ぼくののうみそ-・x・

利益
前回に続いてゲームの話をするが、小学生の時近所にゲームショップがあり、俺の友達とその弟がそこにソフトを売りにいくというのでついていった事があった。
兄弟が大事そうに持っていたのはジャレコという一度聞くと忘れないダセエ名前のメーカーの緑色のカセットだったと思うが、歯がスカスカのどうみても子供もゲームどちらも好きでも何でもなさそうなクタクタの愛想も何もあったもんじゃないおばちゃんから告げられた買い取り価格がなんと「50円」で友達の弟がショックでその場で泣き崩れたのが忘れられない。
すげえなと思ったのはそれでも泣きながらソフトを50円で売ってたことで、その金で兄弟は帰りにぼんたん飴を買っていたが俺には1個もくれずに二人で食べていたのが悲しかった。

お好み焼きやの二階にあったその店はゲーセンも兼ねており、ゲームを持たない俺としては、中学生にビクビクしながらたった100円だけを持ってたまに遊びに行った程度だったのだが、こうしてソフトが売買されていること、小学生相手にも取引に応じてくれてお金が貰えることなど、色々と驚きがあったものだ。

後日そのゲームショップに行ったという兄弟の兄のほうが、「俺たちから50円で買ったゲームソフトをあの店は200円で売っていた!!」と大いに怒っており、俺も彼らがぼんたん飴を一個もくれなかったことなどすっかり忘れて義憤に駆られ「あの店は子供をだまして金儲けしている!」と言う話を地区別集会という、同じ地域の子供たちが学年を問わず一箇所に集められて行われる集会の場で名前を挙げて非難したものであった。
利益というものの存在を知る前の、悲しい話である。
| fabricio zukkini | 思い出 | 23:38 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
マミーは仲間を呼んだ
最もゲームがしたくてたまらなかった小中学生を通じてずっと親にテレビゲームの類を一切禁じられていた俺は、従って殆どのゲーム知識を友達の家にお邪魔して後ろから羨ましそうに眺めていたあの限られた時間の中で得ていた。

ゲームをやらせてもらうだけの為にさほど仲良くない友達の友達の家まで押しかけるなどして挙句ほぼ無視されながらもゲームをやらせてもらえるチャンスを伺いじっとリビングに座って待つ事もあったが、それでもたまにやりたいというとやらせてくれるケースも多くその価値はたしかにあったのである。
下手くそな俺がゲームし出すとため息やあからさまな冷笑といった子供ならではの残酷な反応もあったように記憶しているが、それ以上に俺はとにかくテレビゲームがやりたかったのであり、全く意に介さなかった。

ただしシューティングゲームやアクションゲームと異なり、RPGではそうはいかなかった。ひたすら他人が進めるだけのゲームを後方から黙って眺めるだけ。ストーリーを進める事もなくレベルをあげる為だけに何もない草原で敵に遭遇とバトルを繰り返すだけであっても黙って眺めていた。
ゲームをやりたいのは間違いないが、そんな贅沢など言ってる場合でもなく、最悪ゲーム画面が見られればそれでよかったのかもしれない。思えば不憫な子である。

俺は当時流行っていたドラクエIIIを全くやったことがないが、ストーリーは友達がやっているのを黙って眺めて何となく覚えている。
鳥山明のキャラクターは特徴的で敵キャラの名前は今でも割と頭に入っているのだが、中でも記憶に強く残っているのがマミーである。
マミーはいわゆるミイラなのだが、マミーの特徴は仲間を呼ぶ事だ。仲間の名前は「くさった死体」、マミーより強くて厄介なこのくさった死体が出てくる前にマミーを殺さねばヤバいなどと友達が力説していたのを覚えている。
くさった死体、今思うと腐ってる癖に仲間思いの良い奴ではないか。呼んだらすぐ来てくれるし。(まさにくされ縁という奴だろうか。)
かたや俺の友達はどうだ、仲間が後ろで仲間になりたそうにじっと見ているというのに放ったらかしでRPGですかい。など、自ら勝手に押し掛けておいてアレだが、この様に自分本位な逆恨みもくさった死体の仲間を思う気持ちを前にすれば少しはしたくなるというものである。
くさった死体によって友達のパーティーが全滅したときに感じた爽快感はこの辺からくるものだったのだろうか。
そんな訳でドラクエの、マミーとくさった死体という敵キャラは一度もやった事もないドラクエの中でなぜか今でも印象の強いキャラクターとして残り続けている。

随分とマミーに関する説明に時間をかけてしまったが、なんと、実はここからが今回の本題になる。
話はその後十ウン年後、東京にいた時に入ってた社会人バスケットサークルでの話。
そのメンバーの親戚の子で、間宮くんというとても素朴な高校一年生がある時からチームに入ってきて、アラサー、アラフォーひしめくサークル内でひと際若々しい彼はすぐさまみんなからマミヤをもじってマミー、マミーと呼ばれ愛されるようになったのである。
で、そんな彼には時々連れてくる同じ高校の同級生がいて、もうお分かりかと思うが、俺はもう本当に悪いとは思いながらも陰でそのお友達の事をマミーが呼んでくる仲間という事で「くさった死体」と呼んでいたのである。
くさった死体はマミー以上に素朴な高校生で、無口な中にも秘めた熱い闘志が垣間見える線の細い高校生。
ドラクエと同様、マミーに呼ばれないと現れる事はなかったので遭遇率は低く、結局一言も会話する事はなかったが、罪悪感もあり今でも記憶には強く残っている。

今ではもう離れてしまったバスケットチームではあるが、マミーとくさった死体、二人ももうすぐ大学生か。元気なのだろうか。
俺も誰かのくさった死体でありたいと思う34歳の春である。
| fabricio zukkini | 思い出 | 23:50 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
野ションをしていたおばちゃんに怒鳴られた話
一度は夢かもしれないと思ったこともあるが今でも一部始終をはっきり覚えているのであれは現実だということになるのだろうが、俺は子供の頃に野ションをしているおばちゃんに遭遇して、しかも野ション中のおばちゃんに激しく怒鳴られたことがある。

この意味不明の出来事が起きたのは小学生の頃、ごくごく普通の住宅街の一角においてである。登場人物はわずか2名、小学生の俺と突然現れた野ション中のおばちゃんである。

前後何をしていたのかもはや覚えていないがいつもの平和な街を小学生らしく目的もなく独り言など呟きながらフラフラとしていた最中、イヌの糞のように突然、唐突に、そして堂々と、目の前に現れた50がらみのおばちゃんがテロッテロの薄いワンピースを捲り上げて空き地のような所でケツをだしていたのである。
それが野ションであるかどうかはその時は全く分からず、にしてもその異様な光景から何かおかしなことが行われてい事だけは理解したのであるが、後に野ションであろうと推定されたのはそれを親に話したからであり、俺がこのエピソードを親に話したのはおばちゃんから激しく怒鳴られたからであった。

それにしても怒鳴られたのは衝撃であった。
おばちゃんは俺と目が合うなり、ケツを出したまま「コラーーー!」と叫んでこちらを威嚇し始めたのである。街中でケツを出しておきながら貴様がコラーーーとは大きく出たものであるが、本来ならば野ションをしているおばちゃんこそコラーーーと咎められるべき存在であろうが、小学生にそんな事が出来ようはずもなく、威嚇されるがままに狼狽しその場を去ることしか出来ないピュアな小学生の背中に向かって、何とおばちゃんは更に二言三言、ギョエーだのグワーーだのと言った悪態未満の原始的な罵声を浴びせるワケだからサイテーである。

しかしまあ、結局のところあれが俺の人生で唯一、女性がションベンをしている姿を生で目撃した経験になるのであるが、異性の生理現象をこう表現するのは悪い気はするものの、やはり率直なところではいまだにトラウマとなる極めて不気味な経験であったと思われる。

で、この話を歳上の人に話してみると「昔は結構女の人が野ションをしていた」と言う意見も聞かれるのだが、もしかしたら俺が見たのは日常的に野ションをする女性の最後の世代だったのかもしれない。
まあそんなことはどうでも良いんですけどね、何で俺は道端でションベンしてるヤツから怒られたんでしょうかね。いまだに納得がいかない。
| fabricio zukkini | 思い出 | 22:15 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
知らないばあさんが車に乗り込んできた話
仕事中の出来事である。
社用車でコンビニに停車しコーヒーを飲んでいると「ガッ」と後部座席のドアが突然開き、その時点で意表を突かれかなり驚いたのだが、さらに驚いた事にはそこには全く知らないばあさんがいて、後部座席の荷物を片付け、座りだしたのである。

「ん、よいしょ....」など言いながら勝手に退けた俺の荷物の跡地にチョコンと座る見知らぬばあさん。小柄だがかなり強そうな顔をしていた。
驚いた俺と目が会うも、全く動じないばかりか「早く出発せぬか」という様な堂々たる表情でこちらを見る。
いやいやいやいやいや!!!お前は誰だ!!!の気持ちをストレートに声に出すも「おばッ!ちがうッ!おばっつ、ちがッ!!ちがーーーうッ!」などといった狼狽に任せたうわ言の様な言葉しか出てこない。
そしてそれを聞いてもなお動じずにそこに座り続けるばあさん。

耳が聞こえない可能性もあるぞと思い、ハッして身振り手振りで「ココ、俺の、車、外へ、出ろ。早く。」を伝えると「ああ?違う車ァ??」とようやく理解した模様。「違う?なら出るわ」みたいなふてくされた態度に腹が立つ。
コミュニケーションがとれたと見るや「でろッ!でろック!でろッーーーク!」と一気にまくし立てる俺を「変なやつだなあ」という様なまなざしで見たあと、ばあさんはノソノソと車外に出て行った。

ふう、安心した。一体何だったのか。
さて仕事しご、、

と、思ったのもつかの間である。





「ちわーす。」

みたいな感じでなんとまた現れたのである。わーーーー!
しかも足元はクロックス!こんなところまで伝播した世界的ブランドーーーー!!

「ここ、わたしのクル、、」
「ちがっ!ちがっーーーつ!でろッ!でろック!でろッーーーク!でろっくす!クロッーーークス!!!写真!写真撮るぞッツ!しゃしっ!!しゃ!し!」

と言って写真を撮りましたがひるむ様子もなく車の周りをウロウロ。
身の危険を感じてすぐ鍵をかけたものの、何度も扉をコンコンされたりなどしてつかの間のコーヒータイムのはずがとんだ恐怖体験をしてしまった。一体何だったのだろうか。
| fabricio zukkini | 日記 | 17:53 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤリチンのサッカーチームに所属していたときのこと
学生の頃、バイト先に居た1コ上のセミ・ギャル男みたいなヤリチンを絵に描いたような茶髪にロン毛の大学生に誘われ、その地元の友達らで作るフットサルチームに参加させてもらったことがある。
チームと言うにはかなりルーズな集まりでメンバーは5〜8人、それも毎回知らない人が来たりして今思うとただの「集まってサッカーやろうぜ〜」ぐらいのノリだったように思う。
集まると全員いいにおいがして、あと俺以外全員見事なまでに茶髪かロン毛もしくはその両方な上、ほぼ全員、程度は違えど日焼け済みだったりするので、そうした中で一人黒髪短髪、普通の肌の色をした普通のナリの俺がプレイしていると異国のチームに挑戦しにやって来た日本人感があって妙に奮い立つ気持ちになったものである。

練習場所は今では某大学が建つJR中野駅前の公園。
サッカーの出来る場所など少ない東京なので広い公園には皆殺到するのが常であるが、我々の「ホームコート」でもやはり、色んな集団が窮屈そうに譲り合いながらサッカーをしていた。
個々の集団が別々に、同時にサッカーを始めるとカオスなことこの上なく、結局しばらくすると「試合しませんか」など互いに歩み寄ってちょっとしたミニ大会の様な形で一つの公園を共同利用し始めるのである。

我がチームはヤリチンばかりだがサッカーの実力はなかなかのものでその公園によく集まる連中の中では強い部類に入り、練習後の飲み会などでは度々勝利者だけが味わえる美味い酒を飲んだ記憶があるが、その様な飲み会の席で飛び交う、ヤリチンによるヤリ・トークのその内容には、恋愛経験がシャケの雄並みの純度の高い田舎モンとしては度々驚嘆したものである。
電車の中でナンパした女にケジラミをうつされたというMFのヤリチンはさすがのパスワークで家族全員にケジラミをうつした話を笑顔で語り、FWのヤリチンは僕と同い年なのに20代の女に飽きたらしく、今は30代がアツいという話をたくさんヤった人特有のとても落ち着いた語り口でしてくれて「年代にアツいとかあるんだ」と思った次第。
彼らの高校では全校生徒皆SEXはおろか、3P、4P当たり前という様なスケールの大きなSEXの話を聞かされ、かたや一度SEXをしただけで教祖のように崇められ、そのお方の性体験談を聞こうと参集してはメモを片手に半勃起で傾聴するクソ童貞が9割以上を占めた俺の母校を思うと同時代にも関わらず隔世の感を禁じえず、そんな高校出身のこの俺が、卒業後わずかばかりの時を経て今ここで一緒にサッカーをプレイしている事にはある種の奇跡めいたものを感じたものである。

そんな中で、高校生時点で体験人数が100人を超えていたという高い攻撃能力を持つくせにポジションはまさかのDFのヤリチンから、ある時ふと「君、素質あるよ。」と言われたことがあり、俺は「サ、サッカーすか?」「それとも、、セ、SEX!?」などとは聞けず、コクリと黙って頷いただけだったのだがあれは一体どっちのことを言ったのだろうか。
今でも気になっている。
| fabricio zukkini | 思い出 | 00:24 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
ディズニー帰りの女子大学生が耳を外す瞬間を見た
ディズニー帰りの女子学生グループが乗り換え駅で分裂したときに、俺の乗った電車に残された一人が頭につけていた耳をサッと外した瞬間を見たことがあるのだがなかなかショッキングで、味のある光景だった。
余韻より世間体が勝ったのである。

ディズニー耳をつけている人は見かけるが、あれを取る瞬間にはなかなか遭遇するものではなく、へえ、そんな感じで取るんだ・・・と少しエッチなものでも見たような気持ちになったが俺はヘンタイだろうか。

ディズニーランドは「夢の国」と形容されることがあるが、耳をはずしたその瞬間、形式上は夢から覚めたという事になるのだろう。

俺は人が夢から覚めて現実に戻る瞬間を見たことになるのだが、この女史、メンタルトレーニングがしっかりされておられるのか、割と作業的で、夢から覚めたのに表情は淡々としており一切変化はなかった。

そして一日中遊んで疲れたのか(或いは照れ隠しであってほしいが)耳をはずしたのと時を同じくして彼女は座っていた席で深く眠り始めた。
夢の国再び、それを見た俺は「夢の国ハシゴだ!」って然して上手くないこと小声で言って自分でプッと笑った。

そう考えると俄然気になるのだが、みんなは一体どこであの耳を外すのだろうか。
是非知りたいものである。
| fabricio zukkini | 日記 | 09:45 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
A4紙の運命
仕事中、複合機の紙切れによるA4紙交換中にふと思ったことなのだが同じA4紙であっても重要書類として重要な任務を授かる者も居れば至極どうでも良い案内書類やファックスの表紙のような刹那的な扱いを受けるケースもある。(マジに重要な書類は用紙を専用紙に換えたりするだろうが)
間違って印刷されたりしてあえなく廃棄、良くても裏紙としての屈辱を味わう者もいるのだろう。

同じ紙なのに印字された瞬間にその重みがガラリと変わることもあり、重ねられたA4紙のどこにあるかによって全く異なる運命をたどるA4紙というものに妙な趣の深さを感じた次第。

いい歳しておセンチメートルにA4紙の心配をしてる場合ではないが、余白の調整を誤り、文章末尾の「。」だけが誤印刷されたA4紙を手に取り、供養してやりたく書いてみた次第である。

お前は立派な裏紙になりなさい。さようなら。
| fabricio zukkini | 雑記 | 18:17 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
お前のMA-1はニセモノだと言われ
最近街を歩くとMA-1を着ている若者をよく見かけ、懐かしい気持ちで眺めている。
流行に鈍感な俺でも、ここ最近80年代末〜90年代のファッションがリバイバルしているのは街中を歩けば気づくことであり「ああ懐かしいなあ」と思う反面、いくら流行とはいえ昨今のファッションはかつて無く着るものを選ぶものではないのかと思う次第で、若者の中には一定数必ずいる「あえてそうする層」でもない、ごく一般の若者ですら完全にコメディアンのようなナリをしているのを見るにつけ極めて居た堪れない気持ちになる悲しみのジジイである。
いつの時代でもそうだが、我々ブス、ブサイク諸兄姉にとって、流行のファッションの激戦地にドップリ身を投じる事は、戦力差がありながら逃げ場の無い同一ルールを強いられた悲しいハンデマッチを戦いに行く無謀な特攻行為に他ならず、一度立ち止まり鏡を見るなどして少し考え直して欲しいと思う。

で、話をしたいのは若者という雲の様な存在へのジジイ特有の「いかがなものか」トークじゃなくて冒頭申したMA-1である。ボクはMA-1の話がしたいんである。
MA-1には懐かしい響きがある。MA-1、M2-B、M3-Bなどといわゆるミリタリージャケットの類は、先に書いたとおり80年代後半〜90年代、まさに俺が小学生の頃に流行をし、あの頃の小学生ファッションにも大きな影響を与えたアイテムである。
忘れもしない小学四年生。初めてファッションの流行というものを意識し、「ぼくもほしい!」と強く願った服がMA-1だったのだ。

今思えば、あの時分、MA-1を最初に着始めたのは兄が居るマセた連中か、親がやたら子におしゃれをさせたがるご家庭のご子息だったと思う。
緑、黒、灰色といったミリタリーあるあるカラーのジャンバーがクラスの比率を埋めていく中、まだチャイルドだった俺でも流行っていると気づいたしその流行に乗りたいと思ったもの。
結局小学4年の冬はMA-1を買って貰えずにMA-1っぽさのかけらも無い母親のお下がりの、表は黄緑で裏地が黄色のやたらワッペンが沢山ついているWINKとかがPVで着てそうな謎の80年代ジャンバーを着てしおらしく通学した俺であったが、翌年の冬が近づく頃にはMA-1を強く渇望する事となったのである。

MA-1が流行するに従い、学徒動員さながら、小学校の高学年の半分近く、少なく見ても1/3はMA-1を着ていた気がする。
そんなMA-1大量発生と同時に、「MA-1のニセモノ」と呼ばれるシロモノが多数登場し、その見分け方が周知されるようになった。
そもそも、おうちがお金を持っているやんごとないご家庭については、一目見て分かる「AVIREX」の文字や「U.S AIR FORCE」といった、意味は分からないながらも何となく凄そうな「英語のお墨付き」の様なものがついていたのであるが、それ以外の庶民用は完全無地でMA-1たる証拠としては「裏地がオレンジ」という事ぐらいしかなく、そういう見分け方を設けなければ無地のMA-1には明確な違いが無かったのが実際のところである。
従い、増え続けるMA-1人口に対し、元々MA-1を着ていた層が自らの地位を守るため、半ば言いがかり的な感じで提唱しだしたのが「ニセモノ」の実際のところだと考えられるが、そもそも論として、佐世保で米軍払い下げで買った様な米軍のお墨付きでもなければニセモノも何も一律みな同じ「MA-1タイプブルゾン」で仲良くすれば良いはずなのである。

MA-1のニセモノ理由は色々あったが、二の腕の弾入れ用ポケットにダミーの弾丸が無いとか、裏地(オレンジ側)のポケットのボタンに色がついてないという具体的なご指摘はまあ許すとして、綿の量が少ない!とか、色ツヤがおかしい!などと言ったかなり主観的なイチャモンも登場した上、さらにはユニクロやスーパーで買ったものはすべてニセモノなどという流通面に言及するイカレポンチまで登場する始末。
こうして「綿が少ない!」とか「あそこにホンモンのMA-1が売ってあるわけが無い」いう理由で気に入らないヤツのMA-1をニセモノ認定するのがMA-1警察の目的であり、俺も翌年念願の緑色のMA-1をゲットしたものの、大分後発であったからこのMA-1警察の検問に引っかかり、お母さんが買ってきてくれた貴重な俺のMA-1は「綿が少ない」などとイチャモンを付けられてニセモノの様に扱われたものである。あの屈辱!

そんな訳で俺の中でのMA-1の流行はニセモノ認定によりあっさり冷めていくことになり、そうした経験が尾を引いているのかあれからもう二度と袖を通すことは無かった。
今リバイバルを果たしたMA-1を着る若者を横目で見るたび、俺は大昔のそんな悲しいエピソードを思い出すのである。

 
| fabricio zukkini | 思い出 | 17:14 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
月に1度しか開館しない山の中の貨物鉄道博物館に行ってきたぞ
相変わらず電車の踏切の魅力に取り付かれている息子は、最近では個々の踏み切り名まで覚える始末で、近所の踏切を車で通るときなどは「○○○踏み切り!」と叫ぶなどして踏み切り愛は弱まる気配がない。
車移動の際はあえて踏み切りを通るなどしないと機嫌を損ねることもあるので極力踏み切りを通過するようにしていて正直面倒な部分もある。
そんな中、最近の観察の結果気づいたこととしては息子は踏み切りそれ自体も確かに愛でているようなのだが、特に踏み切りが閉まり、車が列をなし、そこに電車が通過するという一連の風景が特に好きなようで、その中でも貨物列車の通過に異常な興奮を示すようだ。

また最近ではそうした踏切ー貨物コネクションが飛躍したひとつの形なのか、息子は貨物列車自体にもただならぬ興味を示すようになり、結果クリスマスプレゼントとしてプラレールの大層な貨物鉄道セットを購入する運びとなったほどである。
そして貨物、貨物と連日連呼するほど息子の貨物鉄道への愛が本物であると分かったのと同じタイミングで三重県の山中に「貨物鉄道博物館」なるドンピシャな博物館がある事を知った。
調べるとその辺鄙な立地に加えて「毎月第一日曜のみ開館」とあり、その妙なストイックな生き様と博物館としてのハードルの高さには単純に心ひかれるところであるし、またそのHPから漂う「不完全さ(これはいい意味である)」といった、昨今の鉄道ブームにも関わらずあまり洗練されていない諸々は息子の為でなくとも行ってみたい気持ちになるというもの。

貨物鉄道、また鉄道一般の事は全くあかるくないものの、興味本位で足を運んでみた「貨物鉄道博物館」について書いてみたい。


*****




最近の鉄道関係の博物館が都心近くに大規模な施設を有し、またどこででも盛況な中、貨物鉄道博物館は周囲を山とゴルフ場に囲まれた、三重県いなべ市という割と慎ましい、平たく言うとド田舎でひっそりと月一回のみでひっそり運営を続けている。





立地のイメージとしてはこのような感じ。
付近の風景としてはこのような具合。落ち着くにもほどが有るサブ・アーバンな雰囲気しかそこにはない。




そしてローカル線・三岐鉄道三岐線「丹生川駅」に隣接する形で、建っており





周囲の景観を全く損ねることなく建つのが




やんごとなき貨物鉄道博物館である。

温かい手描きの看板、壁のイラスト。手作り感溢れていてとても安心する作り。
年季の入った小さな小屋に思いのほか多くの来館者の姿。月一回の開館日を狙ってここにやってくるファンが確かにいるのだ。




それにしても周辺の住宅地や駅と博物館の境界のあいまいさは目を見張るものがあり、これも本博物館の魅力であろう。
博物館にいる傍らで、真横を色鮮やかな三岐鉄道の車両が通るたび来場者は沸き立ち、館を抜けてカメラを向ける。




観光地やレジャースポットへ行くと本題に入る前にその周囲をジロジロ見てしまい時間を費やすのが悪い癖なのだが、でも周辺に面白いものがあることが多いのも事実。
博物館の周囲には割りと無造作に、退役した鉄道車両が置いてある。




ここに収蔵されている車両4両は「大正から昭和の技術的に貴重な貨車」として登録されている。のだが、結構フランクに中に入れたりして貴重なくせにかなりフレンドリーなヤツである。




説明もなく置かれたこちらの貨物車両、男の背中を感じさせるたたずまいはどうだろう。
博物館のものかどうかも分からないが、こんなに無愛想な展示車両が他にあるのだろうか!




詳しくない人間でも突然、無防備にこの様に列車が置かれているのを見ると興奮してしまうもの。
鉄道に詳しければもっと具体的に「アレがコレで、ソレがアレやあ!」等と興奮できるのだろうが、ただ大きな乗り物を見て興奮する子供と同じように「うわー、大きい、すごい」とアウアウ喜んでしまうジジイです。




中はこんな感じ。
倉庫感が甚だしいが、中にはスペースの関係で色んなものがギッシリ詰め込まれている。




ジオラマは標準装備として、子供たちに大人気。




その中に分け入るジジイとしては、看板のセンスにキラリと光るものを感じて撮影を禁じえない。




聞けば全てボランティア運営だそう。
近隣の方だけでなく、関西やもっと遠方から月に一回集合してこちらの運営を手伝うのだそうだ。
館内には合計3点の力作ジオラマがあり、子供たちを楽しませる。





こちら20円を入れても稼動せず、係りの人を呼んで手渡しで20円払い、手動でスイッチ入れて貰わねばならない遊具。




色んなものが無造作に置かれているので実感が沸かないのだが、




これらは2011年度産業考古学会推薦産業遺産「貨物鉄道博物館の保存車両・資料群」として登録されているのだそう。




そうした徳の高い一面もありながら子供が遊ぶスペースもあり、一部のマニアを対象にした排他的な雰囲気は全くない。




物販も充実。参加費100円払えば、館内で蚤の市スタイルで出展が出来るそう。
それ以外にも貨物鉄道博物館オリジナルグッズが充実していた。




幾つか買ったがコレが一番気に入っている。

こんなに朴訥なプロマイドがあるだろうか。
ド素人なので認識の甘さ、また表現が拙いのはご勘弁願いたいがこれっていうのは電車と電車の間の部分ではないのか。V6でいうと長野クンではないのか!編成単位でなく、ソロ活動もきちんと取り上げる愛。例えばジャニーズには長野クンのソロ活動をバックアップする覚悟はあるか?!なかろうが!

いやはや、モノの価値は様々だが、松屋の定食は+100円で特盛になるという。その特盛を我慢するたびこのプロマイドが手に入るのである。




「ディーゼル機関車 写真 1枚 80円」

かなり気になる表紙で輝きを放つ、手作りのフォトアルバムを発見。
先の商品と比べるとたった80円とは安いではないか。もしやこちらのほうがお得なのでは??とページをめくるが、




中から出てきたのは割とオッサンがメインの普通の記念写真的な一枚ばかり。
いやまて、乗り鉄、撮り鉄、録り鉄、駅鉄・・・・ド素人には到底想像の及ばぬ鉄道界の、その中でも特殊と思しき貨物鉄道界のことである。
鉄道だけではなく、それを操る「作業員のオッサン鉄」という、フェチズムの領域もすぐそこに捉えたコア・オブ・コアな世界もあるかもしれない。




「オッサン鉄、いいかもしんない・・・」

それはページをめくるたびに必ず写りこんでくる作業員のオッサンの、その味のある佇まいに徐々に引かれていく自分自身の素直な気持ちが何よりの証拠・・。




物品購入者には何故かMEIJIブリックの袋で渡してくれるのだが、こういうところも愛さずにはおられないポイント。
昨今の何が何でも自社商品ごり押しの、秘伝の儲け主義にどっぷりつかって4代に渡って注ぎ足されたようなレジャー施設には到底真似の出来ない奇跡のコラボレーションなのであるから。





この日は鉄道やその歴史に関する貴重な資料をスライドショーで説明する催しがあった。
単に展示するだけに留まらず、積極的に伝えていくのも博物館の役割のひとつ。
ボランティア運営とは言え、その辺りの努力には頭が上がらない。




ただ、1時間のスライドショーをするにはいささか画面サイズと発表者の声が小さすぎたのか、もはや関係者しか座っていない聴衆席にも睡魔の攻撃が!
スライドに出てくる資料がかなりマニアックで興味深かったことはお伝えしたい!




鉄道に関するスライドショーであるから、差し棒もプラレール。
先ほど紹介した子供が遊ぶスペースから調達したのだなあと思うと頬が緩むが、ご愛嬌なのである。






最後に「ついで観光」情報をひとつ。
この日は、この貨物鉄道博物館と(たぶん)同じ方々が運営される軽便鉄道博物館もすぐ近くで開館していた。
こちらは第1、第3日曜日の開館で、貨物鉄道博物館とセットで回られることをオススメしたい。




軽便鉄道、あまり聞きなれない名前だが簡単に言うと「安くて小ぶりで簡易的な鉄道」という事になるそうなのだが、詳しくはWikipediaで確認して貰いたい。(Wikipedia「軽便鉄道」)




そしてコチラではミニ電車に無料で乗せて貰えて最高。




見える景色はこの様に実に生活感溢れたもんですが、ご愛嬌。




鉄道の上を自力でこいで進むマシンも体験できたりして、こちらは体験型の楽しい博物館。




ボランティアの方々、本当にありがとうございます。


中部地区の皆様、興味があればぜひ一度貨物鉄道博物館、または軽便鉄道博物館へ足を運んでみてはどうだろうか。
こんなところに?!という驚きもあってとても楽しめますし、ドライブするにもなかなか良いエリアだと思います。


終わり
| fabricio zukkini | 旅行 | 17:13 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
最後に発熱する
昨日が年内最後の出社日、今日から10連休という長い冬休みを向かえるわけだが、残念ながら俺は熱を出してしまった。

晴れて2015年最後のお勤めを終え、会社を出た瞬間、俺は突如発熱し始め肩はこり腰痛も活性化、「俺も俺も」とばかりに何故か高校生のときにひねった足首のネンザまで復活する始末。
家に帰り体温計をわきの下に挟むと「あー、こりゃ熱ある熱ある!アンタ熱ある!」とばかりに挟んで3秒でピロピロ!と鳴り「38.2度」という数字が表示された。

38.2度、リアルな数字である。
39度などあったりすればひと騒ぎしてみんなに構ってもらえるものだが、38.2度はお風呂のちょっとぬるめの温度であり、「アンタぬるいよ」と言われているようで正直微妙である。
構ってもらって貴様は一体どうするのかという問題はさておき、大人にとっての38.2度は非常につらいものがあり久しぶりに声に出して「さむい、くるしい&つらい...」と、エマーソン・レイク&パーマー式の非常に分かりやすい形で苦しみを表現する33歳の夜。

今朝おきてみると熱は下がっていたものの、肩こり、腰痛、その他いろんな所の関節の痛みは体にしっかりと刻み付けられており、2015年の仕事終了と共にこれらが一気に襲ってきたような気がしてならない。

「夜の冷えがハンパない」という実家あるあるにより、毎年帰省するたび高い確率で風邪を引く俺なのでこのコンディションで帰省することにとても不安を感じているのと、何故かおとといからずっと二重まぶたになっており元に戻らない事がとても心配である。
| fabricio zukkini | 日記 | 09:26 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |







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