み付けられており、2015年の仕事終了と共にこれらが一気に襲ってきたような気がしてならない。

「夜の冷えがハンパない」という実家あるあるにより、毎年帰省するたび高い確率で風邪を引く俺なのでこのコンディションで帰省することにとても不安を感じているのと、何故かおとといからずっと二重まぶたになっており元に戻らない事がとても心配である。
| fabricio zukkini | 日記 | 09:26 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
2015年のzukkiniさんまとめ
個人ブログなど死語オブ死語になりつつ2015年でもなお、・x・ぼくののうみそをチェックしていただきありがとうございました。
「今年は沢山書く!」の目標も、結局大して書かずに本日に至り、放置期間の長い牛歩ブログと化してしまいましたが、おかげさまで本記事をもって記事数としては900に達することが出来ました。
これもひとえに俺の努力、気力、忍耐力の賜物!という他ないし、そもそも自分の日記なのに虚空に向かっておかげさまとかありがとうって言うのも正直気色が悪いなあと感じる年の瀬であります。

ブログに関しては800回目の更新から3年半も掛かってしまったのでありますが、気づくと子供が2人生まれ、愛知県に引越し、ブログをあまり書いているバアイではなくなっているような、多忙で、33歳の、小太りなオッサンとして900回目の更新をしている悲しみ・・・
そんな2015年のzukkiniまとめをちょろっと書いてみたいと思います。




1.ハイエナズクラブ

「ブログで書かない小ネタ発表の場」程度の軽い気持ちで始めたハイエナズクラブはまだ続いており、割と沢山の方に愛されるサイトになりつつあります。
最近ではサイト主催のイベントやったり、同人誌を作成したりなど、持ち前のコミュニケーション能力で大学のサークル活動の一切に馴染めなかった学生時代の反動からか、今頃サークル活動じみた活動に精を出している33歳の小太りなオッサンでして、恐れて縮こまる次第です。
また、ハイエナズクラブとしても初めてよそ様で連載枠を頂くことになり、ドアラジオという企業運営のいわゆるオウンドメディアで記事を定期更新するというまさかの大抜擢!そしてまさかの終了!(2015年11月に終了)
適当に作ったサイトなのにこんなに続いて良いのか!最初は道路に埋まっていたスパナとか記事にしていのにはずかしい!という気持ちと、適当に名乗っていた「会長」という自分の肩書きが対外的には徐々にオフィシャルな職制になりつつあることに恥ずかしさを感じる次第でありますが、いきなり「次長」とか名乗りだすと≪降格人事・・?!≫とネット界隈が騒ぎ出すのでこのまま会長名乗り続けます。
まあそんなことより、何よりあんまり目立つとライオンズクラブに気づかれちゃうのではないか、という懸念が一番大きい状況であります。
2016年も会長がんばります!


【2016年の記事】



【元アルペン】春の元アルペン大感謝祭 2015

【居抜き界の超新星】元上州屋をよろしくお願いいたします

【元アルペン】秋目前!集まれ!元アルペン大感謝祭

【おそろしい!!】街で見かけるホラーフォント

喫茶店「以外」の名古屋名物モーニング!朝からハシゴ酒してきた(ドアラジオ記事)




2.バーグハンバーグバーグ

愛知県への転勤により「土地勘」「飲み屋街」「生きる気力」という3つの翼をもがれたzukkiniさんは二足歩行の33歳の小太りなオッサンになり、フィジカルを病んだフィジヘラになるやいなや、連日尻を切る自傷行為に励み(後にストレス性の切れ痔と判明)、弱気なハートに支配されたからか、自ら志願してオモコロの活動はミニマムになってしまいました。
そんな中、バーグの柿次郎さんのお誘いで「地域ネタ」に特化したe-アイデムの運営するジモコロに声を掛けて頂き、また再び頑張ろうという気になっているところですがなんせフィジヘラ、まずは体の健康状態を何とかしたいところです。
ともかくここまで、記事をかけない理由を「愛知県には何もない!」と、全て愛知県のせいにして今に至りますが、根本原因は家からあまり出なくなった自分由来のことであり、家からあまり出なくなったのは全て愛知県のせいです。
2016年はもっと外に出て、街を歩き、飲み屋街をパトロール!面白いお店を暴いて、テレビ東京やテレ朝、フジテレビに記事をパクられたいと思います!





【飲み屋学】のれんを出さずに営業するあの店はなぜ潰れないのか




【2015年の記事】

【オッサンホイホイ】20年前、自動販売機に貼られていたシールをめちゃくちゃ集めいていた話

朝からベロベロ!!奇跡の早朝ハシゴ・コース!!(池袋西口編)

小さな町おこし?シャッター商店街の怪しい張り紙に連絡してみた

東海随一の珍スポット!?奇妙なコンクリート像の修復活動に参加して考えてみた





3.その他の活動

今年も色々と声を掛けて頂いてありがとうございます。
中には遠方のためボツになった話も幾つかありましたが、一方でハイテク社会の素晴らしさか、オンライン上で大半のやり取りが事足りることも多かったです。
編集の方とメールのやり取りだけで話を進めたマイナビの連載。あの出版主催のキロク学会というイベントではゲストとしてお招き頂きましたが遠方のためSkypeで失礼させてもらいました。(Skypeで失礼します、という謎のビジネスマナー爆誕の瞬間である)
マイナビの連載はマジでやってみたかった路上観察の、それもゴミみたいなものの特集で、編集の方の勇気と配慮には多大なる感謝の気持ちしかありません。
キロク学会ではゲストがデイリーポータルZの林さんと俺だけで、俺はさも「ネット界の二大巨頭」であるかのようなオーラをかもし出そうと意気込んでSkypeにログインしたものの、自分の顔がむくんでいるのが気になり、また緊張もあってか実力のほんの8%ほどで会場を大いに沸かせました。
2016年も皆様からのオファーお待ちしてます!






【連載】超次元散歩倶楽部

キロク学会 キロクニスト養成講座




4.ブログ

創作物を発表したり、趣味のことを書いたり、昔の思い出を振り返ったりと、昔はブログに色んなものを詰め込んでいた気がしますが、今はもうただのジジイの日記になっていて、タイトルの地味さがそれを物語っているように思うのです。
でも振り返ると、仕事で忙しいといってはいるが、ブログ以外では色々やってる気がする。

ブログ更新も800回から900回の間に3年半掛かったのだから、1000回を迎える頃には40歳になっている気がする。40歳の日記ブログはさすがに見てらんないし、今決めましたが1000回目の更新でブログは終了しようと思います。
その前に息子に読まれたら死ぬしかないので、頑張って沢山書きます・・。

2016年もまたよろしくお願いいたします!


【2015年記事】

俺の結婚式でケツメイシが流れた話

箸を洗うのがとても嫌いだよ

洗濯機よ止まるな

俺は子育てブリブリおじさんだよ

車を買った事がない俺ですが、この度車を買います

「たたき」「にこみ」と言った安直な名前の料理名について

肝臓の数値E判定
 
| fabricio zukkini | 雑記 | 08:29 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
クッキーが苦手である
クッキーが苦手であるが、最大の理由は口の中の水分を全て吸い取られて行くような感じがダメだからだと思う。
元々食べるときには小まめに水分をとるほうなのだが、クッキーは1口に1回、水分を入れて行かないともたない程、口の中の乾きに耐えられない印象を持っている。
肝心の味の方もであるが、一般的なクッキーの「甘あくしといたぞ」と言うような、こちらを軽く見ているような感じの原始的というか、あまり洗練されていない幼稚な感じの甘さも苦手である。
あとはクッキーという食べ物にありがちな、食べるとボロボロこぼれる脆弱な感じも元来食べ物をよくこぼす俺には天敵であるように思え、恥ずかしい話であるが、33歳になった今でもクッキーを食べると100%こぼすのでこれには殊更腹が立つのである。

家庭科の時間にクッキーを作った事のある人は多いと思う。
恐らく俺がクッキーにそっぽを向いたのはこうした小学校の家庭科の時間、クッキーを自分で焼いたあの瞬間にさかのぼるのではないかと考えている。
どういうことか簡単に言うと、焼く前の方が断然見た目上美味そうに見え、焼いた後の全てが垢抜けないお姿にガッカリしたことが今も尾を引いているのではないかと思うのである。

実際に焼く前の生地を見るとその外観や食感、味についてもなかなかイケる食い物だった事を記憶しており、なんだ、こっちの方が美味いジャン、もうこのままここでやめて完成で良いじゃないのではと、この後に控える後工程に疑問を持ちながら送り出したら案の定何かもう色気も何もない茶色いヤツになって戻ってきて「そらみたことか」とガッカリしたあの経験が忘れられないということだ。
それ以降も、オーブンの中で生地がどんどん焼けてクッキーになっていく早回しの映像を使っていたクッキーのCMを見たことがあるが、後で冷静になってみたとしてもやはり俺にとっては生地の状態が見た感じ一番美味そうなのは明白。

先ほど書いたとおり焼く前の生地の状態のクッキーをそのまま食べたことがある俺であるが、不幸にもその時には酷い腹痛を起してしまい、その辺のクッキーにまつわる悪い思い出も、焼いた後のクッキーが一手に引き受けている可能性もあるのであるが、そんなことよりクッキーで思い出したが、くみっきーこと船山久美子が、元々は無理やり流行らせた「くみっきー」というニックネームへの恩を忘れ、ここ最近のイメージチェンジと共に最近船山久美子に回帰している姿勢には「それはいかがなものか」と疑問を投げかけたくなる次第である。

最後は取り乱し、余計な話をしてしまったがそういうこともあるわけですし、クッキーはあまり好きではない俺である。
| fabricio zukkini | - | 15:13 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
土曜の朝、六本木から乗ってくる皆様について
20代前半、築地で働いていたときに通勤に使っていたのは大江戸線だった。
俺が乗るのは大江戸線始発。この大江戸線が六本木を通っていることを何度となく疎ましく思ったものだった。

築地は土曜日も開場。従って、土曜日の通勤電車が六本木に停車すると、朝まで遊びまくったの連中が大挙して、また相当に酔っ払ってこの視発電車に乗り込んでくる。
朝帰りの皆々様、一様にテンのションはアゲアゲで声がデカい。寝ている通勤者は六本木でほぼ例外なく起こされてしまう。
土曜の早朝から働く勤労青年が、夜遊びを終えた連中に邪魔をされるわけである。

お楽しみを終えて満足げに家路を目指す皆様をよそに、こちらは死んだ目のまま、朝から地味で辛い、静岡産高級メロン100ケースの荷おろしとシケ込むわけだ。
自分で選んだ道ながら何か社会に対する謎の恨めしさというかヒクツな気持ちが徐々に増幅されて、メンタルの調子が狂いそうになる瞬間であった。

この六本木からの乗客に関しては酔っ払った日本人の集団のタチの悪さにも言及したいが、それにもまして忘れがたいのは外国人のマナー。ほとんどが最低であった。
日本人の乗客に絡んだり、勝手に写真を撮ってきたり、ヒドい輩はオーディオ機器を持ち込み電車内で大音量で音楽を流し始めて踊りだすなどするわけである。
それにはさすがに何か不満を言いたい気持ちは十分あるのだが、あいてはやんごとなき外国人様である。何か意見して良いはずもなく、ただじっと敗戦国なりの慎ましさでそれをやり過ごすのが適切なのである。

ただしある時、日本人と外国人のグループで、欧米人にノせられて必要以上に悪ふざけをする日本人が車内で猛威をふるっていたことがあった。
欧米人の中に入ると途端に他の日本人と差をつけた感を抱くバカチンの典型なのだが、お前それ日本人同士でもやるのかよ、オ?っていうレベルの欧米風悪ふざけで仲間の外国人のウケを狙うJapへの、同じ車内に座る通勤メンたちから発せられる共通の殺意を汲み取った俺は、眠りを妨げられた怒りと、普段外国人相手では言えなかった色んな不満を込めてこの迷惑外交官殿に一言二言三言ぐらい文句言ってやらァヨオと思い、もうじき降車駅の築地市場駅に着きそうな頃合でもあったので、いざとなったら逃げられるし、とその日本人の元へ揺れる電車にヨロヨロしながらもなんとか近づき、「お前らア!E加減にしろゥ!」とイントロもAメモもなく、唐突にそれでいてそれなりに大きな声で叫んだのであるが、そいつに絡んだつもりが痰が先に絡んでいたのか、それとも走行中の大江戸線がやかましいからか!?はたまた先方がいささか飲みすぎだったのか!、、、とにかく残念なことに先方さんは「え?」「お?」と言うおとぼけビーバーぶりで、この俺のアツいメッセージが全く通じないのである。正直あせりました。

とはいえ、発端は勝手な正義感ではあるけれども、こいつらの社会を揺るがすやかましさである。
成敗やァ!と高く振り上げたこぶしがつり革に引っ掛かった様なシチュエーションである格好の悪さもあり、ここで何も成さずに引き下がるわけにも行かず、何度か「△×■◎!!」という様な事を言ったのだが、先方はハテナと言った具合。

そんな問答が数回続いた、そんな時であるが、このクネクネと懐いてくる不思議な日本人は何だろうとでも思われたのか、俺は突然その隣にいたメガネの白人にカメラを渡され「シャシン。」と言われる。

俺は「コクリ」とうなづくと静かに彼らを撮影してあげた。俺は負けたのである。とはいえ、内心ではなんとなく形に収まったので安心しました。
そんな彼らは俺と同じく、築地市場駅で降り、そして築地市場へ向かっていった。

「築地は働くところじゃない、遊びにくるところだ」

彼らの背中を眺めながら、真剣にそう思った大江戸線の朝だった。
| fabricio zukkini | 思い出 | 22:38 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
息子の便意をアシストした話
息子3歳が自分でトイレに行くようになってだいぶ経った。

オムツが外れるかどうか、子育てにおける割と高い難関のひとつのように覚悟していたが、その辺はうちの妻が割りと上手くやってくれて思いのほかすんなり事が進んだようで有難く感じるとともに、着実に成長しているわが子の姿に父親らしく喜びを感じるしだいである。

息子は、脱衣、子供用便座の準備、後始末の段取り個々は何とか自分で出来るようになったとはいえ、当然まだ一人でトイレへ行って一人で済ませて帰ってこれる訳ではなく、毎回とりあえず「ついてこい」と言うので特段父親は何もする事はないながらもついていきその一部始終を黙って傍から見ている訳である。

だがそれも、小便ならすぐ終わるしまあよいのだが、ウンコだった場合は厄介である。
3歳児とはいえウンコは臭い。しかし息子は「見ていてほしい」というのである。コレがまあ、臭いのよ。長いし。

「いやお父さん、ウンコは外で待ちたいんだけど」と訴えるも「見てて」と言われれば見るしかなく、ジッとそばにいるだけの時間。
「換気扇まわしていい?」と聞いても音がすると気が散るのだと言う。となりにオッサン立ってる方が普通は気が散るだろ・・・!


先日のことである。
例によって黙って立っている横で「セイ・・ッ」と一丁前の気張りで脱糞する息子。
しばらくすると俺を呼び「お父さん、濡れてるお尻拭きでお尻拭いてみて」と言う。
「終わったのか?」と聞くも詳しくは答えず「ちょっと拭いてみてよ」と続ける。

いつもなら終わると便座から降りてケツを出してくるのだが、その日は座ったままである。
ちなみに息子のいう「濡れてるお尻拭き」とはそのまま子供用のウェットでソフトなお尻拭きのことであるが、俺はかつて便座を拭くトイレクイックルで間違えて息子のケツを拭いたことがあり、息子は「いたーい!」と言っていたのだが「甘えるな!」とゴシゴシやってしまい、とても反省している。
息子のケツから不必要なまでのフローラルな香りがしていて間違いに気付いた次第である。

で、「拭いてみて」という息子を便座に座らせたままやさしくゴシゴシやると、突然妙にすました表情で「ウンチが出るよ。」と言って一秒、あなた真剣な目をしたのち

「プリプリプリ・・・」

などと再びウンコをし始めたのである。
男33歳、「ちょwwおまww」とリアルで口に出したのはこの時が初めてである。

息子を見ると妙にニッコリしている。目論見通りといった表情で、妙に得意げである。何だお前は。あぶねえだろ。
そして続けて「もう一回拭いてみて。」と言うので仕方なくまたケツを拭いてしんぜると

「プリプリプリ・・・」

またウンコをし始めるワケですよ。
何なんだコレは・・・と絶句していると

「こういうことあるよね。」

と再び得意げな表情で、必要以上にマセた口調でそんな生意気なことを言うではないか!

いや・・・・・、確かにあるよ!あるよね!
一通りやったあとのいやあな残糞感。そのあともうひとクソが出ないときに、ちょっとお尻を「コンコンコン」とノックをすると「どなたー?」と出てくる事が、確かにあるのである・・・。
最近だとウォシュレットでボスの弱点の部分を射撃すると・・・・「こらー!誰だーー?!」って・・

でも俺がこのシステムに気付いたのはおそらく高校生の頃。
息子3歳は、、、3歳にして人生が輝く魔法のシステムの存在に気付いてしまっていたのである・・!神童だ!!神の子だ!

そういう訳で、ウチの息子は神童なのです。
皆様よろしくお願いいたします。今日は以上です。
| fabricio zukkini | 日記 | 08:23 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
蚊が常駐している
タイトルの通りである。

家に蚊が常駐している。駐在所があって、死んだら入れ替わり、そうだとしか思えない。
俺が蚊を殺しても次の日には蚊がいる。別の蚊かどうか正直わからないが、また蚊はやってくる。
殉職した蚊の、その次の担当者が呼ばれてまた駐在するシステムでもあるようだ。
それくらい毎日蚊を殺している。殺しても殺しても、次の日にはフレッシュな蚊がやってくる。

この季節の蚊は動きが鈍く、殺すのが比較的容易い。
従って、見つければ都度殺すことが出来ているのだがそれがほぼ毎日の作業となっている為、毎日蚊がいる恐ろしさに直面している。

蚊取りグッズのあれこれを色々試しているがそれらをかいくぐって蚊がやってくる。
君たち一体何なんだ。こんなに俺の家に執着するなんて俺の家に何か宝でも眠っているとしか思えない。何かあるのか。場所を教えなさい。


そういえばであるが、世の中のチャレンジングな取り組みの約8割は「元は刑罰だった」または「脅されて」等のある種の強要で説明がつくと考えている。
スキーのジャンプが刑罰であったのは有名な話であるが、ナマコの刺身もたぶん元々は酔った漁師がワルノリで始めた罰ゲームだったと考えている。
また、最近ようやく開放されたが、中日の山本昌がなかなか引退しなかったのは悪の組織に脅されていたからだという説を唱えている俺である。

そういうわけで俺の家にやってくる蚊はきっと罪人とか政治犯みたいなやつだと思う。
血を持ち帰り、生き延びた蚊は無罪放免、家族と再会というハートフルな展開もあるのだろう。
そしてそうするうちにスキー大ジャンプのように、いつしかスポーツ化されたらたまらない。

そう考えると毎日やってくる蚊を殺さずにはおられない俺である。
 
| fabricio zukkini | 日記 | 00:10 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |







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