ぼくののうみそ-・x・

忙しい
2015年の6月は忙しかった。
「忙しい」という言葉は「いそが」に「しい」と書く、つまりよくわからないけどとにかく「心を亡くす」という意味なんだそうだ。そういうルールなのだ。
果たして何でそういう解釈になるのか大卒の俺ですら皆目分からないが、《ひらがなにしたのが間違いだ》とキラキラひかる夜空の死兆星がささやいている気がするのと、あとは「しい」が共産党と兼務で我々のメンタルもつかさどる何かではないかと疑っている陰謀論が大好きなジジイである。

喉元過ぎれば何もかもを忘れる喉越英一郎なので、この忙しさを忘れぬように、皆に俺がどんなに忙しかったかその僅かでも伝わって、忙しい日々を過ごした俺が忙しい最中のほんのひとときで少しでも満足出来るように・・・・俺の2015年の6月はとっても忙しかった事をここに記しておきたい。

神様、7月は楽させてください。もうこんな意味不明な記事をかかせないでください。
さようなら。南無。
| fabricio zukkini | 日記 | 23:04 | comments(8) | trackbacks(0) | pookmark |
武器、あの理不尽なアレ!
息子がニンニンジャーにハマってしまい、ついにこのフェーズに突入かと感慨深く眺めている俺である。
しかしそれまでハマっていた車や電車と異なり、こうした戦隊モノっていうのは何か子供においては一過性のブームのような気がしてどうしてもわざわざお金を出してまでグッズを買う気にならない。
従ってニンニンジャーグッズは俺の手作り。段ボールをはさみで切って手裏剣や刀や変身グッズを作ってあげた。
武器が出来るとそれを使いたくなるのが人間の業であり、息子もやはり俺に「敵になれ」と言う。武器が出来たから敵を作る・・・何か深いジャン・・・
俺は「ハッハッハ」と取り合えず敵らしく陽気に笑い、息子は手裏剣を投げつけ、刀でガンガン叩いてくる。刀は切るものだと教えても当然分かるはずもなく、ハッハッハと笑う俺は結構な力でビシバシ叩かれ、やめてほしいときは「うわー」と言って崩れ落ちてはまた起こされ刀でシバかれる・・・、これくらいの歳の男子児童を持つ日本の家庭にはよくある光景ではないだろうか。

まあうちは手作りのおもちゃで遊んでいるわけで、日々こんな具合であれば本来ごっこ遊びの装飾品として作っただけの手裏剣や刀など、すぐに破損してしまうのであり、俺は再び息子にせがまれ段ボールをはさみで切って刀を作る作業に取り掛かる。

次は折れないようにと固めの段ボールを選び「次の刀はめちゃくちゃ硬くて、強いぞーー」などと言いながらも

《これ、俺がシバかれる道具だよな・・・・》

という辛い現実を噛み締める。

「よーーし、この刀をお前に授けよう・・・」というと「ありがとうございます!」とそれらしい演技をする息子が可愛くてしょうがないのだが、「それで敵をやっつけろ!」と言うと「わかりました!」と言って俺をビシバシ叩いてくるこの世の不条理。
刀屋ですが、刀を納品した瞬間ハッハッハと敵になる切り替えの早さが求められる、辛い中にもやりがいのある職業です。

前作に比べ、明らかに増した刀の攻撃力をその身をもって体感。
息子の成長よりも、刀の成長にある種の達成感を覚えながらハッハッハと膝から崩れ落ちるジジイであった。
| fabricio zukkini | 日記 | 12:00 | comments(9) | trackbacks(0) | pookmark |
会社のラジオ体操の音量が小さすぎて困っている
前も書いたが、製造業であるわが社では、工場勤務者と同じ時間に同じように事務職や営業職もラジオ体操を行うことになっている。(参考記事:ラジオ体操
最初はこの、フロア全体が死んだ顔でラジオ体操を行う様が滑稽に感じること甚だしく、何でこんな意味のないことをするのかなど、高校二年生さながらのシラケた態度で渋々これを行っていた俺であったが、年数が経つと不思議なもので、次第にこれが仕事モードへスイッチを入れるある種の儀式めいたものにもなってきてしまい、気づくと同じく死んだ顔で何も考えずにラジオ体操を行う一派の仲間入り、ついにはラジオ体操をまじめにやらない連中をケーベツするほどのポンコツ野郎になったほどである。

そしてこのたび東京の本社から転勤することになった俺だが、新しい勤務先でもラジオ体操が行える設備はバッチリ整っていた。
ラジオ体操教徒がきちんと宗教儀式できるよう配慮される様は、まるでムスリムの為に礼拝場所が用意されているかのよう。
「ああここでもラジオ体操ができる」と新天地でもにこやかに出社しては、死んだトンボのような顔で粛々とラジオ体操をする俺である。

そんな俺の新天地でのラジオ体操アクティビティには一つだけ、どうしても気になることがある。それはラジオ体操が流れるCDプレイヤーの、その音量が著しく小さいことである。
どういうコンセプトか分からないがとにかく音が小さい。小野リサのCDかよってくらいの音量で朝から調子が出ないのである。
もうずっとそれで運用しているかもしれないのだが、その音の小ささといったら、オッサンたちの体が「ポキポキ」言う音があちこちから聞こえてくるほどの小ささなのである。
または、オッサンの「んっ・・・」とか「じゅへ〜....」とか言ったちょっと姿勢を変えると漏れ出る吐息、ノイズの数々が、聞きたくもないのにジャンジャン届いてくるほどの小ささなのである。

細かいことを言えば各々のシャツの擦れる音だって「シャツ、シャツ....」と、シャツの語源はこの音だったのかと勘違いしたくなるほどシャツ音半端なく、これまでラジオ体操のボリュームで消されていたそうしたヒューマンの体から発せられる音の類が、新天地では相当に耳に届いてきてなんかいや〜な気持ちなのである。

んっ・・・、ポキポキ、シャツシャツ、みたいな中で死んだトンボのような顔でラジオをすると朝からスーサイダルなこと甚だしく、今後は朝一番早く出社し、バレないように毎日少しずつボリュームを上げ続けるか、もしくはどうせ音量が小さいなら結局誰も音を聴いていないはずなので、それならばラジオ体操のCDをこっそり長渕剛のLive盤とかに入れ替えるなどしてこの難局を乗り切ろうと考える策士の俺であった。
| fabricio zukkini | 日記 | 07:28 | comments(8) | trackbacks(0) | pookmark |
俺は子育てぶりぶりおじさんだよ
このGWからようやく家族が集結し、本格的に愛知県での新生活がスタートすることになった。
結成して数年、何かと離散しがちな我が家族が久しぶりに集結したわけであるが、新たに加わったメンバーでついに4人体制へ。
また新たな土地ということもあり妙にフレッシュな気持ちが強いものの、そんなに感慨にふけっているバアイでもなく、今は一人で家族3人分を養わなければならない責任感を強く感じ、出来ればこれからは生活保護の不正受給などでイージーに生活していきたいなあという気持ちがかなり優勢である。

数ヶ月前とは大きく変わった家族環境であるが、その中でも特に、俺の実家に一人預けていた長男の成長が著しく、その知恵のつき方の甚だしいことときたら甚だ甚だしく、とにかく、ほんの数ヶ月前の何でも思うように操ることの出来たチャイルドとは程遠い厄介な野郎に変貌して戻ってきたのである。
身体的な成長も確かにみとめられるが、頭脳はそれ以上に成長し、「風呂にはいれ」「飯をくえ」「オムツをかえさせろ」など、子育てで発生する、親から子への諸々のお願い事のことごとくを拒否する有様である。

子育てについては俺よりはるか先を行く諸先輩方に言わせれば「なあにそんなもの」という程の些細なことであることぐらいはわきまえているつもりだが、諸々大人のツゴウで進めたいハウスキーピングのスケジュールに照らし合わせると、この息子原因の進行遅滞が面倒な事には変わりなく、本来なら無理やりに張り手なりオシリペンペンなりでもして何もかもを強制的にやらせても良いのだが、時代は21世紀でぼくたちは子供の人権とかCO2とかを考えないといけないこともあり、何とか理性的に、ノーファールで事をお願いせねばならないと日々知恵を絞っている最中である。

いずれは陳腐化して効力を失うことだろうが、そこにあって最近編み出した手法としては「しない、しない」の一点張りでそっぽを向く息子に対して押してだめなら引いてみなではないが、「じゃあお父さんがしよっかな〜」などと言ってみせ、「じゃあする!」と、なんにでも反対してくるチャイルドあるあるを利用するという、ある種柔道の原理で一本背負いをする伝統的なコントロール手法である。
これが今のところテキメンに効果を見せており「飯を食わない」と言えば「じゃあお父さんが食べよっかな〜」、「着替えない」と言えば「じゃあお父さんが着ようかな〜」などと、何でもかんでも「しよっかな〜」とやってのけるブリッコ横取りオッサン然として息子を刺激し続けている次第である。
Oh....この万能感、この無敵の子育てメソッドよ、、、このまま陳腐化させずに二十ウン歳まで引っ張って「じゃあお父さんが就活しよっかな〜」などと永遠にヘビーローテーションさせて頂きたい気持ちになるというものである。

そんな中、先日朝から脱糞した息子が頑なにオムツを替えようとしないのでいつものアノパターンやでえとばかりに、「じゃあ、お父さんが代わりにウンコしようかな〜?んんー?」など言ってみせたところ、それまでトミカをブーブー言わせていた息子、「ほう」と表情を変えて歩み寄り「やってみろよ、お?」とばかりに俺を見る。そして真顔で「おとうさん、ウンコみして。」などとプログレッシブなことを言うではないですか。
元来押しに弱い俺ですから本来オプションで+15,000円発生するところを、アナタは身内なのでは無料にて!とばかりに「ぶりぶり.....ぶりぶり...」と屈辱の野グソ=パントマイムを披露するハメに。息子は父親の醜態をジッと眺め、そして無言で去って行った。
これこれ、お前さんは経験値だけはたくさんくれるはぐれメタルか〜い!などと、殆どやったこともないドラクエ知識の断片で、一度もしたことのないセルフ突込みを心の中でカマすなどして取り繕う男33歳であったが、一つの必勝パターンの終焉には落胆を隠せなかった。

日々反応は同じようでいて、子供も色々考えている。
一人「ぶりぶり....」と言いながら子育てとはワンパターンのマニュアルのようなもので対応できるものではないことを思い知った俺であった。
 
| fabricio zukkini | 日記 | 16:29 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
改装中のコンビニに間違って入ったオッサンだよ
先日仕事で運転をしていた俺は、軽い尿意を覚え、さほど大きくはない海辺の街中で小休止の出来るコンビニエンスストアを探していた。
 
探さなくても勝手に目に飛び込んでくるはずのコンビニやガソリンスタンドも、こちらから求めるとなかなか姿を現さないのが世の常で、この日もやはり簡単にエンカウントしないことに業を煮やし急がば回れと路肩に停車しわざわざカーナビで周辺より最も近くにあるコンビニを発見、目的地として設定したのである。
すると現在地点から500mばかり直進したところにコンビニありの結果
わざわざ探さなくても程なくすれば見つかる運命だったというわけ。大体こういうものなのである。

設定したカーナビの導く通り、そのまま直進するとそこには駐車場の広い地方ならではのありがたいコンビニがあった。
便所が近づくと勝手に体側も準備をするもので、そこにきた時には尿意ももはやそれなりに差し迫ったものになっていた。
やや急ぎ目にインしたそのコンビニに入ると、実際には左折しようとハンドルを切る瞬間に分かったのだけどその駐車場、駐車場エリアの拡張の為か完全に工事中。工事車両が何台も停まっており、意外と窮屈な状態であった。
もっとも、工事車両はあるが店舗自体には一般客の車も停まっていて営業中の模様。
そう判断したものだから、すかさず寄って来たガードマンが我々一般客を一台一台、安全な場所にわざわざ導くなんて大変だななどと考えつつも促されるまま、適切な駐車スペースに案内されて付いていくことに。
案内された駐車スペースは店舗からやや離れていたため、念の為財布と携帯を掴み、小走りで店舗を目指す。

しかし店舗に近づいてみて初めて気付いたのだが、そこは思いっきり改装中であった。窓には養生もしてあり何で近づくまで分からなかったのか正直謎だが、これがオシッコの闇。漏れそうになるとあの放物線のようにメンタルが一直線になるのである。
そしてそんな改装中の店舗にノッシノッシと近づいてきた俺に、そこにいた作業着姿の方々からは「こんにちは・・・?」という様子を伺うような挨拶。

堂々と入ってきたからか、俺は思いっきり業者の人と間違われてここに誘導されたのかもしれず何やら変なことになった模様。
元来周囲の期待には応えたいのと、あととってもその場の空気に従順な性格の俺ですから、これはイカンととっさの身のこなしで、浴びせられた挨拶の一つ一つに「やっとるかね」風の、あたかも現場を知る男の余裕で以って軽く対応すると、《ヨシッ、ヨシッ・・!モンダイ、、ナシッ!》などとブツブツ言いながら改装中の店舗を指差し確認などし、とりあえず一回りしたあとタッタッタと小走りで逃げるように去っていった次第である。

帰りしな、また出口では再び警備員が俺を誘導してくれ、深々とおじぎ。

それには現場を知る男の余裕で以って「プッ」とクラクション1回鳴らして「よきにはからえ」のサイン、まさに漏れんとするオシッコの訪れを感じながらまた「やばいやばい、まじやばい」とマチのシットステーションことコンビニを探すたびに出かけた俺であった。
| fabricio zukkini | 日記 | 23:46 | comments(7) | trackbacks(0) | pookmark |
老夫婦が営むアットホームな洋食屋のカレーがなぜか激辛で笑える
タイトルで内容の半分以上をお伝えするケースは非常に珍しいのだが、お話したいことはそういう事なのである。

今の拠点に異動する前に務めていた本社ビルの裏手には、老夫婦+恐らく娘が切り盛りする家族経営の小さな洋食屋があった。
オフィス街の中にある小さくて年季の入ったその店には、日替わり定食を楽しみに毎日スーツ姿のサラリーマンがやってくる。
少し遅れていくとスグに小さな列が出来るのだが、それにも納得。ボリュームは十分な上、味も良い。
ハンバーグ、トンカツ、メンチカツのローテーションに過ぎないのだが何故か飽きることはなく、添えられるポテトサラダや味噌汁の美味さも人気の秘密だとふんでいる。

調理はご主人、カウンターと小さなテーブルしかない狭いホールだが、奥さんと娘(恐らく)がフットワーク良く動き回る。
そのたたずまいから、オフィス街の中では恐らく老舗の部類であろうと推測するが、妙なとっつきにくさもなく老舗にありがちな常連がこびりついている閉じた雰囲気も全くない。
一人でも来易く居心地も良いあの落ち着いたランチタイム。東京を離れた今、もう味わうことの出来ない懐かしい味と空間だった。

そんな洋食屋であるが、タイトルの通り何故かカレーがめちゃくちゃ辛いのである。
そしてこの、きっと誰にも求められていないカレーの辛さが妙に笑いのツボだったのである。

この店のカレーは、ランチのライスに+150円することでミニカレーに出来るランチのオプションのようなものであるはずだが、コレがもうなんか知らないがめちゃくちゃ辛い。珍味でもないのに笑えてしまう、面白い辛さなのである。
この店ではカレーは脇役、「じゃあ、ちょっとカレーでもかけてみっか」のつもりだが、やたら辛くてスプーンが止まる。エキストラが全く求められていないのに無駄に個性的な演技をしてくる感じだ。

いわゆる「激辛カレー」をさほど嗜んだことがない俺の辛さ評価なので微妙といえば微妙かもしれないが、それでも人並みに辛いと呼ばれるものを一通りは無理なく食べきった平均的な味覚であるはずである。
その平均的な味覚から言わせてもらうってのもあるけれども、何よりこの店、また老夫婦雰囲気、何よりほかの料理の全く辛く無さに鑑みても、失礼承知で言うけどあの辛さはこの店には全く求められていない辛さなのである。

例えば普通のアイドルのはずなのにtwitterでは何故か極右思想を披露しちゃうような、なにしろこちらは全く期待していない唐突な演出であり、お店のあらゆる要素との完全に不釣合いな攻撃的なあの辛さは感覚的に「激辛」に感じられてしまう衝撃度だ。
もちろんこれを言っているのは俺だけではなく「この店でカレーだけこんなに辛くする必要があるのか...!」と、皆口々に述べる程度の辛さであることをご理解頂きたい。

勿論お店には「カレーは辛いです!」等のアナウンスなどしていようはずもなく、店主始め奥さんや娘も共々まるで辛いカレーなどこの宇宙に一皿も存在していないかのような純朴な雰囲気。でも、しかし、やっぱりカレーはめちゃくちゃ辛いという、このチグ&ハグな感じに、俺は妙な面白さを感じてしまうわけなのであります。
こうしたカレーの必要以上の辛さに起因するこのお店の内部に発生した謎のアンバランスが堪らなく好きで、行けば必ずランチのご飯の上にこの辛口カレーをかけてもらっては、心の中では毎回「なぜカレー辛いんスか・・・笑」と不気味にほくそ笑んでいたものである。

「老夫婦が営むアットホームな洋食屋のカレーがなぜか激辛で笑える」

しかし、こういう訳のわからないことを妙に面白がってしまう33歳の俺なのであるが、これはとても難しい話なので俺の言いたいことが5%でも伝われば幸いである。
 
| fabricio zukkini | 日記 | 23:37 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
家でネットができる様になった

東京でずっとお世話になっていたJcomから「転居先はサポートエリア外です」などという田舎扱いのつめたいDisでさよならを告げられ、また転居してからの忙しさも手伝い、新居ではずっとネット無し状態が続いていてとても寂しい日々だったのだが、先週ようやく待望のインターネットライフが戻ってきた。






Jcomもお手上げするほどネットサービスがあまり選べない環境でもあったので選択肢は多くなく、またすぐ使いたいと言う事情にも鑑みて、大体の電気屋に陣取るあのモバイルインターネットサビース「U」社にするしかないという状況。

名古屋駅前の某電気屋に行くと、件のモバイルインターネットサービス会社のスタッフがいたので「ちょいちょい」と声をかけ、すぐさまインターネットがしたいから契約させてたもれという趣旨のことをボソボソと伝えると「えっ!」と驚きアタフタしまじめる。その男、俺の一言一句にうろたえ、何だか挙動が不審なのである。

何だこいつはと思いつつも、元来小心者なビビリオッサンだもんで、相手の反応には人一倍敏感であり、相手の様子がおかしい場合の7割はこっちが何か間違ったこと行っている確率が高い!などとハラハラして幼少期にりんご病で鍛えた頬が紅潮をしそうにもなったものだが、単に、そのスタッフがどういう理由か不明ではあるが、まさか信じられないことに自社の商品のことを一切知らない完全なド素人だったことが徐々に明らかになり、そんなことがあるのかとは思ったけれども、結論としてはソイツが不安なのでわざわざ他の電気屋に行って同じサービスを契約する羽目になったのである。

思い出しても奇怪な体験であった。
そのスタッフは年齢24、5かと思われる、いかにも入ったばかりと言った風体で、明らかに周囲のスタッフから粗末な扱いをされていることは、彼が俺への説明の途中何度も席を立ち、先輩スタッフのところへ再三再四初歩的な内容を聞きに行ったとしても、尚も彼らは遠方にとどまり続けて目の前の質問に答えるのみ、決してこちらに助けに来ようとしない冷たい態度から感じられる。
その、明らかに暇そうなのに困っている後輩を見て見ぬ振りをするその性根のスポイルされた連中が気に入らないからこそ、今この目の前にいるまったく商品のことを知らない若者から商品を、サービスを購入してあげようというハートの温かさを見せようと思った男気オッサンであったが、そんな温かいハートを無駄にするように、この若者の商品を知らないことと言ったら夢かと思うほどで、何から何まで、例えば「値段はおいくらですか」というファンダメンタルな質問からすべて「ちょっとお待ちください」と言い残し、先輩に聞きに行くのである。

その数は7回に及び、「風の谷のナウシカコミック版でも7回で完結したのにコイツときたら・・・」とは思いつつも、我慢に我慢を重ねたわけだが、とうとう8回目にはもう彼と言うより、8回も聞きにきたのに待たされ続けているお客のことをまったく心配しない彼の先輩方に腹が立ちソッと席を立ったわけだが、それを見ていたであろう他の連中ときたら止めようともせず「ありがとうございました」などと言うではないですか。

甚だバカにされた気分にもなったが、インターネットがすぐ使いたいマインドには抗えず、そこからわざわざ15分も歩いて別の電気屋へ行くと、同じU社のコーナーにて応対してくれた中国人スタッフの方が俄然愛想も知識も手際も良く、ついつい最後に「日本のサービス業は終わりです」なる趣旨の話をして無視されたが、まあ、今はインターネットが出来るようになったので今回書いた話は別にどうでも良い次第である。U社さんありがとうございます。インターネット、がんばります!
 
| fabricio zukkini | 日記 | 13:42 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
さようならゆめちゃん
このブログでも何度か記事にした実家の愛犬、ゆめちゃんが1月末に病気でこの世を去ってしまった。

遊びに来た俺の友達に猛然と襲い掛かる時折見せる野犬並みの獰猛さの反面、庭でひっくり返っていたカニに一晩中ほえ続ける繊細な一面もあるかと思えば、自分が庭にしたウンコにも一晩中ほえ続けるガッツも持ち合わせた、とても愛くるしい犬であった。





母親に着せられた母親のタンクトップの写真が今では懐かしい。とても笑える写真だが大体いつもこんな感じだったように思う。
飼い主のお願いは断れないタイプなのでこのようなことになったのであろう。ゆめは大体いつもこういう「やらせていただきます」というような殊勝な表情をしていたような気がする。






ゆめが家に来たときのことを俺は知らない。俺は大学生で東京にいたからだ。
進学により兄弟がどんどん家を出て行く様を見て「夢がなくなった」と感じた母親が、あろう事かまだ弟が家にいるというのにその名をつけたと後から聞いた。






時々帰省してくるだけの大学生の次男であったが、ゆめは俺を忘れることなく懐いてきてくれて有難かったが、全く思うようにいかなかった東京の大学生活への後ろめたさも幾らか感じたものであった。

帰省して地元の友達と飲んで酔っ払って「早く九州に戻りたい」などと言いながらフラフラと戻ってくる俺を励ましていたのか調子に乗るなと言っていたのか、とにかくベロベロと舐めまくり、あれはとても迷惑だった。






ゆめは息子とも遊んでくれた。家に家族が増えて行く様をどう思ってみていたのだろう。
まだ小さい息子に乱暴に体をつかまれて嫌そうな表情を見せていたが、大体一通り機嫌を損ねずに付き合ってくれていたし、俺の息子と分かっていたのかもしれない。良い奴である。

結局は飼い犬である、親戚でもないし友達でもない、ましてや人間でもないので、きっと本当の家族との別れより幾らか受け入れられることだろう。しかし何の縁か家にやってきたあのごく普通の犬の一生を思うと涙も出てくるものであるし、悲しいことである。
いろいろと書きたいことはあるけれど、こんなブログより長いゆめとの付き合いを1回の記事だけでは到底書けるはずもなく、今は勝手に親がよく散歩をしていた裏山に埋葬したという事を聞いて、勝手にそんなことして大丈夫なのかと心配をしている次第であるが、帰ったら必ず会いに行こうと思う。

 
| fabricio zukkini | 日記 | 00:22 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
知らない人に間違って挨拶した話
先般、朝の出勤時に会社のエレベーターに乗り込んだ折、すぐ後から乗り込んできた自分の会社の偉い人に挨拶したつもりが、それが全然違うアカの他人で酷く恥ずかしい思いをした。
誤認するに至ったその二人の共通点としては「共にハゲている」であるわけだが、背格好、スーツの感じに加え、共にメガネ、なにより頭頂部の具合が大変よく似ていたものだから、割と反射的に、ごまかし様のない大きな声で「こんにちは」と挨拶をしてしまったのだ。

エレベーターの中での人違いは恥ずかしいもので、間違って挨拶した相手は最初は驚いたような顔をしてこちらを(誰だっけ?)という顔で覗き込んできたのだが、すかさず「すいません、間違えました」と言うと、男性は「あ、いいですよ」というにこやかな顔で軽く会釈、、したかと思ったのだが、予想外だったのが次の展開で、男性は急に「んんーー?」と顔をしかめると何かを悟った険しい表情で正面を向く。

思い出せば伊集院光が「中二病」と名づけた事で有名な、まさに中学二年の頃、俺は学年全体に配られた「誰にも言えない私の悩み」なる、今思うとなかなか酷い内容のアンケート用紙に、それにもまったく引けをとらない酷さで「僕は人の心の中が読めます。」とだけ書いて送り返したことがあり、つまり僕はどうやら人の心の中がガンガン読めちゃうらしいのだが、その僕タソが32歳になった今、朝のエレベーターの中、目の前で険しい表情をするハゲた男性の心の中を読んでみると、ジ・アンサーイズこうである。

≪こいつ、別のハゲと間違えやがったな!!!≫

おそらくハゲるとこういう事を何度か経験するのかも知れず、気をつけようと肝に銘じた次第である。(頭皮のケアを)
| fabricio zukkini | 日記 | 08:41 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
会社に来る保険外交員
会社の休憩スペースには、昼休みになると毎日色んな保険会社の外交員がやってくる。
どういうルールがあるのか知らないが、日によって立っている外交員の会社が異なっており、見かける人も様々だ。
あいにく俺が契約する保険会社はわが社に日参する幾つかの保険会社のいずれにも該当しないため、ほとんどまともに会話する事もなく、ただ粛々と飴やチラシなどをサッと受け取るのが常。

しかし元々俺も営業マンであるからか、どうも同じ営業の人には冷たく出来ず、日ごろからテレアポや訪問販売といった本来ならば大して丁寧に対応しなくても良いはずの営業マンにも何か妙な優しさで接してしまったり、相見積もりなどによりモノを買う際には、本来値引き代が大体この位だろうなあと推測できる場合においても、「なんだかかわいそう」などという感情が働き、先方からしてみればシメシメなプライスにてその値引交渉の手を緩めたりなどしては、後ほど金欠になったときなどに幾らか後悔してしまう体たらくである。

日ごろからそのような態度であるから、身銭を切ってノベルティの類や拡販資料をこさえ、毎日さしたる成果もないのに立ち続ける保険外交員の、そのけなげな姿を見るにつけ、その熱心な声かけなど到底無視できようもなく、契約する気などさらさらないにもかかわらず、ついついそのチラシを受け取ってしまうし、時には一言二言声をかけてしまったりなどするのだが、これもある方面からみると「見込みがないのにむしろ迷惑」な野郎かもしれず、それぞれの意見になるほどと思う為最近ではどうしたらいいのか良くわからなくなり、結果として彼女たちに声を掛けられると「ン?フム・・・」などと声にもならない声をとりあえず出すなど、挙動がみるみる不審になりつつある今日この頃である。

保険外交員が新規顧客を獲得するその最初の一歩なのだろうが、よく何かをきっかけに名前を聞いてくる事が多い。
たまに、背後から「すいません、名前なんですか」といきなり名前を聞いてくるヘタクソもいるが、その様な手合いを除けば女性に名前を聞かれていやな気分になる男はおらず、ここで大抵の男は「マイネームイズ・・」と流暢に氏と名を大公開するのである。
そしてそれをきっかけに奥様のお名前、お子様のお名前・・・・と顧客リストが作成されると、色んなプランが提案されるようになるようである。

この様なプロセスにて、俺の名前を知る外交員も数名いたのだが、あいにく俺が少し前まで長期で関西方面に単身赴任していた関係もあり、久しぶりに戻って見るとすっかりメンツが変わっていて(離職率が高いのか、はたまたただの担当替えか不明であるが数ヶ月で人が変わることが多い)、また最初から「お名前は・・・」となったりしているのを目の当たりにすると、俺と違ってあまり真摯な対応をしない人々のその理由はこの辺かとも思えてくるものである。

そんな中であるが、ただ一人だけずっと前から変わらずに訪問している外交員の山田さん(仮名)が先日来ているのを目撃した。
彼女には半年前、ふと興味が沸いた「個人賠償保険」について質問をした関係で、俺の名前はもちろん、妻子の名前を知っている人だ。

個人賠償保険は現在契約する保険会社にはなく、その為動きが活発になりつつあるわが子が何かを壊したり、将来的にはよその子を怪我させたりなどする事を危惧したのであるが、俺のほうはまだあの当時興味レベルであったしまあいいかとそのまま放置していたのだが、その間山田さんはそうでもないらしく、久しぶりに見た見込み客の顔に「ずっとお待ちしてました!」と近寄って来る。商売なので当然理解できる話だ。

もっとも、この日は急なエンカウントに加え、お待ちしすぎて記憶が相当曖昧だったらしく、俺と息子の名前を入れ違え、「○○君(俺の名前)はおげんきですか!」などと甲高い声で目の前の俺の元気度を聞いてきたりなどしてきたので、オイオイそれはボクボクゥ、ボクならご覧のとおりI'm fineスよというような事をそれらしいユーモアを交えて応えたものの、元来あまりユーモアに適した声質・カツゼツではない為か山田女史にはこのユーモアの1割も理解が得られなかった様で、話が非常にコンプリケイテッドかつカオシックになり、挙句「○○君(俺の名前)は上手く喋れるようになりましたか」などものすごいカウンターパンチを食らうなどして徐々に俺の元気もなくなって来たこともあったので「○○(俺の名前)は最近とても上手に喋れる」という事を伏し目がちで伝えてその日はお別れした次第。

次会ったら覚えとけよ!(俺の名前を)
| fabricio zukkini | 日記 | 19:25 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |







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